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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

294. 尻啖え孫市 上下 (司馬遼太郎)

個性豊かな戦国武将のうちでも、ひときわ異彩を放つ雑賀孫市は、信長最強の敵である石山本願寺の侍大将を引き受けることになった。戦国の世を自由闊達に生き、木下藤吉郎との奇妙な友情をはぐくみながらも、鉄砲の腕にもの言わせ、無敵の信長にみごと"尻啖わせた"痛快な漢の一生。


▽尻啖え(しりくらえ)
「からり」とした、豪放磊落な快男児。「戦国の英雄豪傑」と聞けば、多くの人がそんな型の男を思い浮かべるだろう。

司馬遼太郎の見るところ、『尻啖え孫市』の主人公、雑賀孫市はまさにそんな男だったようだ。「尻啖え」とは、相手に向かって尻を見せて、叩いてみせるもの。挑発である。

「尻啖え」という言葉をタイトルにつけたとき、著者も「これはさすがに」と思って戸惑ったらしい。たしかに品の良い言葉ではない。ただ、その下品さが、孫市のような男に似つかわしく思えるから仕方ない。

その「尻啖わせた」相手は、戦国乱世を「天下布武」の色に染めようとしていた織田信長である。戦闘にかけて天賦の才を恵まれた孫市は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼を最後まで手こずらせた。

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」

信長、秀吉といった天下の大役者と互角に渡り合った田舎侍の活躍に、読者は目を白黒させながらついていくことになる。


▽大人になりぞこなった男
男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。

孫市の行動原理は打算になく、ひとえに子どもっぽい功名心や好奇心にある。ほとんど「天下をのぞむ男と勝負したい」という心意気だけで、信長に立ち向かいつづけた。信長や秀吉はたまったものではない。

鉄砲といくさ、そして女。それだけが彼の関心、人生の根っこであった。その単線な生き様は、「乱世」という背景に引き立てられ、じつに美しい。「成否を問わず、自己の技量を賭す」という司馬の哲学が、色濃く反映されている。

技量、と書いた。孫市のそれは、言うまでもなく軍事的才能である。司馬はこう綴っている。

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。

この点、『花神』における大村益次郎もそうだった。何かの才能に恵まれたものは、それに引きずられるようにして数奇な人生を歩むらしい。一個の芸術家のように、それを世で試し、問い、爪跡を遺していく。

激烈、数奇、そして酔狂…。それらは司馬文学が今日なお多くの人を惹きつける要因であるだろう。

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。

「戦国」という世を体現したような主人公。その時代の足音がやむとともに、「からり」と姿を消していった孫市を見送りながら、僕のなかで燃える「子ども」が頭をもたげるのを感じた。


◆気に入ったフレーズ
下巻
「女に理想を求めようとする心がなければ、好色漢にはならぬ」43

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。88

「才能こそ、世のいかなる権威にもまさる最高のものではないか」90

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」165

男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。227

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。394
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