fc2ブログ

本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

265.月と六ペンス (サマセット・モーム)

ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは…。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。

イギリスに留学していたとき、はじめて原文で通読した小説だ。才能だけが雄弁たりうる世界の厳しさと、すべてを犠牲にしてそこに果敢に挑む男の姿に胸を打たれたのを、今でも覚えている。

素敵な一節ともそこで出会った。 "The writer should seek his reward in the pleasure of his work"、邦訳には「作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある」とある。序盤にあるこの一文で、僕はサマセット・モームという作家に並々ならぬ関心を抱くことになった。

タイトル「月と六ペンス」には、ある意味が込められている。「月」はストリックランドが追い求めた「夢」「狂気」を意味し、「六ペンス」は彼が捨てた「生活」「現実」を表すとされている。

僕のブログのタイトル「本と6ペンス」も、このタイトルを踏まえたものだ。

日常生活から離れて、本という別の時空に浸り、ひとりで思索に耽りたい。現実を生きる傍ら、どこかで文章を書く人としての理想を追求する自分でいたい。そんな願いをストリックランドの姿にダブらせて、このブログを続けてきた。


▽「天才」の論理
ストリックランドが妻子のいる安定した生活を捨てて飛び込んだのは、絵画の世界だった。そこには特殊な道徳律が存在する。

すなわち、「才能があるかどうか」だけが問われるのである。この小説は、そんな芸術の世界の厳しさと狂気を、「一般人」としての筆者の目を通して描き出している。

「美を描きたい」という理想に囚われたストリックランドは、現実を棄て、才能のない人間を踏み台にした。彼に必要だったのは、「美」の名を冠せられた神との対話だけ。彼はなんの痛痒も感じることなく一般道徳を踏みにじった。

天才だから、できたのだ。大勢の人間を殺したナポレオンが「英雄」と讃えられたように、ストリックランドも「天才」だったからこそ、多くの犠牲を強いることができたのである。

「才能は苦しみの種でもある。僕たちは才能ある者たちに対して寛容でなくてはならないし、辛抱強くなくてはならないんだ」
後にストリックランドにすべてを奪われることになる、哀れな画家はこう語った。この世には才能だけが雄弁たりうる世界が存在し、そこでは他の道徳論は口を閉ざさなくてはいけないのである。


▽血みどろの才能と人生
才能がある状態と、天才であることの間には大きな違いがある。天才になるには、様々なものを犠牲にして才能を磨かなくてはいけない。ストリックランドの矯激な人生は、そのことをよく示している。

勤め人を続けながら片手間に絵を描いていたなら、彼が天才になることはついになかっただろう。血みどろになって描き続ける厳しい環境に自分を追い込むことで、やっと彼は本物になった。

自分の才能とどう向き合うか、というのは非常に難しい。筆者はストリックランドにこんな質問をぶつける。
「どうして自分に才能があると思ったんです?」

おそらく、ストリックランド本人もわかっていなかったのだろう。彼はただ答える、「描かなくてはいけないんだ」、と。
「描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

結果、彼には才能があった。そしてその才能を血みどろになって試そうとする気力もあった。だから彼は天才になれた。そのどちらが欠けても、彼は「月と六ペンス」の主人公にはなれなかったであろう。

当初はストリックランドに反発していた筆者も、彼を追ううちに考え始める。人生とは、才能とはいったい何なのか、と。
彼は本当にしたいことをしたのだ。それが人生を棒に振ることだろうか。
才能と人生とをめぐる深い問いを後に残して、小説はクライマックスを迎えるのである。


▽「六ペンス」の日常の中で
これを読み終えた僕たちもまた、「6ペンス」の日常生活に戻っていく。

しかし、現実を過ごすうちに、かつての読者たちはなにかが自分の胸を叩いてくるのを感じるだろう。俺を試してみろ、俺を磨き上げてみせろと、なにかが囁いてくるのを聞くだろう。

それは、四十になって画家を志した天才の物語が、読者の心に「才能への情熱」の火を灯させた証しなのである。

絵からようやく目を離したとき、わたしは思った。ストリックランドは秘密を墓場まで持っていってしまったのだ、と。


◆気に入ったフレーズ

作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには、なにも期待してはいけない。

義憤を感じる人間が罪人に制裁を与える力を持っていないのは珍しいことではない。

「どうして自分に才能があると思ったんです?」

「描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

世間に認められたいという欲望は、おそらく、文明人にもっとも深く根差した本能だ。

幸福は時によって人を立派にすることもあるが、おおかたの場合、労苦は卑劣で意地悪な人間を作り出すだけだ。

「美を理解するには、芸術家と同じように魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない」

「才能は苦しみの種でもある。僕たちは才能ある者たちに対して寛容でなくてはならないし、辛抱強くなくてはならないんだ」

義憤には必ず自己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間ならだれでもきまり悪さを感じるものだ。

「足音を忍ばせて、人生を生きなければならないんだ。運命に目をつけられないように」

「ほれぼれするような出来だった。触ることもできなかった。怖かった」

作家は断罪しようなどと思わない。ただ知りたいと思う。

「女は自分を傷つけた男なら許せる。だが、自分のために犠牲を払った男は決して許せない」

「男の魂は宇宙の果てをさまようが、女はその魂を家計簿の項目に入れたがる」

女は一日中愛していられるが、男はときどきしか愛せない。

彼は本当にしたいことをしたのだ。それが人生を棒に振ることだろうか。
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する