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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

296. アンネの日記 (アンネ・フランク)

▽あらすじ
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記、「アンネの日記」が二種類存在したことはあまりにも有名だ。本書はその二つを編集した〈完全版〉に、さらに新たに発見された〈増補新訂版〉。ナチ占領下の異常な環境のなかで、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。


▽炎の閃き
ろうそくの炎は、尽きる瞬間にひときわ大きく燃え盛る。思春期の少女による独白を前にして、結末を知る私たちもそれと似た感慨を抱くだろう。『アンネの日記』、死の影に怯えつづけた少女によって紡がれた一冊だ。

1942年6月12日にはじまった日記は、1944年8月1日まで続いた。彼女はその4日後に連行され、翌年3月に収容所で命を落とす。日記を出版し広めることに尽力したのは、惨禍を生き延びた彼女の父親だった。

彼女が万年筆で灯した炎は、過酷な運命のなかで生まれ、悲愴な努力によって受け継がれた。大ベストセラーになった『アンネの日記』、その閃きは戦後世界を照らしつづけ、2009年には「世界記憶遺産」に認定された。

何度となく大人たちと衝突し、自らの苦境を思って涙しながら、彼女の内面は成熟していく。自省、夢、悲嘆、怒り、そしてロマンス。数々のエピソードが、思春期の少女らしい、ストレートな言葉で綴られていた。

その背後で、「戦争」と「迫害」の足音も徐々に大きくなっていく。すべてを黒く塗り潰す「歴史」を前に、彼女の青春はぱっと輝き、消えた。


▽夢
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。

日記は、アンネのこんな宣言から始まる。書くことが好きな彼女の夢は、作家かジャーナリストになること。「みんなの役に立ちたい」という志と、「死んでからもなお生き続けたい」という望みとが、この巨大な執筆活動を支えたのだろう。

狭い〈隠れ家〉のなかで8人暮らし。外へ出ることも、覗き見ることも許されず、恐怖と戦い惨めさを耐える日々。そんななかで、彼女は喜怒哀楽の一切を万年筆に託した。その筆跡は彼女の心とともに踊り、涙とともに滲んだことだろう。

暗闇のなか、一心不乱にペンを走らせる少女の姿が目に浮かぶ。「親愛なるキティー(日記の名前)へ、今日はこんなことがあったの、憧れのペーターとはこんなことがあったわ、じゃあまたね、アンネ・フランクより」…。

独特で鋭い感受性や発想、表現が光る600ページ。実に惜しい。「ものを書くことが好き」という人が迫害に遭い、地上からいなくなった事実、それがこんなに寂しいものだとは。

『アンネの日記』のなかに唯一、彼女自身が書いていない一節がある。

アンネの日記は、ここで終わっている。

誰が書き加えたのだろう。あれほど沢山のことを書きながら、彼女は自らの連行と死について書くことはできなかった。そんな当然の事実を、生々しく突き付けてくる。

非寛容の延長線上にある戦争と迫害が、夢見る少女を絶筆にまで追い込んでしまった。情けないと思う。申し訳なく思う。もっと彼女の本を読んでみたかった、そう思うとたまらなく悲しい。

ペンを握れることの喜びを噛みしめ、眼前の文章に対して誠実でいること。「十字架」を背負おうと思っても、いまの僕に出来ることはこれくらいである。素敵な日記だった。だからこそ、辛い。


◆フレーズ
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋れているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。22

ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。57

どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。341

ひとに沈黙を強いることはできても、ひとそれぞれが意見を持つことまでは妨げることができません。349

わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。362

わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。365

わたしはぜひともなにかを得たい。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。433

わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!434

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295. 大いなる遺産 上下 (ディケンズ)

貧しい鍛冶屋のジョーに養われて育った少年ピップは、クリスマス・イヴの夜、寂しい墓地で脱獄囚の男と出会う。脅されて足枷を切るヤスリと食物を家から盗んで与えるピップ。その恐ろしい記憶は彼の脳裏からいつまでも消えなかった。ある日彼は、謎の人物から莫大な遺産を相続することになりロンドンに赴く。優しかったジョーの記憶も、いつか過去のものとなっていくが…。


▽人間関係の妙
人生と人生が出会うことの面白さ、不思議さ。ときに悲劇をもたらし、ときに喜劇を生む、人と人との邂逅。小説家は、それらを巧みに組みたてることで物語を編んでいく。

そういう点で、ディケンズ(1812-70)は第一級の作家であると見ていい。彼が50歳に差し掛かろうという頃に書かれた『大いなる遺産』は、実に見事に設計されていた。「世界最高の小説百選」にも選出されている。

上巻で覚えきれないほど敷かれた伏線が、下巻ではことごとく、しかも少なからぬ驚きをともなって回収される。隠された過去や真実が徐々に明るみになっていく筋の面白さに、読者は本を手放せなくなる。

生命を吹き込んでいるかのように瑞々しい人物描写の数々も、この本の魅力のひとつだ。様々な型の人物が登場するが、見事に描き分けられている。もともと新聞記者だったディケンズの、人間一般への深い洞察が感じられる。

こういう本は、ストーリーを楽しんで読むのがいいだろう。教訓を汲み取ろうとして、力む必要はない。物語で登場する人生の諸相が、そのまま読者に多くのことを教えてくれる。


▽富貴と艱難
敢えて解釈すれば、これは主人公のピップが富貴と艱難を繰り返しながら、人生で大切なものを見つけていく物語だと言うことができるかもしれない。

「人間は艱難を共にできるが、富貴は共にできない」という、高杉晋作の言葉がある。逆境にある人は団結して敵を破ろうとするが、困難を乗り越えると私欲に走りはじめ、その結びつきは壊れてしまう。

「金の切れ目が縁の切れ目」という、これと反対の言葉もある。富み栄えていれば、人は自然と集まってくる。ところが逆境に陥ると、彼らはすっと姿を消してしまう。

どちらが正しい、という話ではない。二つの言葉に共通するのは、人生の浮沈こそが、その人にとって大切なものを教えてくれるという捉え方だ。

私たちにとって最も大切なものは、苦しいときも、喜ばしいときも、つねに私たちに寄り添ってくれている。蒸留と濾過をくりかえす実験のように、私たちを囲う環境がどう変わっても、「それ」は掌の中に残ってくれる。

この視点から物語を見ると、どうなるか。

惨めな幼少時代を送ったピップは、何者かから莫大な遺産の相続人に指名される。一躍、紳士としてロンドンに居を構えた彼だが、中盤の「逆転」を迎えてふたたび苦境へと立たされていく…。

転変する彼の周囲をぐるぐる回る、人びとの追従、信頼、嫉妬、誠実…。人間関係の諸相が目まぐるしく巡るなか、輝きを失わなかったもの。それこそが、主人公にとって一番かけがえのないものなのである。


▽ハッピーエンドの余韻
物語を考えるうえで、その幕切れについても言及しておきたい。

けっきょく彼に遺産は相続されず、かつて手放したもののうちに幸福が宿っていたことを知る。物語の終幕、気付けばピップは冒頭とおなじ素寒貧の状態に逆戻りしてしまっている。

ところが、物語の幕切れは不思議と明るい。静かな光がピップを照らし、ハッピーエンドのそれのような情景が浮かび上がる。

夕霧がはれかけていた。そして、はれわたる夕霧とともに、ひろびろと果てしなくひろがる静かな月明かりのうちには、彼女との二どの別離の陰影はすこしも見えなかった。

物質的な観点で言えば、「大いなる遺産」は、ピップになにひとつ恵まなかった。ヒロインとの別離とともに物語が終わるのも、この点で示唆的である。

一方、精神的な観点から見ると、ピップは物語を経てひとつ成長している。「大いなる遺産」こそ持たないが、彼は信頼のおける、大切なものを見出すことができた。

「すべてを手に入れながら、何が本当に大切なのか分からない状態」と、「何も持っていないが、自分にとって大切なものを自覚している状態」。はたして、どちらが「幸福」に値するだろう。

『大いなる遺産』がもたらす、ハッピーエンドの余韻。その裏には、そんな静かな価値判断が潜んでいるようにも思われる。


◆気に入ったフレーズ
「ぼくのことなんか、気にかけなくっていいんだよ、ジョー」
「ところが、わしはおまえのことを気にかけたんだよ、ピップ」102

子供は、小さな不正にしかさらされないかもしれない。だが、子供は小さいものであり、その世界も小さいものである。134

「嘘はどうして生まれたにせよ、やっぱり生まれちゃいけないものなんだ」。151

「おまえがずばぬけた物知りになるには、まずそのまえに平凡な物知りにならなくちゃならん」152

「もしおまえがまっすぐなことをやってえらい人間になれんのなら、曲がったことをやったからって、えらい人間になれるもんじゃけっしてない」153

およそ家庭を恥ずるということは、この上もなくみじめなことである。226

世界中のいっさいの欺瞞家も、自己欺瞞家にくらべたら、もののかずではない。477

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294. 尻啖え孫市 上下 (司馬遼太郎)

個性豊かな戦国武将のうちでも、ひときわ異彩を放つ雑賀孫市は、信長最強の敵である石山本願寺の侍大将を引き受けることになった。戦国の世を自由闊達に生き、木下藤吉郎との奇妙な友情をはぐくみながらも、鉄砲の腕にもの言わせ、無敵の信長にみごと"尻啖わせた"痛快な漢の一生。


▽尻啖え(しりくらえ)
「からり」とした、豪放磊落な快男児。「戦国の英雄豪傑」と聞けば、多くの人がそんな型の男を思い浮かべるだろう。

司馬遼太郎の見るところ、『尻啖え孫市』の主人公、雑賀孫市はまさにそんな男だったようだ。「尻啖え」とは、相手に向かって尻を見せて、叩いてみせるもの。挑発である。

「尻啖え」という言葉をタイトルにつけたとき、著者も「これはさすがに」と思って戸惑ったらしい。たしかに品の良い言葉ではない。ただ、その下品さが、孫市のような男に似つかわしく思えるから仕方ない。

その「尻啖わせた」相手は、戦国乱世を「天下布武」の色に染めようとしていた織田信長である。戦闘にかけて天賦の才を恵まれた孫市は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼を最後まで手こずらせた。

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」

信長、秀吉といった天下の大役者と互角に渡り合った田舎侍の活躍に、読者は目を白黒させながらついていくことになる。


▽大人になりぞこなった男
男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。

孫市の行動原理は打算になく、ひとえに子どもっぽい功名心や好奇心にある。ほとんど「天下をのぞむ男と勝負したい」という心意気だけで、信長に立ち向かいつづけた。信長や秀吉はたまったものではない。

鉄砲といくさ、そして女。それだけが彼の関心、人生の根っこであった。その単線な生き様は、「乱世」という背景に引き立てられ、じつに美しい。「成否を問わず、自己の技量を賭す」という司馬の哲学が、色濃く反映されている。

技量、と書いた。孫市のそれは、言うまでもなく軍事的才能である。司馬はこう綴っている。

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。

この点、『花神』における大村益次郎もそうだった。何かの才能に恵まれたものは、それに引きずられるようにして数奇な人生を歩むらしい。一個の芸術家のように、それを世で試し、問い、爪跡を遺していく。

激烈、数奇、そして酔狂…。それらは司馬文学が今日なお多くの人を惹きつける要因であるだろう。

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。

「戦国」という世を体現したような主人公。その時代の足音がやむとともに、「からり」と姿を消していった孫市を見送りながら、僕のなかで燃える「子ども」が頭をもたげるのを感じた。


◆気に入ったフレーズ
下巻
「女に理想を求めようとする心がなければ、好色漢にはならぬ」43

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。88

「才能こそ、世のいかなる権威にもまさる最高のものではないか」90

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」165

男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。227

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。394

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293. 百年の孤独 (ガルシア=マルケス)

蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽くす…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。


大勢の人に囲まれているのに、「孤独である」ということがあるだろうか。情熱に生き、誰かを想って死んでいった人に、「孤独」という形容は相応しいだろうか。

そんなことはない、と多くの人が思うだろう。この本を読むまえの僕も、そう思っていた。

ところが、一つの村を繁栄させ人びとから尊敬を集めた一族の物語が終わったとき、僕はそんな「孤独」があることを知った。それははかり知れないほど重く、どんな孤独よりも絶対的なものだった。


▽『百年の孤独』
著者はコロンビアの小説家、ガルシア=マルケス。1967年に出版されて大ベストセラーになり、ラテンアメリカ文学ブームの引き金を引いた。著者は1982年にノーベル賞を受賞し、本作は「世界傑作文学100選」に名を連ねる。

あらすじにもあるように、架空の村マコンドで盛衰したブエンディア一族が軸の物語だ。筋は七世代目にまでおよび、年数も百年より長い。

歴史の教科書のような文体が続き、叙述もときおり時系列から外れる。読みやすい本ではない。ただ、独特の世界観と、登場人物たちの強烈な個性だけが、匙を投げようとする僕の手を次のページへ、次のページへと誘った。

他の本を読む余裕もなく、四日ほど噛りつくように読みすすめた。いつもフレーズを抜粋してきた携帯のメモ帳も、今回は真っ白。これまで踏み入ったことのない世界観に、僕はただ浸っていたようだ。


▽孤独
外界の文明世界との摩擦を何度となく経験しながら、物語の舞台・マコンドは変容を繰り返す。そんななかで、ブエンディア家は一貫して村を代表する一族であり続けた。

多くの人が村にやって来、また、去った。いくつかの夢がそこで叶い、またいくつかの夢が敗れた。いくつかの愛は実り、それ以外は涙に濡れて死んだ。物語は愛憎や情熱にまみれ、そこで「孤独」は鳴りを潜めているようだった。

400ページにわたる人間ドラマ。世代が受け継ぎ、積み重ねてきた歴史。『百年の孤独』のほとんどの部分は、マコンドの歩みを実像として描き出している。

ところが、「孤独」は、そんな物語の最後に狂暴な顔を覗かせる。繁栄を喪った村から人びとは去り、ブエンディア家の最後の世代は近親相関の禁を破って子孫を絶やしてしまう。この急転直下が、物語の醍醐味だろう。

物語のラストでは、人びとの脈々とした営みがすべて予言されていたということが判明する。それは「実像」に見えたマコンドの歴史を一転、「虚像」化する。

人気のなくなった村で、建造物は自然に侵食されていく。ブエンディアの血筋も、人知れずひっそりと途絶える。マコンドと一族の歴史を記憶し語り継ぐものは一人もいなくなる。

こうして、「孤独」は完成する。何世代にもわたって繋がれてきた大きなストーリーは、最後の数ページで虚像化され、ゼロになる。

滅び去った蜃気楼の町、マコンド。結末を読んだわれわれは、もうその残り香を嗅ぐことさえ許されない。


▽過ぎ去った?何もなかった?
この物語は、結末において「なかったこと」になる。悪戦苦闘しながら読んできたストーリーが、最後にこの世界における重みを自ら消去してしまう。これは奇妙な感覚である。

何、過ぎ去った、と。間抜けな言葉だ。なんで過ぎ去るのだ。過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じではないか。
ゲーテの『ファウスト』において、悪魔のメフィストフェレスはこう語った。

これは『百年の孤独』にもそのまま当てはまる。ブエンディアの一族は歴史を「過ぎ去った」。ところがそれは誰にも記憶されず、外部に何の影響も及ぼさず、「何もない」のと全く同じであった。

ブエンディア家は「孤独だった」わけではない。彼らの営みを語り継いでくれる人がいなくなったことで、遡及的に「孤独になった」のである。

人間が生きることとは、他者と生きることだと言われる。誰かに見られ、語り継がれることがなければ、その個人がいかに充実した生涯を生きたところで、「生きた」とは認定されない。

過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じではないか。

悪魔の言葉に、断固として「否」と答えられる人はいないだろう。『百年の孤独』、それは「人間」という悲しい存在にしか綴れない物語である。

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292. 再生産 (ブルデュー)

「文化資本」という概念を用いて、教育を分析した一冊。支配階級のもつ文化が学校システムにおいて収益をあげ、支配階級の子どもが高い学歴を得て、高い階級へと再び再生産されることを明らかにしている。

※この記事はレポートを下地に書かれています。先日成績発表があったので、「もう『剽窃』とは言われないだろう」と判断し、投稿することにしました。


▽文化資本
「文化資本」という言葉がある。それはお金やモノといった形式をとらないが、親から子へと確かに引き継がれる。咄嗟の振る舞いや言葉遣い、生活習慣などがそれにあたる。

たとえば、本をよく読む親のもとで育った子と、そうでない子では、どちらが「高学歴」になりやすいか。親とクラシックのコンサートに足を運ぶ子と、流行りのJポップが家で流れている子では、どちらが「育ちがよい」と言われるだろうか。

それらは食事時に交わされる会話のような、些細な場面での違いにすぎない。ところが、その無意識な行動や習慣の積み重ね(「ハビトゥス」)は、子どもに少なからぬ影響を与える。

家庭が「上流」の文化と親しんでいれば、子もその文化に馴染むことができる。さらに、そうした子は学校でも高い評価を受けやすい。教育とは社会の「上流」による知識・文化の押し付け(「象徴的暴力」)に他ならないからだ。

家庭の中の「ハビトゥス」と「教育機関」という二つの経路が手を取り合うことで、「上流」の子どもは「上流」としての地位を獲得しやすくなっている。この非公式な階級の再生産を可視化することが、本著のテーマだった。


▽個人的近しさ
社会理論に関する授業のレポートは、いくつかの候補からひとりの理論家を選ぶ形式だった。僕は迷わず「文化資本」の議論で有名なブルデューを選択した。その理論に、なにか身に迫ってくるものを感じたからだ。

ざっくり言えば、僕はかなり恵まれた家に生まれた。祖父も父も立派な人で、本をよく読んでいた。教育熱心な親ではなかったが、彼らの知的な雰囲気そのものに、どこか惹かれるところがあった。

「薫陶を受けた」とまではいかなくとも、僕は彼らの背中を見て育った。活字への抵抗もなく、昔から本が好きだった。優等生の多い学校に進み、文武両道は「当然のもの」として要求された。高い教育を受け、大学に進み、留学もした。

そうして僕は22歳に差し掛かった。多くのことが自分の裁量に委ねられつつあるのを感じながら人生を振り返ると、「文化資本」という言葉が不意に背中から斬りかかってくるような気がした。

どこまでが文化資本によって「与えられた」人生で、どこからは自分で「獲得した」人生なのか。僕の悩みはそこにあった。そうして手に取ったのがこの本だった。今思えば、レポートを書いたときも、結局自分のことばかり考えていた気がする。

以下からは、レポート本文を用いつつ進めていく。序盤は上に書いた概述の確認になる。


▽文化資本と再生産
自分が最も関心を抱いた「文化資本」についての議論は、『再生産』の最後で以下のようにまとめられている。

学校制度は、文化資本の収益性を確かなものにし、この資本の伝達を正統化するのであるが、そうした機能を果たしていることを包み隠しながら、これらを行う。

学校教育において想定される「ハビトゥス」と家庭における「ハビトゥス」との距離が、学生の学歴社会での成功しやすさに影響を及ぼし、結果として学歴上位層=高所得者層の再生産に繋がっている。

重要なのは、学校制度が再生産を支えているという指摘と、そのことが「社会に気付かれていない」もしくは「気付かれていても、依然として支持されている」ということである。

学校は、民主主義イデオロギーを引き合いにだす社会では、他のなににも増して、また唯一納得しうるかたちで既成秩序の再生産に寄与することができる。

学校による「教育的働きかけ」はひとつの「象徴的暴力」であり、そこには「文化的恣意」が忍び込む隙があるとブルデューは論じている。再生産の構造は、そうして教育制度を相対化したときに浮かび上がってきたものに他ならない。

たとえば、ヘッセによる小説『車輪の下』は、こうした教育の現場における「ハビトゥス」の壁の存在を浮き彫りにした作品の一つだと解釈できる。

主人公・ハンスは頭脳明晰で、過酷な試験勉強の甲斐あって神学校に進むが、ついに馴染めずに退学してしまう。これは彼の馴染んでいたハビトゥスと、優等生ばかりの神学校内でのハビトゥスが乖離していたために起こったと言えよう。

たとえば、ハンスの出身地は田舎であり、彼自身も座学より自然と戯れることを好んだ「自然児」であった。また、ハンスが父子家庭の出であるのに対して、神学校に通う子どもの多くが恵まれた家庭環境にいたこともほのめかされている。

こうした些細なハビトゥスの差異が、試験以外のかたちで主人公に圧力をかけ続けていたことが読み取れる。ハンスは頭こそ良かったが、「文化資本」に恵まれなかったと言えそうだ。…


▽「文化資本」と現代日本(「英語の習熟」という観点から)
こうした議論を経て、僕はレポートにおいて「英語の習熟」という観点から「文化資本」の概念を応用することにした。以下がその大まかな本文になる。

…では、この議論を今日に適用するとどうなるか。『再生産』ではラテン語とギリシア語の習得がひとつの基準に据えられていたが、日本においてこれは「英語の習得」が一つの例として想定できる。

グローバリゼーションが進展し国境が相対化する中で、「英語が喋れるか喋れないか」は人々の間に新たな線引きを設けつつある。「英語が使えるか使えないかで年収に差が出る」という統計が方々から示され、昇進の条件としてTOEICの点数を掲げる日本企業も出てきた。

いまや「英語を使いこなす」というハビトゥスは、それを身につけた個人に並々でない恩恵を与える。筆者も留学から帰った途端に、就活サイトから「あなたはグローバル人材ですから、専用の履歴書を送ってください」と電話がかかってきたのを覚えている。

英語を使いこなせれば大学入試のハードルも少なからず下がるし、就職活動もかなり楽になる。母国語同然に喋れるようなら、海外での就職なども視野に入ってくる。今日、英語を使いこなせる能力が個人にとって大きな「資本」であることは、言を俟たないだろう。

同時に、「英語力は個人の努力によって獲得できる」という言説が罷り通っていることにも留意すべきである。

実際のところ、受験英語を頭に叩き込み、英会話学校に通い詰めただけの人が、留学生や帰国子女を超える英語力を身につけるのは難しい。そこに截然たる英語力の差があるのは概ね事実だろう。

現代日本の上位層が自らの地位を「再生産」しようとするなら、子どもを大学にいれて留学させるのが一番手っ取り早い。一、二年間を英語圏で生活しただけで、彼らは「グローバル人材」という箔がついた状態で帰国してくる。親が海外で働く帰国子女であれば、選択肢はますます広がるだろう。

これらは果たして「個人の努力」で補えるものなのか、どうか。…

こんな風にして、現代に「文化資本」の視点を応用した。もちろん、浮き彫りになった「再生産」の構造は容易に崩せないだろう。「そもそも崩すべきか」、「崩すことは可能なのか」という点でも、議論は分かれそうだ。

少なくとも、レポートという機会を掴まえて考察したことで、僕は自分自身を社会(理論)の中に位置づけられたと感じている。ブルデューの『再生産』、気軽に読める本ではないが、たくさんのことを考えることができる一冊だった。


◆気に入ったフレーズ
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292. 再生産 (ブルデュー) フレーズ集

◆気に入ったフレーズ
本書のテクストのあらゆる読み方のうち、たぶん最悪のものは道徳的な読み方だろう。

およそ教育的働きかけは、恣意的な力による文化的恣意の押しつけとして、客観的には、ひとつの象徴的暴力をなすものである。(1)

一社会組織のなかで行われているさまざまな教育的働きかけは調和的に協働しながら、「社会」全体の共有財産と考えられる一個の文化資本の再生産にあずかっている。(1.3.2)

教育的働きかけが教育的権威なしに行われるという考え方は論理的に矛盾していて、社会学的には成り立たない。(2)

教育的働きかけは、ある貨幣が通用するといった意味で「通用する」のである。

教育的コミュニケーションの関係は、伝達されるものを指示しながら、自ら伝達するものの正統性をつくりだそうとする。(2.2.1)

ある教育機関の教えこむ恣意が、この期間に権威を委任した集団または階級の文化的恣意を直接に再生産すればするほど、この機関は自らの正統性について主張したり、弁明する必要がなくなる。(2.3.1.3)

文化資本とは、種々の家族的教育的働きかけによって伝達されてくるもろもろの財のことで、文化資本のその価値は、支配的教育的働きかけの押しつける文化的恣意と、それぞれの集団または階級のなかで家族的教育的働きかけを通して教えこまれる文化的恣意との距離によって決まってくる。(2.3.2.1)

自分の教養について思いを凝らす者はすでに教養ある者であり、自分の教育の諸原理はなにかを問うているつもりの者のもろもろの問いは、以前として自分の教育を前提としている。

文化資本と教育的コミュニケーション

複雑な構造を解読し操る能力は、ある程度まで、家族から伝達される言語の複雑性のいかんにかかっている。

学生が、「教師のためにつくられた存在」にほかならぬ「あるべき存在」を実現するまでにならないと、たとえ過誤であれ悪意であれ、つねに非が全面的に学生に帰せられるのだ。

「ブルジョアのことばと民衆のことば」146

言語活動と文化への関係、これは学校システムと教養人的伝統の自律性のもっとも完ぺきな表現とみえる、行為または言表の様式におけること細かな差異の無限の総和である。157

フランスの教育システムは、特権階級が独占しているかぎり正統として承認し押しつけがちな文化への関係を習得する条件を独占していて、その基礎の上に一個の文化への関係を永続させ、これを聖別している。159

学校は、社会構造が変わってもつねに、学校を支配的階級へと結びつける諸関係のシステムのなかで相同的な位置を占めていたのであった。161

儒教的伝統があれほど完ぺきに教養人の理想を押しつけるのに成功したのは、古今の学校制度のなかで科挙制度ほどすべてをあげて選別機能へと一体化したものもなかったからである。169

所与の一個人にとって将来の就学の可能性は、もっぱら、それがかれの属する階級または階層の客観的、集合的な将来をなしているかどうかによって、大きくもなれば小さくもなる。180

「あれは自分たちと関わりのないことだ」181

学校はもろもろの能力の産出と証明の技術的機能と、権力の保持、聖別の社会的機能とを同時に手中にしている。191

学校は、民主主義イデオロギーを引き合いにだす社会では、他のなににも増して、また唯一納得しうるかたちで既成秩序の再生産に寄与することができる。192

学校は、自らの果たしている機能をおおい隠すのに、最高度に成功している。192

限られた数の個人の統制された選別を通じ、社会の安定性を保証し、それによって、階級関係の保存に力を貸すこともある。192

場としてのハビトゥスについての適切な理論のみが、社会秩序の正統化の機能の行使の社会的諸条件を完全に明らかにすることができる。223

学校制度は、文化資本の収益性を確かなものにし、この資本の伝達を正統化するのであるが、そうした機能を果たしていることを包み隠しながら、これらを行う。229

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291. 歳月 上下 (司馬遼太郎)

肥前佐賀藩に生まれた江藤新平。国政への参画と自分の栄達をかけて藩の外交を担い、京へ上った。卓抜な論理と事務能力で頭角を現し、司法卿として敏腕をふるう。ところが征韓論争で反対派の大久保利通、岩倉具視らと対立。敗れて下野し、佐賀の地から反乱を企てるが…。34歳から41歳までの間に、栄光と転落を味わった生涯を描く傑作長編。


▽才人
「わしがこの世にうまれてきた意義は、日本に法治国たる基礎を建設することにある」

江藤新平という、ひとりの才子が主人公である。「薩長土肥」の一角である肥前佐賀藩の浮沈を背負って日本の中央政界へと進出した。

革命家は「破壊すること」は得意でも、新体制を「創ること」は不得手であることが多い。そんななかで、法制度にすぐれた知見をそなえた江藤は司法卿に就任する。自然、革命政府の中で重きをなしていった。

たいへんな切れ者で、議論をたたかわせて彼の右に出る者はいなかったという。作者も江藤を「日本語世界がうんだ最大の雄弁家」と褒めそやしている。文句なしの才人であろう。

ところが、彼は征韓論争をめぐって大久保・岩倉らに敗北し、下野する。最後には憤懣やるかたない佐賀藩士たちに担ぎ上げられ反乱を指導するも敗北、非業の死を遂げる。

わずか7年間の間に、この転落ぶり。いったい何が彼の没落を招いたのか。そのあたりの機微を、司馬は深い洞察をもとに描いている。


▽政治的痴呆
理論家はついに理論家だけのことであり、政治のきめ手となるべき勢力というものをもっていない。

司馬は江藤をこう評している。正論だけで政治の世界を罷り通れると思っていたあたりに、彼の大きな迂闊さがあった。

自らの構想を実現するには、権力闘争に勝たなければいけない。しかし彼は権謀術数に手を染めなかったし、相手のそれを察知することもできなかった。

彼はなるほど才人であったが、それにとどまった。本作では使われていないが、「政治的痴呆」という司馬の言葉がそんな江藤の性質をよく表しているだろう。

「政治的痴呆」とは、『義経』において使われた言葉だ。義経は軍略の天才であったが、兄・頼朝の策謀だけはついに見破れず、命を落とした。こうして見ると、ふたりは文武の違いこそあれ、似ているかもしれない。

それにしても、政争に敗れて佐賀へ落ち、不慣れな戦闘の軍配を握り、得意の舌鋒も封じられたまま権力に殺される江藤の悲壮さはすさまじい。物語の終盤は、読んでいて胸が締め付けられた。


▽「化け物」との対比
この小説をいっとう美しくしているのが、政治の世界における「痴呆」と「化け物」との対比構造であるだろう。「化け物」とは大久保利通のことだ。

国家の設計を手掛けることに意欲を燃やした大久保と江藤。彼らは政敵となり、政治力の差がその明暗を分けた。大久保は工作を施して征韓論を廃案にし、佐賀へと下った江藤に「反逆人」の名を着せたのである。

大久保は江藤の命を利用した、と司馬は書いている。この巨人は情や法理をあえて踏みにじり、江藤を梟首に処した。武士のさらし首は、江戸期にもない酷刑である。明治政府、大久保政権の権勢を高め、来るべき西南戦争に備えるためだった。

正義のみを恃みとした江藤は、大久保の尋常ならざる政治的才覚を前に倒れた。本著が描いた敗北は、政治の世界がもつ独特の「苦み」を伴って、読者の味覚を刺激してくるようである。

もっともすぐれた政略家というのは、合法感覚に富みながらしかも、稀代の犯罪者の素質と実行能力をもたなければならない。


◆気に入ったフレーズ
「志は燃えている。燃えているが方向をもたぬ。方向をもつには、まず情勢を知ることである」23

「男子はすべからく厳頭に悍馬を立てるべきだ」45

「その欠点をさがさねば真に知り、愛し、敬したことにはならない」50

急がずば濡れまじきものと人は言う
急がで濡るるときもこそあれ67

「新平、京にのぼれ。ひとえに言う、京における佐賀藩の位置を重からしめよ」85

たとえば画家が筆を欲するように江藤は権力を欲している。権力という筆があってはじめて、江藤はこの世の中を画布にし、思うままの絵をかけるのである。162

「正論はつねに極論にまで至らねばつらぬけぬものだ」213

「およそ政治を志す者に安穏の道はなく、古来、歴史に名をとどめた者のうち、何人が安全であったか」257

「私は富貴を望んだのではない。仕事を望んだにすぎぬ」270

「わしがこの世にうまれてきた意義は、日本に法治国たる基礎を建設することにある」307

「人間というものは天地の愛子である。この愛子に天寿を全うさせるのが国家の役目である」309

「すべて法に照らし、法の正義によってこれを処断するのみである。その影響がどうであろうと、法官たる者は斟酌すべきでない」388

理論家はついに理論家だけのことであり、政治のきめ手となるべき勢力というものをもっていない。9

もっともすぐれた政略家というのは、合法感覚に富みながらしかも、稀代の犯罪者の素質と実行能力をもたなければならない。399

「ただ、皇天后地のわが心を知るあるのみ」
天地だけが知っている。この日本語世界がうんだ最大の雄弁家の最後のことばである。423

「ぼくはなんらかの情熱を持った男、その男たちのこっけいさと悲壮さを書いているのです。情熱的になればなるほど内面は悲壮となり、またこっけいにもなる、変革期にはそれがそのまま鋭角に現れる」455

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