
▽あらすじ
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記、「アンネの日記」が二種類存在したことはあまりにも有名だ。本書はその二つを編集した〈完全版〉に、さらに新たに発見された〈増補新訂版〉。ナチ占領下の異常な環境のなかで、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。
▽炎の閃き
ろうそくの炎は、尽きる瞬間にひときわ大きく燃え盛る。思春期の少女による独白を前にして、結末を知る私たちもそれと似た感慨を抱くだろう。『アンネの日記』、死の影に怯えつづけた少女によって紡がれた一冊だ。
1942年6月12日にはじまった日記は、1944年8月1日まで続いた。彼女はその4日後に連行され、翌年3月に収容所で命を落とす。日記を出版し広めることに尽力したのは、惨禍を生き延びた彼女の父親だった。
彼女が万年筆で灯した炎は、過酷な運命のなかで生まれ、悲愴な努力によって受け継がれた。大ベストセラーになった『アンネの日記』、その閃きは戦後世界を照らしつづけ、2009年には「世界記憶遺産」に認定された。
何度となく大人たちと衝突し、自らの苦境を思って涙しながら、彼女の内面は成熟していく。自省、夢、悲嘆、怒り、そしてロマンス。数々のエピソードが、思春期の少女らしい、ストレートな言葉で綴られていた。
その背後で、「戦争」と「迫害」の足音も徐々に大きくなっていく。すべてを黒く塗り潰す「歴史」を前に、彼女の青春はぱっと輝き、消えた。
▽夢
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。
日記は、アンネのこんな宣言から始まる。書くことが好きな彼女の夢は、作家かジャーナリストになること。「みんなの役に立ちたい」という志と、「死んでからもなお生き続けたい」という望みとが、この巨大な執筆活動を支えたのだろう。
狭い〈隠れ家〉のなかで8人暮らし。外へ出ることも、覗き見ることも許されず、恐怖と戦い惨めさを耐える日々。そんななかで、彼女は喜怒哀楽の一切を万年筆に託した。その筆跡は彼女の心とともに踊り、涙とともに滲んだことだろう。
暗闇のなか、一心不乱にペンを走らせる少女の姿が目に浮かぶ。「親愛なるキティー(日記の名前)へ、今日はこんなことがあったの、憧れのペーターとはこんなことがあったわ、じゃあまたね、アンネ・フランクより」…。
独特で鋭い感受性や発想、表現が光る600ページ。実に惜しい。「ものを書くことが好き」という人が迫害に遭い、地上からいなくなった事実、それがこんなに寂しいものだとは。
『アンネの日記』のなかに唯一、彼女自身が書いていない一節がある。
アンネの日記は、ここで終わっている。
誰が書き加えたのだろう。あれほど沢山のことを書きながら、彼女は自らの連行と死について書くことはできなかった。そんな当然の事実を、生々しく突き付けてくる。
非寛容の延長線上にある戦争と迫害が、夢見る少女を絶筆にまで追い込んでしまった。情けないと思う。申し訳なく思う。もっと彼女の本を読んでみたかった、そう思うとたまらなく悲しい。
ペンを握れることの喜びを噛みしめ、眼前の文章に対して誠実でいること。「十字架」を背負おうと思っても、いまの僕に出来ることはこれくらいである。素敵な日記だった。だからこそ、辛い。
◆フレーズ
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋れているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。22
ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。57
どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。341
ひとに沈黙を強いることはできても、ひとそれぞれが意見を持つことまでは妨げることができません。349
わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。362
わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。365
わたしはぜひともなにかを得たい。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。433
わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!434
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記、「アンネの日記」が二種類存在したことはあまりにも有名だ。本書はその二つを編集した〈完全版〉に、さらに新たに発見された〈増補新訂版〉。ナチ占領下の異常な環境のなかで、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。
▽炎の閃き
ろうそくの炎は、尽きる瞬間にひときわ大きく燃え盛る。思春期の少女による独白を前にして、結末を知る私たちもそれと似た感慨を抱くだろう。『アンネの日記』、死の影に怯えつづけた少女によって紡がれた一冊だ。
1942年6月12日にはじまった日記は、1944年8月1日まで続いた。彼女はその4日後に連行され、翌年3月に収容所で命を落とす。日記を出版し広めることに尽力したのは、惨禍を生き延びた彼女の父親だった。
彼女が万年筆で灯した炎は、過酷な運命のなかで生まれ、悲愴な努力によって受け継がれた。大ベストセラーになった『アンネの日記』、その閃きは戦後世界を照らしつづけ、2009年には「世界記憶遺産」に認定された。
何度となく大人たちと衝突し、自らの苦境を思って涙しながら、彼女の内面は成熟していく。自省、夢、悲嘆、怒り、そしてロマンス。数々のエピソードが、思春期の少女らしい、ストレートな言葉で綴られていた。
その背後で、「戦争」と「迫害」の足音も徐々に大きくなっていく。すべてを黒く塗り潰す「歴史」を前に、彼女の青春はぱっと輝き、消えた。
▽夢
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。
日記は、アンネのこんな宣言から始まる。書くことが好きな彼女の夢は、作家かジャーナリストになること。「みんなの役に立ちたい」という志と、「死んでからもなお生き続けたい」という望みとが、この巨大な執筆活動を支えたのだろう。
狭い〈隠れ家〉のなかで8人暮らし。外へ出ることも、覗き見ることも許されず、恐怖と戦い惨めさを耐える日々。そんななかで、彼女は喜怒哀楽の一切を万年筆に託した。その筆跡は彼女の心とともに踊り、涙とともに滲んだことだろう。
暗闇のなか、一心不乱にペンを走らせる少女の姿が目に浮かぶ。「親愛なるキティー(日記の名前)へ、今日はこんなことがあったの、憧れのペーターとはこんなことがあったわ、じゃあまたね、アンネ・フランクより」…。
独特で鋭い感受性や発想、表現が光る600ページ。実に惜しい。「ものを書くことが好き」という人が迫害に遭い、地上からいなくなった事実、それがこんなに寂しいものだとは。
『アンネの日記』のなかに唯一、彼女自身が書いていない一節がある。
アンネの日記は、ここで終わっている。
誰が書き加えたのだろう。あれほど沢山のことを書きながら、彼女は自らの連行と死について書くことはできなかった。そんな当然の事実を、生々しく突き付けてくる。
非寛容の延長線上にある戦争と迫害が、夢見る少女を絶筆にまで追い込んでしまった。情けないと思う。申し訳なく思う。もっと彼女の本を読んでみたかった、そう思うとたまらなく悲しい。
ペンを握れることの喜びを噛みしめ、眼前の文章に対して誠実でいること。「十字架」を背負おうと思っても、いまの僕に出来ることはこれくらいである。素敵な日記だった。だからこそ、辛い。
◆フレーズ
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋れているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。22
ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。57
どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。341
ひとに沈黙を強いることはできても、ひとそれぞれが意見を持つことまでは妨げることができません。349
わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。362
わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。365
わたしはぜひともなにかを得たい。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。433
わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!434
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