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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

279.アーロン収容所 (会田雄次)

ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させつつ西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合がここにある。この強烈な事実のもつ説得力の前に、私たちの西欧観は再出発を余儀なくさせられるだろう。

読書の醍醐味の一つは、自分が決して体験しないであろうことを知ることにある。この点、ビルマで終戦を迎え現地の収容所に入れられた著者の記録は、読んでいて飽きのこないものであった。

終戦直後、かつての敵に囚われているという状況と、東南アジアの収容所という舞台がマッチして実に奇妙な感じをうける。そこでは価値観の差異だけでなく、人間普遍の「おかしみ」のようなものも露わになっている。

あらすじや前書きでは「イギリス人の黒い一面」が強調されているが、それにこだわって読む必要はない。近現代史を一瞥すれば、イギリス人が後ろ暗いのは自明である。読者はひとりの捕虜の体験や感性を堪能できれば、それで充分だ。

「佐藤優が選ぶ中公新書」という帯がついた著作は、前作の『教養主義の没落』に続き二冊目だ。いまのところハズレがない。おすすめである。


▽「人間はどんなことにでも慣れられる存在だ」
シベリアの監獄にいたことがあるドストエフスキーは、当時を振り返った『死の家の記録』で上のように書いている。どんなに絶望に近い状況でも、人間は人間らしく暮らすことができる。この本は、さしずめ日本版『死の家の記録』ということになろうか。

捕虜となった日本兵は、言わばイギリス人に生殺与奪を握られた存在である。それなのに、彼らは作業をサボタージュしたり、物資を拝借したり、自分たちで芝居を開いたり、イギリス人や現地人をコケにして笑い合ったりしている。

著者の軽快な語り口に、読者は思わず苦笑いさせられる。人間とはなんと逞しい生き物か。プロパガンダに裏切られ、敗戦を喫し、敵にその身を委ねさせられてもなお、彼らの批判精神はいっそう強く鍛え上げられた観がある。

収容所だろうが刑務所だろうが、そこに人間がいる限り「人間味」の片鱗は必ず光を放つ。東南アジアで捕虜になった人の身にも、面白おかしいことはたくさん起こる。このことが、読者をどこか愉快な気持ちにさせる。


▽この本から何を学ぶか
この本は反戦のために書かれた本でもないし、ヨーロッパ人批判の本でもない。たしかに副題には「西欧ヒューマニズムの限界」とあるが、彼らのホンネとタテマエが見透かされるようになった現代に、そうした視点はたいして重要でない。

今日の読者がこの本から学べることは、「自分とは違う存在を面白がること」の精神だと言えそうである。

高慢だが計算の苦手なイギリス人、意気地のないインド人、堅物だが純朴なグルカ人…。彼らに対する著者の視点は、自分たちと違う感覚を持って行動する人間を単純に面白がるものであった。

インド人と同じだというのに反撥するのは、人種的な意味ではない。「日本の女の人はもっと白く美しい。おれの女房はこんなに真っ黒じゃない」という無邪気なことからきているのである。

差別を廃することとは、差異を無視し、強いて均一にすることではない。差異を「あるもの」として捉え、その一種の諦観を前提にして触れ合い、観察しあうことである。諧謔に富みながらどこか冷めている著者の筆致は、この点参考になる。

収容所生活をくぐり抜けた筆者のように、異文化を背景とする相手を「私たちと違う」と考えることは、今後ますます重要になってくるだろう。妙に理想主義的になって「相手も私と同じ人間」などと考えることのほうが、よっぽど危ないような気がするのである。


◆気に入ったフレーズ
かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。

残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。それは文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという価値の問題ではない。

英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなったのである。

「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう」

大東亜戦争のお題目であった「アジア民族の統一」という理想を、兵隊たちは皮膚感覚としては持ちえなかったのである。

インド人と同じだというのに反撥するのは、人種的な意味ではない。「日本の女の人はもっと白く美しい。おれの女房はこんなに真っ黒じゃない」という無邪気なことからきているのである。

外貌を気にするのはどの人種でも同じである。しかし私たちの気にしかたにはどこか異常なところがある。

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278.教養主義の没落 (竹内洋)

1970年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

大正時代から半世紀にわたって学生文化を照らし続けた教養主義の諸相と、その没落を描いた本である。単なる懐古趣味にも見えるタイトルだが、中身はかなり公平に記述されている。

教養主義とは何か。それはなぜ栄え、なぜ凋落したか。教養の輝きが届かなくなった私たちは、いったい何を失ったのか。そんな核心的な問いを考えるうえでも、非常に有益な一冊である。


▽教養主義を支えていたもの
いったい何が半世紀ものあいだ教養主義を支えていたのか。筆者は、教養主義の光が鈍り、メッキが剥がれだした学生紛争時代にその答えを見出している。

教養主義が没落した背景には、大学進学率の高まりがあった。「象牙の塔」の門戸が多くの「大衆」に開かれたとき、「教養は一握りのインテリによって独占されている」という現実が露わになったのである。

大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと、大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない、と。

「文化資本」とは社会学者ブルデューの言葉で、周囲の環境や習慣から引き継がれる資本を指す。教養や教育といった「文化資本」が社会の上位層によって占有され、それが階級の「再生産」に繋がっていることを彼は示した。

日本の「インテリ」になりきれない大学生も、そんな「教養」の背後にある構造を見抜いてしまったのである。学生紛争は、「教養への憧れ」と、「教養を独占し高説を垂れる知識人への反感」とが爆発したものだった。

大衆が大学に通うことで、教養主義を支えていた「インテリ」と「民衆」の線引きは融解していった。「インテリのもの」である教養は、「大衆」を助けはしない。それに気付いた人々が「教養」から距離を置くようになったのも、当然の帰結であった。

著者はこう結論付けている。
教養主義が存続しえたのは、庶民やインテリが明確な階層文化をともなって実体的に存在していたことが大きい。


▽教養のあり方への探求
教養には二つの面がある。ひとつは、インテリを他の階層と区別させるための機能であり、これについては上述した。もうひとつは、教養それ自体がもつ「良さ」である。

筆者は教養の力として「適応」、「超越」、「自省」の三つを挙げているが、これも一例だろう。今まで見えなかった世界が見え、それまで想像の埒外だったところに考えが及ぶようになる。敷居は高いが、教養はそれ自体として良いものである。

しかし、教養がなくても生きるうえで不自由しないのも事実だ。「わざわざ難解な本を読んで時間を費やすことに何の意味があるのか」というのも正論であり、それでも教養が大切だと言うならばきちんとした説明が求められる。

「教養」とはどのようなものであり、なぜ必要なのか。教養主義の没落を見た現在、私たちは「教養」のあり方をもう一度考え直さなければならない。


▽教養のめざすところ
少し私見を書き散らして終わりにしたい。今日における教養の必要性とは、社会に散らばった種々の「専門知」を連携させることにあると考えられる。

現代の学問・研究は高度に発達し、どの分野にも「スペシャリスト」がいる。しかし、世の中を前進させるには種々の「専門知」を、柔軟に使いこなすことも求められる。ここに、「ゼネラリスト」としての教養人の必要が生じる。

社会科学や自然科学、文学、そして芸術についての知識をもち、それらを適宜用いる機知に富んだ人。「専門知」が発達した現代だからこそ、そうした「教養人」の発想が愈々大切になっていくだろう。

J.S.ミルによる定義は、こうした「教養人」のイメージによく当てはまっている。さしあたり、彼の言葉を目標に据えて静かに「教養」を蓄えていきたい。

「(教養人とは)すべてにおいて何事かを知っており、何事かについてすべてを知っている人」


◆気に入ったフレーズ
読書をつうじた人格形成主義や社会改良主義という意味での教養主義は、なぜかくも学生を魅了したのだろうか。そして、なぜ、教養からオーラが、教養主義から魅惑が喪失してしまったのだろうか。

「世界には百度読み返しても読み足りないほどの傑作がある。そういう物の前にひざまづくことを覚えたまえ」

漱石は天才ではなく、秀才である。秀才文化が教養である。

一般に学歴エリート文化は、伝統的な上流階級文化と「融和」して作られるか、「対立」してあらたに作られるかのどちらかである。

教養主義が存続しえたのは、庶民やインテリが明確な階層文化をともなって実体的に存在していたことが大きい。

大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと、大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない、と。

マス高等教育の中の大学生にとっていまや教養主義は、その差異化機能だけが透けてみえてくる。

近代日本の枠組みの終焉こそ、教養知識人のハビトゥスを産出し、教養と教養主義の輝きをもたらした差異と落差の構造を解体させたものである。

全共闘運動は、教養主義への愛憎並存からくる一種絶望的な求愛運動だった。

「適応」、「超越」、「自省」

新しい時代の教養を考えることは、人間における矜恃と高貴さ、文化における自省と超越機能の回復の道の探索である。

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277.日本政治とメディア (逢坂巌)

1953年のテレビ放送開始は、政治家とメディアの関係を大きく変えた。政治家たちは出演してPRに努める一方、時に圧力をかけ、報道に影響を与えようとする。戦後政治史をたどり、政治家と国民とのコミュニケーションのあり方を問い直す。

「天声人語」、民の声は神の声であるという。指導者にとって最も重要な訓戒の一つだ。この点、メディアは指導者に民の声を届け、民に指導者の声を届け続けてきた。

新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネット…。メディアはそれぞれの特徴を活かしながら政治を捉え、民衆の前に提示する。盲目の神は、神たりえない。メディアは民衆という「神」の眼となり、耳となってきた。

この本は、メディアを主人公にして日本政治を俯瞰した一冊である。メディアの追及をどういなすべきか、民の声とどう向き合うべきか。政治家たちの苦悩が透けて見えてくるようで、たいへん興味深かった。


▽岐路に立つメディアと政治
戦後の日本政治は、大衆の政治参加に対して、「組織」と「経済成長」を対置して対応してきたが、その両者が弱っていくなかで、改めて「政治」は「大衆」と直接向き合いはじめた。

この文が、本の冒頭にある問題意識を端的に表している。政治はいま、大衆に対して従来とは全く異なる対峙の仕方をさせられている。その要因を著者は①無党派層が増えたことと、②インターネットの発達のふたつだと考えている。

1990年代まで、各政党は確固とした支持基盤を持っていた。ところが94年の自社さによる連立政権が、日本人の「政党」に対する信頼を大きく損ねる。以来、無党派層の割合が50%前後を占めるようになった。

もはや地元への演説や練り歩きだけでの勝利は覚束なくなった。勝つために「風」を起こしたい政治家にとって、マスメディアの利用は絶対的な条件となったのである。

一方で、インターネットの発達は政治家個人が直接情報を発信することを可能にした。「ネット選挙」が解禁になったが、これから彼らがどうやって新しいメディアを使いこなしていくかも、注目に値する。


▽政治は身近であるべきか
この本は綺麗に日本政治史を俯瞰するのがメインであり、これといった結論を出していない。メディアがどうあるべきか、政治と大衆はどう関わるべきか、答えを出すのは私たち一人ひとりである。

政治家は民衆に近くあろうとする。それが民主主義の理念であると。「神の声」が聞こえないような政治家は、確かに政治家失格である。

しかし、「距離が近ければいい」というのも疑わしい。専門的な問題や大局観が求められる問題、秘密を要する問題、早急な行動が求められる問題など、民衆から離れたところで下されるべき決断も、現実には少なからず存在する。

テレビで政治家の「キャラクター」が可視化された。ネットで政治家と直接関われるようになった。そうした時代がどういう顛末を生むか、まだ誰も知らない。

戦時中のリベラル派ジャーナリスト清沢冽は、政治を憂いて自殺した一般人をこう批判した。
「彼は国家と云ふ大きな石垣が一足飛びで出来ると思って居る。見上げる上の方の欠陥が実は下から積み上げねばどうも出来ないものである事を忘れて居る。」

やはり、政治と民衆には適切な距離があることを思わされる。いくらメディアが政治を「お茶の間」に届け、身近にしても、依然としてそれは怖い営みなのである。

社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。
トマス・ペイン『コモンセンス』の一節を思い出す。「神」が気軽に足を踏み入れるには、政治の現場はあまりに血なまぐさい。

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276. 車輪の下 (ヘッセ)

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待に応えようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通るが、そこでの生活は少年の心理を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする。子供の心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説である。

今日はセンター試験の二日目だ。全国の受験生が会場でしのぎを削っていることだろう。筆者も4年前の昨日、今日と受けたのを覚えている。頭に血がのぼり、現代文を読んでいるときに鼻血が出た。なつかしい、なつかしい。

小学校から高校までの「教育機関」、その「教育」の到達度を計るのがセンター試験だ。選択肢を選ぶセンター試験に、個性はいらない。「あなたは普通のプロセスを経て平準化された答えを導き出せるか」というのが問われている。

試験を経て、学生は「学問の府」たる大学に入る。個性でもなんでも存分に発揮して、自らを学究に向けなければならない。教育機関でないから、手とり足とり指導してくれる人もいない。生徒は自力で世界観を広げ、学問の道を歩んでいく。

大学を高校の延長のように通う人がいる。逆に、大学生のように乱れた生活をして高校に通う人もいる。批判をするわけではないが、それはそれぞれの機関が持つ本分から逸れた生き方だと言える。詳しくは後述する。

ヘッセの「車輪の下」は、教育を通じて起こった悲劇である。「教育」というものを考えながら、書評を書いてみたい。


▽教育
社会学的に言わせると、教育とは「人間に社会生活を可能にさせるための訓練」だ。子どもに常識的知識を学ばせ、常識的習慣を身に着けさせる。そうすることで「時間を守り、同僚と意志疎通し、上司の言うことを聞く」人間が出来上がる。

彼らは学校の時間割を通じて「規則正しい生活」を組み込まれる。校則を通じて「遵法精神」を植え込まれる。友人をつくることで「コミュニケーション能力」を鍛えられる。すべて、社会で「普通に」過ごすための素養だ。

これを逆にみると、教育とは「社会秩序を維持するための機能」である。子どもたちは学校で権力に従うことを知り、そして社会秩序に沿った内容の知識を学んでいく。大人になったとき、いつのまにか彼らは社会秩序の担い手になっている。

モームの小説「人間の絆」で、学校を去ろうとする主人公に校長がこんな言葉を投げかける場面があった。
「むろん学校というものはね、普通の人間のためにできているのだ。普通の人間以外のものに、そう、かかずらっている時間は、ないからな」

教育とは、あくまで「普通の人」のためにある。9時から17時まで、上司に反抗することなく働ける人間をつくるためにある。教育の目的は99人の凡人を作り上げることであって、1人の天才がそこで生まれたとしても、それは副産物にすぎない。

ヘッセは教育を「車輪の下」と形容した。教育を受ける側は「普通」になるためのレールを敷かれ、わき目も振らず走り続けるしかない。

物語の序盤、主人公のハンスは試験で「非凡さ」を認められて神学校に進む。皮肉なことに、そうすることで彼は一段と厳しい「車輪の下」に自ら身を置いてしまったのである。


▽「普通さ」との軋轢
神学校に進んだハンスは、小さな詩人・ハイルナーと親しくなる。彼は成績こそ普通だったが、がり勉の同級生にはない超然とした態度と世界観を持っていた。彼との交流を通じてハンスの自我は少しずつ目覚め、「教育」を相対化しはじめる。

「普通」を志向しがちな教育にとって、大きすぎる個性や才能は邪魔になる。ハイルナーは反抗的な態度が問題視されて放校され、心の整理がつかなくなったハンスも学業が手に着かなくなり、後を追うように学校を退く。

故郷に帰ったハンスは、豊かな自然と親しみ、恋も経験する。ハイルナーに教えられた視点が、彼に世界の広さと、自然を愛する術を教えたようであった。きらきらと輝く描写が連なり、少年ハンスの日常のよろこびが伝わってくる。

ただ、それらの楽しい出来事は幼いハンスが受験勉強のために犠牲にしてきたものであった。その喪失感が、文章に静かな影を落としてもいた。

その感情に耐えきれなかったのか、あるいは学校を辞めたことへの敗北感からか、物語の終幕で若きハンスは命を落とす。「車輪」はハンスの内面を矯正することに失敗し、彼はその下敷きになった。

果たして、あのまま神学校の優等生として生き続けるのと、世界の広さや美しさ、楽しさを知って死んでいくのと、どちらがハンスにとって幸せだったのだろうか。ひとりの小さな秀才の死は、そんな問いを投げかけてくる。

絶えず頭痛に煩わされていたハンス。きゃしゃで顔色の悪い主人公の様子は、この本の表紙にも描かれている。答えのない問いだと分かっていても、私たちはやはり呟いてしまう。教育って何なのだろう、と。


◆気に入ったフレーズ
「そうだと分かっていたら、完全に一番になれたのに」

生は死よりも強く、信仰は疑いより強い。

「魂をそこなうよりは、肉体を十ぺん滅ぼすことだ」

「勤勉だ努力だと、ただもうあくせくやっているんじゃね」

ハンスの知っている心配とか願望とかいうものは、ハイルナーにはまったく存在しなかった。彼は自分の考えやことばを持ち、一段と熱のある自由な生活をしていた。

「きみはどんな勉強でも好きで、すすんでやってるのじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ」

「疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」

およそ健康な生活には内容と目標がなければならない。

清い寝床に横たわっている子どもは相変わらず、美しい額と青白い利口そうな顔をして、なにか特別なもので、ほかの人とは違った運命を持つ生来の権利があるかのように見えた。

「あすこに行く連中も、あの子をこういうはめに落とす手伝いをしたんじゃ」

「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」

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275. フランクフルト学派 (細見和之)

ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、フロム、マルクーゼ…。1923年に設立された社会研究所に結集した一群の思想家たちを「フランクフルト学派」とよぶ。かれらは反ユダヤ主義と対決し、マルクスとフロイトの思想を統合して独自の「批判理論」を構築した。その始まりからナチ台頭後のアメリカ亡命期、戦後ドイツにおける活躍を描き、第二世代ハーバーマスによる新たな展開、さらに多様な思想像の未来まで展望する。


▽フランクフルト学派
ホロコースト、第二次大戦下のナチスドイツによって遂行されたユダヤ人の大量虐殺。約600万人が、名前の代わりに番号を振られ、頭を刈られ、持ち物を奪われた挙句、匿名のまま死んでいった。

累々と積み上げられていく同胞の死を受けて、ペンをとった者たちがいた。虐殺を招いたファシズムの起源を突き止め、二度とその惨禍を繰り返させない。ヨーロッパ文化や民主主義に鋭くメスを入れた彼らは、後に「フランクフルト学派」と呼ばれた。

この本は、様々な思想家を抱える「フランクフルト学派」の奮闘の歴史を俯瞰したものだ。上手にまとめており、原典への導入には丁度いい。ただ、核心に迫るスリルがなく、物足りなかったというのが正直な感想である。

ともあれ、20世紀から投げかけられる問いについて考える、いいきっかけになったと思う。ユダヤ人としてアウシュヴィッツに向かい合う、彼らの問題意識はたいへん深い。


▽「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」
アドルノによるこの一節が、本書を貫く問題意識である。アウシュヴィッツによって「文化」や「文明」の存在意義が根底から揺らいでしまった、ということへの比喩だ。

なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか。
ホルクハイマーとアドルノの共著「啓蒙の弁証法」の冒頭には、こんな問いが投げかれられている。最も先進的で開明的なヨーロッパ文明が、なぜナチスの台頭を許したのか。そこから彼らの研究はスタートする。

ルソーが「人間不平等起原論」で人類発展の先に「不平等の固定化」を見出したように、フランクフルト学派の研究者たちはその先に「野蛮」を見出した。そこから逃れる道を、彼らは「理論」という武器を使って切り開いていったのだ。

ここで具体的な議論の中身に立ち入ることはしない。あとで原典を読むつもりだ。


▽アウシュヴィッツという場所
それにしても思い出すのは、留学中に訪ねたアウシュヴィッツの光景である。

乾いた砂利道、レンガ造りで同質的な建物、そして不気味なほど綺麗に区画整備された敷地。数えきれない命が非人間的に殺された事実を、ずらりと並ぶ顔写真が物語っていた。そよぐ風が、妙に重たかった。

ガラス越しに覗ける大きな部屋がある。大量の髪の毛、没収された時計や靴が、いまでもそこに展示されている。ここから、現代世界は鋭く問われているのだと感じた。

繁栄と文化を作り上げた先に、何があるのか。「戦後70年」の先に、いったい何が待ちうけているのか。その答えが、新たな偏狭さと闘争、悲惨であってはならない。絶対にならない。

第二次大戦を生き抜いたユダヤ人とは、比喩的に言えば「半死半生」のような存在である。ファシズムの台頭を許した社会に対して、彼らは研究を紡ぎ続けるだろう。

そしてその信念のペンが、現代の政治学を支えている。一人の学生として、頭が下がる思いがする。


◆気に入ったフレーズ
「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)

批判的理論は、あくまで批判的理論として、一方で実践に呑みこまれることのない、独自な地位を保持しなければなりません。

「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ」(ベンヤミン)

「書ければ書きたかった手紙という手紙を書くだけの時間が、ぼくには残されていないのだ」(ベンヤミン)

「搾取の終焉とは、進歩を加速させることではもはやなく、進歩から飛躍することである」(ホルクハイマー)

「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか」(「啓蒙の弁証法」)

私たちを雁字搦めに縛っている同一化の呪縛から私たち自身を解き放つことが必要です。

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274. 吾輩は猫である (夏目漱石)

中学教師苦沙弥先生の書斎に集まる明治の俗物紳士たちの語る珍談・奇譚、小事件の数々を、先生の家に迷い込んで飼われている猫の眼から風刺的に描いた、漱石最初の長編小説。江戸落語の笑いの文体と、英国の男性社交界の皮肉な雰囲気と、漱石の英文学の教養とが渾然一体となり、作者の饒舌の才能が遺憾なく発揮された、痛烈・愉快な文明批評の古典的快作である。


▽「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
この小説の魅力は、冒頭に集約されていると言っていい。主人公が猫、しかも、不遜にも「吾輩」などと名乗っている。「物事には様々な見方がある」と言われるが、漱石は可愛らしくもふてぶてしく光る「猫の眼」をそれに選んだ。

さてこの猫、主人は勿論、どんな「偉そうなもの」にも畏れ入らない。「唯我独尊」の精神で言いたい放題、人間社会を皮肉り倒していく。それでも、語り手が猫であるから憎めない。ややもすれば丸め込まれてしまう。

猫の「筆」を借りた形で、漱石の笑いのセンスが遺憾なく発揮されている。100年以上昔の小説に、思わず「にやり」とさせられる。その都度「いやぁ、一本とられた」となるが、それがえもいえず気持ちいい。

物語は猫が苦沙弥先生に拾われる場面からはじまるが、その一ページ目から参ってしまった。
吾輩はここで始めて人間というものを見た。然もあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。

僕も「書生」の端くれだが、なるほど、猫にそう言われると何も言い返せない。ここまでバッサリやられると笑うより仕様がない。こんな感じで、物語は進んでいく。

べつだん小説らしい筋がなく、読むのに多少難渋する。しかし、それぞれのエピソードや偏屈な人間同士の掛け合い、それらに対する猫のツッコミがいちいち面白い。慧眼と思わされるような至言も転がっており、単なる「日常もの」を超えた、結構深い作品である。


▽風刺とは何か
ここから少し物語を離れて、「風刺」について考えてみたい。

「吾輩は猫である」は痛烈な「風刺」によって多くの人々に愛され、読み継がれてきた。一方で、最近フランスの新聞社では「風刺画」をめぐってテロ事件が発生した。何がその明暗を分けたか。

そもそも、「言論」や「表現」というものは、それを「受け取る他者」がいなければ成立しえないことを、私たちはもっと考えなければならない。他者への配慮に欠いたそれは、建設的な議論を呼ぶどころか対立を煽り、「言論」や「表現」をむしろ破壊する方向に働く。

ヘイトスピーチにも朝日新聞バッシングにも通じることだ。「言論の自由」は決して「人を傷つける自由」ではない。

弱い主体(たとえば猫)がペンをふるう分には、遠慮することはない、存分にやればよい。相手が「権力」や「暴力」であるのなら、なおのことだ。

ただ、力のある新聞社となると、話は少し違ってくる。権力化した「言論の自由」によって、弱い人が傷つく可能性もある。そうである以上、ペンを振るう相手はテロリストの暴力であるべきで、敬虔なムスリムであってはならない。

人間の定義を云うと外に何にもない。只いらざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。

互いに礼を失することなく、話し合い妥協点を探れることこそが、言論の持ち味であったはずなのに。昨今の様々な事情を見るに、「いらざる対立を捏造して自ら苦しむ」という言葉が近いかもしれない。

テロが起こった以上、それに屈するわけにはいかない。新聞社の編集方針は厳しくなり、状況は先鋭化していくだろう。あぁ、また余計なことをやっているなと、猫も呆れているのではないか。


◆気に入ったフレーズ
吾輩は猫である。名前はまだ無い。

吾輩はここで始めて人間というものを見た。然もあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。

いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。

元来人間というものは自己の力量に慢じて皆んな増長している。少し人間より強いものが出て来て虐めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。

人間というものは時間を潰す為めに強いて口を運動させて、可笑しくもないことを笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりする外に能もない者だと思った。

髭を生やして怪しからなければ猫などは一疋だって怪しかり様がない。

世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。

事を知るのは年をとるの罪である。

心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配をしたって法が付かんからである。

逆上せんと何も出来ない事がある。その中で尤も逆上を重んずるのは詩人である。

「西洋の文明は積極的、進歩的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ」

人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹頭徹尾に感じた者でないと苦労人とは云えない。

鏡は自惚れの醸造機である如く、同時に自慢の消毒器である。

分からぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべかざる辺には何だか気高い心持が起こるものだ。

試験してみれば必ず失望するにきまってる事ですら、最後の失望を自ら事実の上に受取るまでは承知出来んものである。

人間の定義を云うと外に何にもない。只いらざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。

己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。

人から珍重される人間程怪しいものはない。

冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと力めないのは正直な人である。

呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。

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273. マクベス (シェイクスピア)

かねてから、心の底では王位を望んでいたスコットランドの武将マクベスは、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と激しく意志的な夫人の教唆により野心を実行に移していく。王ダンカンを自分の城で暗殺し王位を奪ったマクベスは、その王位を失うことへの不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく…。シェイクスピア四大悲劇中でも最も密度の高い凝集力をもつ作品である。


悪に手を染めて勝ち取ったものを守るために、さらなる悪が必要になる。悪の上に悪が募れば、それは破局へと続く階段になる。本作においてシェイクスピアは、そんな「悪役の身の破滅」を劇的に描き出した。

魔女たちの予言によって野心を唆され、スコットランド王位を簒奪したマクベス。手を下した者たちの霊や、謀反の気配、そして自らを弄ぶ運命そのものに怯えながら、彼は悪事へと傾倒していく。

一たび悪事に手を着けたら、最後の仕上げも悪の手にゆだねることだ。
このセリフが、悲劇の核心を突いている。物語は悪事とともに幕を開け、悪事とともに展開し、その清算によって幕を下ろす。


▽「マクベス」の主人公は誰か
よく本作は「ハムレット」と対比されるらしい。月並みな分析に乗っかるのはあまり気が進まないが、一度この対比を用いて「マクベス」を眺めてみたい。

ハムレットは父を陰謀によって殺された王子であり、マクベスは王位の簒奪者だ。この点、二人の立場は対照的であるが、話の筋は極めて似通っている。

"To be, or not to be"のセリフで知られる「ハムレット」の面白さは、主人公の内側にある。読者は復讐の瞬間までハムレットの内側に静かに息づく葛藤、苦しみを楽しむ。

他方、マクベスにはそうした精神的葛藤が見られない。獲得したものを失うことばかりを怖れ、極端に言えば人間的深みがない。一方でストーリーの面白さ(テンポの良さ、伏線の工夫など)は「ハムレット」の比ではない。

概して言ってしまえば「ハムレット」は人間を味わうものであり、「マクベス」はストーリーを味わうものである。マクベスの人間像が浅く見えるのは、彼が「典型的悪役」としてストーリーにハマるよう振る舞うことを要求されているからだろう。

「ハムレット」の主人公は、ハムレットという個人である。「マクベス」はそうではない。人間としてのマクベスが主人公というよりは、むしろ彼の言動から見える「悪」という抽象こそが主人公なのである。


▽マクベスの不思議
それにしても、実に不思議な作品である。読了してから三日三晩考えたのだが、一体どうしてあんなに面白く感じたのか分からない。この書評を書きあぐねているのも、そのためだ。

「悪は必ず滅びる」というメッセージを読み取るには、あまりにマクベスの手抜かりは多かった。「マクベスは運命によって滅んだのだ」と言ってしまえば、何一つ掬い取れないで終わってしまう。かといって、ご都合主義を感じたこともなかった。

考えれば考えるほど分からなくなる。なぜあれほど面白かったのか。マクベスは悪に手を染めて地位を奪い、それが脅かされることを恐怖するあまり悪行を積み重ね、死ぬべくして死んだ。こんなありきたりな三文小説が、しかし、シェイクスピアによって書かれ、しかも面白いから始末におえない。

考えすぎて、どうも馬鹿らしくなってしまった。解釈抜きに面白い作品だってあるということか。ここまで付き合っていただいてこんなことを言うのも酷であるが、こんな素人の書評を読むくらいだったら、原作を直接読んだほうがいい。面白いから。


◆気に入ったフレーズ
新しく与えられた栄誉は、着なれぬ衣同様、しばらくは身につかぬものだ。

眼は、手のなすところを、見て見ぬふりをするのだ。

男にふさわしいことなら、何でもやってのけよう、それも度がすぎれば、もう男ではない、人間ではない。

せっぱ詰れば、自分の命を盗んで逃げる、それより仕方あるまい。

一たび悪事に手を着けたら、最後の仕上げも悪の手にゆだねることだ。

生き身の人間、うぬぼれこそが、何より大敵なのよ。

恨みを剣の砥石にして、悲哀を怒りに変えるのだ、心を眠らせるな、激しく燃えあがらせてくれ。

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272. クリスマス・キャロル (ディケンズ)

ケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクルージ老人は、クリスマス・イブの夜、相棒だった老マーレイの霊と対面し、翌日からは彼の予言どおりに第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家を訪問する。炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人々や、自分の将来の姿を見せられて、さすがのスクルージも心をいれかえた…。文豪が贈る愛と感動のクリスマス・プレゼント。

クリスマスというのは、実に素敵な慣行だ。あれほど多くの人を笑顔にする日が、他にあるだろうか。

光が街を飾り、いつもの景色は煌びやかになる。あたりを流れるクリスマス・ソングを口ずさむうちに、誰もが上機嫌になる。クリスマスは、私たちが上機嫌になる理由を与えてくれる。

ディケンズによる「クリスマス・キャロル」も、そんな特別な日を舞台にしている。短編だから2時間程度で読めるが、読者を幸せな気持ちでいっぱいにしてくれる、歓びに溢れた作品である。


▽幽霊にできなくて、人間にできること
老人スクルージの前に三人の幽霊が現れ、彼の〔過去〕〔現在〕〔未来〕を見せていく。そのうち、彼は自らの冷酷な性質を悔い改めるようになっていく。

幽霊は古今東西を自在に旅し、スクルージをあらゆる場面へと連れていく。ただし、彼らは現実の出来事を見ることはできても、それを直接変える力は持たない。

幽霊は人々を救いたいと心底欲しているが、その力がない。スクルージは、彼らを救う力を持っているが、それをしようとしてこなかった。両者をこう対比させると、物語のメッセージがより鮮明に浮かび上がる。

彼らすべての幽霊たちの不幸は、人間の世の中の事件に関係して助力したいと願いながら、永久にその力を失ってしまったことである。

人間には、人を幸せにする力がある。それを自覚し、かつ、その力を惜しみなく発揮することを、ディケンズは促しているのである。


▽とりあえず、上機嫌でいること
病気や悲しみが伝染する一方、笑いと上機嫌もまた世の中でこの上なしの伝染力を振るうものである。

本を読む限り、ディケンズは読者に「いついかなる時でも上機嫌であること」を求めているように思える。上機嫌であれば、悲しみを笑い飛ばすことができる。人を笑わせ、周囲を明るくすることができる。

あなたの上機嫌は、周りの人を上機嫌にする。それが細く長く繋がれば、社会も少しずつ幸福になっていく。あなたが何も持っていなくても、上機嫌だけは分け与えることができる。フランスの哲学者・アランの「幸福論」にも、同じようなことが書かれていた記憶がある。

上機嫌というのは、使い減りしない資本だ。それを生きているうちに十分に活用しなさいよ、というのが、この短編から得られるもうひとつの大切な教訓である。

「私は心からクリスマスを尊び、一年中その気持ちですごすようにいたすつもりです」

最後のスクルージの誓いに、読者も思わず頷いてしまう。そうだ、私も人に優しくしよう、常に上機嫌で生きていこう…、と。在りし日の文豪の霊も、そんな読者をどこかで見守りながら、微笑んでいることだろう。


◆気に入ったフレーズ
彼らすべての幽霊たちの不幸は、人間の世の中の事件に関係して助力したいと願いながら、永久にその力を失ってしまったことである。

病気や悲しみが伝染する一方、笑いと上機嫌もまた世の中でこの上なしの伝染力を振るうものである。

「この男の子は『無知』で、この女の子は『欠乏』だ。この二人とその仲間たちに用心しなさい」

「私は心からクリスマスを尊び、一年中その気持ちですごすようにいたすつもりです」

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271.永遠平和のために (カント)

世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか。カント(1724-1804)は、常備軍の全廃、諸国家の民主化、国際連合の創設などの具体的提起を行い、さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして、人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務付ける。あらためて熟読されるべき平和論の古典。


当たり前のように、2015年が来た。僕が学生でいられるのも4月まで。自分のことを棚に上げてものを書き散らすことも、それまでしか許されない。

「一年の計は元旦にあり」と言ったか。ギリギリ学生である僕は、「一年の計」よりもむしろ「世界の平和」を考えることにする。「少年老い易く学成り難し」。自分の計画など、そのうち勝手にたってしまうだろう。


▽カントという哲学者
「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」。
この一節で知られるカントは、非常に厳格な哲学を打ち立てた。どこか「道徳原理主義者」という感じすら与える。

非常に几帳面で、規則正しい生活を送っていたらしい。近所の人びとは毎日同じ時刻に散歩に出かけるカントの姿を見て、時計のズレを直していたという逸話もある。そんな彼の性格は、哲学にも色濃く反映されている。

彼は、「道徳はいかなる状況でも同じ行動を人に要求する」とした。「誤魔化し」の介在を許さず、方便で使い分けられる道徳を否定し、内実の伴わない正義を糾弾した。

彼によれば、行動とは、その効果でなく、その行動自体で評価されなければならない。「良かれと思って」ついた嘘も、嘘自体が道徳に反する行為であることに変わりなく、いかなる理由があっても肯定されるべきではないという。

本著は、そんなカントが71歳に達したころに著したものだ。彼が目指したのは「永遠」の「平和」。晩年を迎えてもなお、究極的な問いと格闘し続けたのだ。


▽カントの永遠平和
彼が想定する「平和」も、厳密で偽りのないものだ。それは単に戦争がないだけでなく、戦争に繋がる「火種」も存在しない状態を指している。言わば、彼はここで戦争への「根治療法」を試みているのである。

具体的には、第一章で「将来の戦争の種を密かに留保した平和条約」や「常備軍」、「国家同士の信義を失わせる行為」などの廃絶を訴える。また続く第二章で、より積極的な施策として「諸国家の共和政化」や「国際連合の創設」などを提案している。

さらにカントは補論を付け加え、そこで自身の主張と「永遠の平和」が机上の空論でないことを説明している。自然が平和と相容れないものではないことを示したあと、彼は言う。「あとは人類の努力次第である」、と。

平和状態は、創設されなければならない。

ここに、カントの思想の核心がある。永遠平和は決して実現不可能ではない。ただし、人間はそのために能動的に働き、努力を続けなければならないと、彼は説く。

これについて、いろいろな批判を述べることは可能であろう。そもそも道徳が本当に無条件で命令するものなのか、それが本当に万人に通じる普遍性を持っているのか、私たちには分からない。もしかすると、現代においてカントの思想は古臭いものなのかもしれない。

それでも、彼の言葉には依然として独特の「重み」がある。「平和」を考えるとき、私たちはこの一冊をどうしても読まなければいけない。「永遠平和のために」と銘打たれたこの本は、「平和のために、まだ何か出来るはずだ」と考える姿勢を、私たちに教えてくれるのである。


◆気に入ったフレーズ
国家は、国家それ自身以外のなにものにも支配されたり、処理されたりしてはならない人間社会である。

戦争のさなかでも敵の志操に対するなんらかの信頼がなお残っているはずで、そうでなければ、平和を締結することも不可能であろう。

平和状態は、創設されなければならない。

自由とは、それによって他人に不法を行わない行為の可能性である。

戦争をすべきかどうかを決定するために、国民の賛同が必要となる場合に、国民は戦争のあらゆる苦難を自分自身に背負いこむのを覚悟しなければならないから、こうした割りに合わない賭け事をはじめることにきわめて慎重になる。

諸民族は、隣りあっているだけですでに互いに害しあっている。

道徳は、無条件で命令する諸法則の総体である。

道徳はすでにそれ自体として、客観的な意味における実践である。

道徳的な悪はみずからの意図において、自分自身と矛盾し、自己破壊を生じ、かくして善の原理に、たとえそれが遅々とした歩みでも、ついには場所を明ける。

正義はただ公けに知られるものとしてのみ、考えられることができる。

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