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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

199.世界史 上下 (ウィリアム・H・マクニール)

世界で四十余年にわたって読み続けられているマクニールの「世界史」。人間の歴史の流れを大きく捉え、「きわめて特色ある歴史上の問題」を独自の史観で鮮やかに描き出す。

詳しい近況報告は別のところでしたいと思うが、最近は大学の勉強や旅行などで忙しく、読書のための時間がとれないでいる。多少忙しくてもコンスタントに読んでいければいいと思うが、なかなか思った通りにいかない。特に英語の読み書きにはなかなか時間と体力を奪われるので、日がな一日パソコンの前で作業をした時などは、何もする気がなくなってしまう。

ともあれ、まる一か月という時間をかけて読み終えたのがこのマクニールによる「世界史」である。日本語の文章によるアウトプットも一か月ぶりなので、上手く書けるか心配だ。今回は軸の定まっている類の書物ではないので、特に焦点を一点に絞ることなく、気の向くままに書いていきたい。


▽「世界史」の醍醐味
自分が世界史に目を通すのは大学受験以来になる。この本を読んで最も感じたのは、世界史に対する懐かしさだった。かつて自分を苦しめた(世界史はわりあい好きな科目だったが)名前たちが、再び自分の眼前に姿を現してくる。ただし、マクニールによる語りのために、彼らは高校の時とはまったく違った色彩を帯びているのである。

筆の赴くまま、「色彩」について話してみよう。
歴史と解釈の関係を完全に分けて考えることは非常に難しい。年表的に出来事を並べていけば「歴史的事実」の羅列という形の歴史が完成しそうなものだが、そう簡単な話でもない。
第一に、人々が「歴史的事実」の有無について合意に達しないことですら頻繁にあるという問題がある。たとえば、僕は国際政治の講義で「冷戦の終結」は1989年から1991年の間と教えられた。「冷戦」をどう定義づけるかによって(実はここで既に解釈の余地が入り込んでいる)、「冷戦終結」という歴史的事実は形を変えるのである。
第二に、実際に年表を作るときに「どの出来事が大事でどれが大事でないか」を決めるのは解釈である。言うまでもなく人類史は膨大な情報を蓄えているから、事実を取捨選択しなければならない。そして取捨選択とは、ある特定の価値観に依拠した編集に他ならない。

歴史を語る、とは解釈を語ることである。高校時代の僕が触れ、どっぷり浸かった世界史は山川出版社のそれであった。今回のマクニールの世界史では、使っている単語や紹介される主要人物などは一緒でも、語り方が違った。すでに知っているものの中に新しいものを見いだす、これこそ歴史学の醍醐味ではないか。歴史学と聞けば固定的な印象を受けやすいが、そのじつ極めて創造的な営みなのである。
司馬遼太郎が「解釈のない歴史などは、無味乾燥で何の役にも立たない」と言ったのも、こうした歴史学の特徴を踏まえてのことだったろう。


▽歴史を学ぶこと
世界史は、いままでつねにそうであったように、未知なるものへの栄光ある、挫折多き冒険でありつづけるのである。

歴史について、もう一つ。
歴史は、過去と自らを結び付ける働きを持つ。長大な人類史の潮流の中で自分を位置づけることを可能にすることで、人々の生とその挫折に意味を付与してくれる。今でもそうであるように、多くの一般人が一般的に一生を過ごしていくなかで、それでも、人類は常に進歩し続けてきた。

そんな歴史の栄光が、かつて僕の重要な一つの選択を変えたことがあった。高校世界史のテキストに9.11テロの写真が載せられていたことに、僕は非常に衝撃を受けた。写真は小学校のときに寝ぼけまなこで見ていたテレビの画面と、まったく同じ光景だった。
僕はあの時、「今」と「歴史」が繋がっていることを知った。ニュースはやがて「歴史的事実」として語り継がれるのだと。同時に、僕にも歴史の歯車に手をかけるチャンスを与えられる可能性があることも知った。僕が大学で政治学を学びたいと思ったのは、その歴史の栄光に魅せられたからに他ならない。

マクニールを読んでいるときも、常にその最終章に自分の時代があることを意識していた。歴史という自分より偉大な存在、その大きさ自体もまた、歴史を学ぶことの魅力の一つにもなっている。


▽名文の条件としての知識
次は一度、歴史から離れて話をしたい。
僕は中学の時いらい、名言や格言を集める習慣がある。短い言葉が時に一つの小説よりも心を動かすということに気付いてから、「これは」と思うものを見るにつけメモをとるようにしている。
名言や格言の魅力は、その濃さにある。膨大な時間、知識、経験の集積に裏打ちされた上で核心をついた一言にだけ、人を感動させる力が宿る。人口に膾炙する、力ある名言にはそれらが備わっていることが多い。

名言は多くの場合名文である。名文とは多くの要素や背景を持ちながら、それでいて冗長さのない簡潔な文のことだ。脱線ついでに、日本における名文にまつわるエピソードを二つ紹介してみたい。

ひとつは、川端康成「雪国」に関して。
「雪国」の冒頭を「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」だと思っている人が多いだろうが、これは間違い。名文家として知られる川端ならば、「そこは」という余計な言葉は絶対に使わないという。yahoo知恵袋ではこんなお説教も見受けられる。( http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454402454)
ちなみに「雪国」の冒頭は以下の通り。端的でかつ臨場感があり、文章を書く上で目標にしたくなる。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

もう一つは、司馬遼太郎「坂の上の雲」にも出てきた秋山兄弟の弟・秋山真之による名文である。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
こちらも非常に重大な意味を背景にこめた文として知られる。詳しい解説は再びyahoo知恵袋にゆだねたい。( http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213914762)

さて、以上二つの例から名文の二つの条件が考えられる。
ひとつは簡潔で無駄がないこと。
もうひとつは豊かな含蓄を備えていること。

ここで僕が言いたいのは、4000年近い人類史を二冊にまとめたマクニールの本が、名文の宝庫でもあったということだ(名文について語っておきながら、ここまで冗長な話をしてしまった)。彼の膨大な知識に裏打ちされた巨視的な描写によって、名文と呼ぶにふさわしい箇所が多く見受けられた。

いくら線を引いても足りないほどの書物だった。何度か読み返してもいいかもしれない。惜しむらくは、翻訳という作業がそれを多少損ねていたところである。決して駄文ではないが原文に忠実でいようとするために、ぎこちなさの抜けない文章になっている(読みながら推敲する癖があると気になってしまう)。日本語と英語は違う言語だから、これは訳者の責任ではない。ただ、原文との多少の乖離が許される翻訳であれば、非常に美しい文章に満ちた一冊にもなっていただろう。

「世界史」で一貫して見られるマクニールの巨視的な描写から、僕は名文における「知識」の重要性を再確認できた。見えないものは、書けない。よく見えているからこそ、良い文章が書ける。1000文字の文章を書くためには、10000文字の情報が要る。それくらいのプライドをもって、文章を書いていく必要がある。


▽おわりに
一か月ぶりに記事を書いたので、多少時間がかかってしまった。言語の鈍りは、単語の出てくるスピードに最も影響がありそうだ。本を読み終わらなくとも、自分で題材を見つけて記事を書いていく努力の必要性を痛感している。
書評と言いながら、自分のことばかり書いてしまった。次回からはまたきちんと構成と焦点を据えながら記事を書いていきたい。

四月の終わりまでに、二本論文を書かなければいけない。一つは普遍的人権と文化相対主義について、もう一つはポスト構造主義と現代国家について。日本語でも書けるか危ういような題材だが、あえて挑戦してみたい。四月いっぱいは英語での情報収集と執筆に打ち込まざるを得ず、日本語の文章に触れる機会が減りそうだ。しかも次は200記事目と言うことで、超大作を読む予定である。またしばらく書評とは遠ざかりそうだが、記事を書く習慣は何とかして続けたい。


※予定では199記事目は「戦争論」でしたが、上下巻が日本から送られてきた後に中巻の存在を知ったため、今回は断念しました(笑)

◆気に入ったフレーズ
・近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは1500年という年が便利である。

・ヨーロッパの人々は、意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した。

・通常の人にとっては、暴力の減少が実現され、地方において法による支配が確立したことが、フランスおよびその他の西ヨーロッパの国々で、アンシャン・レジームが達成した基本的な成果だったのである。

・人々の革命的感情はきわめて高度に工業化した国々では後退していき、広がってゆく工業化の最前線にあたる地域に残った。

・政治の弾力性と、その権力の拡大。これが西欧文明における民主革命がもたらしたふたつの結果であった。

・計画的発明の工程は、人類の理性がかちえた大きな勝利だった。

・人間社会は、つねに変化に向かって開かれた姿勢と、既存の行き方を守る態度との間で揺れ動いてきた。

・人間社会は、いつも期待の合意に根ざした効果的な大衆の行動と、新思想、新技術に導入された、破壊的な新奇なものとの間の均衡をはからねばならなかった。

・世界史は、いままでつねにそうであったように、未知なるものへの栄光ある、挫折多き冒険でありつづけるのである。

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