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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

一年を振り返る(2013)

このブログを始めてもう2年が経ちました。
今年は131冊読み終えました。
昨年に加えると253冊、このブログで書評を書いたことになりますね。

今年は自分の仕事が終わった年でもあり、逆に新しいことを始める年でもありました。

一月には成人式の幹事をやり、夏にはずっと手伝ってきた母校の野球部とともに夏の大会を闘い終えたりと、正直に言って肩の荷が下りた年でありました。
そんな中でなんとか読書の時間だけは維持してこれだけの冊数を読みこなせたので、まぁ決して怠けていたわけではないんだろうなぁと思います。

九月からはイギリス・ロンドンへ留学に旅立ちました。
ここでは書けないようなことを含めて面白い経験をたくさんしています。
洋書を読んでいないことだけが問題ですね。
ほぼ毎日映画も見てるし、週に一度は新しい人と会ったりしているので英語に触れない日はほとんど無いのですが。

ただ、考えなければいけないのは以下の点でしょう。すなわち、同じ情報量をインプットするなら、日本語のほうが圧倒的に効率が良いということです。
「留学で目指すのはどのレベルか」という話にも繋がりますが、僕は決して今から英語の読解スキルを日本語のそれと並行するまでに高める必要は感じておりません。
日常会話や数時間の雑談で困ったことは今まで一度もない今の英語レベルで、あとは専攻について多少込み入った話題をしゃべることが出来るようになれば十分だと考えております。

これを向上心の欠如と考えるかどうかは読んでいる人次第です。
もちろん最低限は読む必要はあるでしょうから、次のセメスターに向けて政治学の基本的なテキストなどは読み進めようと思います。

留学でことさら勉強しようとは思いません。日本でもう大体のことは自分でやってきました。
僕は、いまのレベルで社会科学を勉強するなら、やはり日本が一番効率が良い場所だと考えています。
留学で求めるのは、漠然とはしていますが、新しい人や物に触れること。
これがきっと10年、20年後に活きてくると信じて、とにかく自分の世界を広げることです。
本を読み、人に会い、知らない場所へ赴く。
これが僕の頭の中で発酵する「素」として蓄積されていくわけです。

留学に来てまで机に向かって部屋に籠るつもりはありません。そういうことは日本でやります。
たとえば夜ふと思い当って、ポケットに£20を突っ込んで適当にパブに向かったり。
そこでたまたま会った人と、雑談をしたり、連絡をとったり、日本語や政治学を教えたり。
「日本でできないこと」というのはこういう類の挑戦です。
基本的にものぐさな性格ですが、なんとか積極的に外出しようと思います(引きこもりの所信表明みたいですが)。


さて、2014年はまた区切りになりそうな年です。
留学は五月の末に終わって、一か月ほどヨーロッパを放浪する予定です。
まだ具体的な予定はたててません。出来るだけたくさん回りたいなぁと思っています。

帰ってきたら就活です。
普通の学生と同じように春の就活が出来ないので不利な立場だと思いますが、まぁどこであろうと決まった就職先で頑張って働くだけでしょう。

就活ははっきり言えば期待しないほうが良いかなと思っています。
留学することにした根拠は薄弱ですし、大学生活でやってきたことと言えば二年ほど野球部の面倒を見たこととこのブログくらい。留学で日本語の作文技術が鈍っているようにも思われます。

僕は中長期での取り組みなら自信はありますが、一発勝負は自信がありません。
まぁ就活する前にこんな弱気でも仕方がないんですけどね。
たまに僕のことを評価してくださる人もいますが、一目見てそう判断してくれる人がどれほどいるか、という話です。だから原則的に、期待しません。


さて、院にでも行かない限り、僕の学生生活は一度幕を閉じるわけです。
色々と苦しみながら勉強したことが多かったですが、大学に入ってからは勉強が楽しくて仕方がなかった。
最後の最後で自分の思い通りに、自発的に学ぶことの方法や楽しさを発見することができました。僕は学生生活を通じて今後60年に活きつづけるような、大きな収穫を得ることができたというべきでしょう。本当にありがたいことだと思います。

どこで働くことになろうと、好きな本を読めて、図書館でメモをとりながら難しい本を読んだりすることができるなら、僕の人生は幸福だと言えそうです。
少しわがままを言うなら、その結果を仕事の場で活かすことができたらなぁ、という程度です。
自分の英語にも自信を持つことができたので、しようと思えば世界中を旅することもできます。

今こうして振り返ってみると、僕はすでに人生を豊かにする資本をたくさん掌中に収めているように思えてきます。
確かに人生の中の2014年というのは多少大きな年になるでしょう。
でも、それがどう転んでも、楽しく生きるだけの手腕を持っているはずなので特に怖がる必要もなさそうですね。

一年最後の更新としてはきわめて焦点のぼやけた記事になりました。
しかし、「文章とはそのまま意識の流れである」という言葉もあります。
特に推敲をすることも見直しもすることなく、このまま投稿します。

みなさん今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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189.権力と支配 (マックス・ウェーバー)

※「本が好き!」という書評レビュー用のコミュニティサイトをはじめました。
優れた書評が沢山そろっています。気になる方はどうぞ。
http://www.honzuki.jp/

ウェーバーの著作全体への入口ともいえる本書は、支配のあり方を比較するために服従する側の動機から接近する。正当性のタイプに基づく支配の三類型(合法的・伝統的・カリスマ的)にはじまって、一つ一つの概念を緻密に検討する粘り強い論考は、やがて官僚制論へと展開しながら、あらゆる「支配」の本質に迫る。社会の科学はここからはじまった。

マックス・ウェーバーの研究で有名なものはいくつもあるが、その中でも「支配の三類型」と「官僚制論」は特に知られているだろう。この本ではこの二つを含めて、「支配」について広くウェーバーの考察が論じられている。第一部は表題と同じ「権力と支配」、第二部は「官僚制」となっている。
本の内容については、引用の他には割愛したい。ここでまとめなくても、政治学や社会学の教科書を開くだけで分かりやすく正確な要約を見ることができるはずである。
ここでは、ウェーバーの著作を実際に眺めてみたという点を重視して感想を書きたい。

▽「権力と支配」をどうやって読んだか
ウェーバーの著作を読むのは「職業としての政治」「職業としての学問」に続いて三つ目である。
前者二つは講演録であるのに対し、この「権力と支配」は学術的な教科書の抜粋となっている。講演録はスイスイと読んでいくことが出来るが、論文的な本はしっかりと論理構成に気を付けながら読む必要があるのでより時間がかかる。
こうした本を読むうえで重要なのは、章立てとそれぞれの小題にきちんと注意を払うことであろう。箇条書きのような形で書かれていることが多いので、頭の中で全体像を作り上げて、今展開されている議論がどこに位置づけられるか考えながら読む必要がある。

もちろん、自分がそれを完璧に行ったわけではない。やろうとするなら、メモを取りながら読む必要がある。自分は単にすこし注意深く読んだ程度である。ウェーバーの研究をより近い距離で見てみたかっただけだ。
先ほども言ったが、この「権力と支配」は多分に教科書的である。議論で言及される範囲も広く、深い。なので社会、国家、権力、官僚制などについて何か問題が起こったとき、もしくは改めて検証が求められるときに、回帰すべき一冊だということも出来よう。メモを取りながら読むのは、その必要に迫られたときで良いというのが自分の結論だ。
学者になりたいなら、ほとんど理解を得るに至るまで読む必要があるだろう。自分は学者になるために本を読んでいるわけではない。ただ必要に迫られたとき学者に準ずる存在になれるように、多様な物差しを求め、訓練しているだけである。

本が難解だからと言って、それに合わせて難解な読み方をする必要はない。本に求めるもの(情報や精神的高揚など)に基づいて読み方を変えることで、より主体的な読書に近づくことができると考えられる。
単に細かく読まなかった自分に対する言い訳かもしれないが。


▽読み物としての「権力と支配」
読み物としては、ウェーバーの(訳者の)洗練された言葉遣いが心地よかった。
自分の興味のない範囲は、読み飛ばしてもいいくらいのつもりで読むといいだろう。個人的には、カリスマ的支配の性格についてと、官僚制論について言及している部分が非常に興味深かった。

たとえば
カリスマ的需要充足は、日常茶飯の生活にまきこまれることを忌避する。
「君主制」にとって負け戦さが危険なのは、君主制のもつカリスマが「正真正銘」でないことが暴露されるからであり、「共和制」にとって勝ち戦さが危険なのは、凱旋将軍がカリスマの資格をもった人物だと目されるからである。
などなど。最終部分でもっと引用したい。


▽考察① 官僚制の功罪について
官僚制の功罪については古くから言われていることである。ただ、それに対する理解はいまだに不足していると言わざるを得ない。詳しくは中公新書「官僚制批判の論理と心理」を読むといい。
政党が「脱官僚」を標榜することで票を集める光景はよく見受けられるが、官僚制無くして今日の国家も、民主主義も成立しえないことをまず理解する必要があるだろう。
ウェーバーの官僚制論では、面白い指摘がいくつかあったのでここで貼っておく。

官僚制的行政は、知識による支配を意味する。
官僚制が「非人間化」されればされるほど、それだけより完全に官僚制は、資本主義に好都合なその独特な特質を発展させることになる。
ひとたび完全に実施されると、官僚制は、もっとも破壊困難な社会組織の一つとなる。
官僚側は「合理的」な性格をもっている。つまり、規則、目的、手段、「没主観的」非人格性が、その一挙手一投足を支配するわけである。

なかでも重要なのは以下の二つの文だろう。
この機構は、それを支配する術をすでに心得ているひとなら、だれのためにもはたらく労をいとわない。
支配は日常茶飯の生活においては、すぐれて行政である。
前者は仮に「脱官僚」を掲げる政党が政権を採ったとしても、官僚機構はトップと大まかな方針が変わっただけで粛々と維持され続けることを端的に示している(もちろん、政官財の「鉄の三角同盟」にメスを入れるという意味では、このスローガンも効果はあるのだろうが)。
後者は、日常生活の中では合理的支配および官僚による支配の重要度が一番高いことを端的に示している。官僚とは政府が国を維持するために一国の知識と技術を集大成させた、いわば精密機械なのである。これなくして近代国家は運営できない。
もちろん官僚制による数々の弊害は多くの識者の認めるところである。しかし、上に示したような理解は、官僚バッシングを見るにつけ、一応心にとどめておく必要があると思わされる。


▽考察② 社会科学について思ったこと
社会科学は科学ではない、とは多くの人が指摘するところだ。仮説と実験、検証というプロセスを踏むことがほぼ不可能であるためである。

だからと言って、その研究は無意味なものであるとは決して言えない。
ウェーバーの本を読めば、西洋史に限らず、数千年にわたる世界中の歴史からあらゆる事例を引き出すことで、非常に緻密な分類を行い、漏らすことなく議論を展開していることがよく理解できる。

なるほど、社会科学が科学のような普遍的な原則を見いだすことは難しいかもしれない。しかし、われわれの手元には膨大な量の歴史という情報が残されている。膨大な人類史の知識を基に展開されたウェーバーの論考を見れば、社会科学にも学問としてどれほど信用するに足るものであるか、感じることが出来るはずである。

かつて素晴らしい社会学者がいた、彼はこういう研究をした、と言ってしまえばそれまでだ。
一度その社会学者の巨星の論考を目の当たりにしてみてほしい。
学問とは何か、という根本的なところから、把握できるはずである。

◆気に入ったフレーズ
・官僚側は「合理的」な性格をもっている。つまり、規則、目的、手段、「没主観的」非人格性が、その一挙手一投足を支配するわけである。

・「民主制」は、それ自体が促進した官僚制化のあらゆる現象にたいするのと同様に、専門試験にたいしても中途半端な態度をとる。

・この機構は、それを支配する術をすでに心得ているひとなら、だれのためにもはたらく労をいとわない。

・ひとたび完全に実施されると、官僚制は、もっとも破壊困難な社会組織の一つとなる。

・官僚制が「非人間化」されればされるほど、それだけより完全に官僚制は、資本主義に好都合なその独特な特質を発展させることになる。

・官僚制化の古典的な基盤は、たとえば政治の領域では、大国家と大衆政党である。

・こうした官職の性格(没主観的な性格)は、規律にもとづく機構の、不動の確固さをもってあたえられた没主観的な諸条件への官僚への統合を容易にするものなのである。

・あらゆる身分社会は、生活様式の規制をつうじて因習的に組織される。

・官職は「天職」である。

・権力分立は、明確な権限をつくりだし、「計算可能性」という一つの契機を官庁機構の機能作用のなかにもちこむ。

・「官庁」という概念をはじめて完全に発達させたのは、歴史的には合議制である。

・合議制は責任を分割するのであって、比較的大きな団体では、この責任の所在は完全に消滅するようになる。

・歴史的現実は、一方または他方の専有あるいは収用をめぐる、首長と行政幹部とのあいだの、多くは潜在的な不断の闘争なのである。

・行政幹部が存在して、法規の実施と強制をめざして持続的に行為するという事実は、あらゆる支配形態において、服従を維持するために死活上の重要問題である。

・「君主制」にとって負け戦さが危険なのは、君主制のもつカリスマが「正真正銘」でないことが暴露されるからであり、「共和制」にとって勝ち戦さが危険なのは、凱旋将軍がカリスマの資格をもった人物だと目されるからである。

・あらゆる支配、したがって、あらゆる服従の基礎は、一人またはそれ以上の支配者のためにささげる信仰、つまり「威信」の信仰にほかならない。

・カリスマ的支配団体は、日常化の進行につれて、日常的支配の諸形態である家産制的支配、とくに身分制的または官僚制的支配へと広汎に合流してゆく。

・カリスマ的基準は、ややもすれば、伝統的•身分的基準に転化しうる。

・カリスマは、「喚起され」たり「試され」たりすることができるだけで、「習得され」るとか、「教えこまれ」ることはできない。

・伝統にしばられた時代では、カリスマは唯一の大きな革命的勢力である。

・カリスマ的支配は、過去を顚覆し、また、この意味で特殊に革命的である。

・理想的な官僚は、憤怒も不公平もなく、憎しみも激情もなく、それゆえ、「愛」も「熱狂」もなしに、ひたすら義務観念の命じるままに、その職務を遂行する。

・官僚制的行政は、知識による支配を意味する。

・あらゆる経験にてらしても、純粋に官僚制的な行政、つまり、官僚制的•単一支配的な、文書にもとづく行政は、形式上もっとも合理的な支配行使の形態である。

・官僚制支配は、すくなくとも純粋に官僚制的ではない分子を、その頂点にもたざるをえないわけである。

・支配は日常茶飯の生活においては、すぐれて行政だからである。

・もろもろの社会関係や文化現象が、支配によって左右される範囲は、一見したよりも本質上ずっとひろい。

・あらゆる支配は、その「正当性」への信念をよびおこし、育成しようと求めてやまない。

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188.戦雲の夢 (司馬遼太郎)

土佐十二万石の大領を率いる長曾我部盛親は、関ヶ原の戦いに敗れ、一介の牢人の身に落ちた。恥多い謫居の中で、戦陣への野望を密かに育くみ、再起を賭けて、遺臣たちと共に大坂夏の陣に立ち上がったが…。大きな器量を持ちながら、乱世の動きにとり残された悲運の武将を、鮮やかに描き出した長編小説。

久しぶりに司馬遼太郎の作品を読んだ。もう司馬遼太郎の主な著書は「国盗り物語」しか残っていないので、読むのが惜しくて他の本を優先させていたのである。
さて、今回は「夏草の賦」の題材となっていた長曾我部元親の息子、盛親が主人公の「戦雲の夢」。土佐を平定した伝説的な名将の息子が、二世独特の苦しみを抱きながら歴史の荒波にもまれていく姿を描いたものだ。

▽小説の評価
この小説の尋常でないところは、400ページに至る長編であるにもかかわらず、あっという間に読ませるところだ。しかも、盛親が戦場で活躍する機会は大坂夏の陣の「長瀬川の血戦」のたった一度なのである。冷静に考えれば、この小説は盛親にとって最初にして最後の戦を描くために350ページ以上読み進める必要があるということになる。

それでも読者を飽かせずに出来るのは、盛親が生まれついて以来持っていた苦悩とその内面の変化を巧みに描き続けたからだろう。何もすることが出来ぬままに敗北し、領地を奪われた盛親が大坂の陣で一矢報いようと考える人間になるまでには様々な葛藤があり、それを通して年表的には面白くもない彼の生の大半を波乱万丈なもののように描写しているのだ。

▽内容と盛親について
盛親は長男の信親が死んで以来、長曾我部家の世子であった。彼は自ずから勝ち取ったわけでもなく、きわめて自然に、22万石の領主を引き継ぐ運命を担わされていたのである。
そして生まれつき高い地位にいる人間に多く見られるように、彼は聡明でありながら欲望の薄い人物であった。本の序盤では、僧からこのように指摘される。
骨柄と才覚があって欲の薄い者は、天下の大事を乗りきれまい。
彼は、大将には向かない自分自身に最後まで苦しみ続ける。一種の呪縛的なその悩みが、この小説に深みをもたらしている。

その盛親も、物語が進むにつれて変わっていく。この様が小説の醍醐味だったと言っても過言ではない。
なし崩しの人生というのは、詩や物語にはならないようであった。
「なし崩し」の生き方と決別する時の描写が、鬼気迫っていて非常に感銘を与える。臥薪嘗胆という故事成語について言及する部分だ。
復讐という明確な目的があったればこそ、屈辱の生活に耐えることができた。盛親の場合、関ヶ原の復讐というよりも、自分の青春に復讐をすべきであった。長曾我部家をほろぼし、家臣を路頭に迷わせた自分の恥多き青春に対して、残る余生はその復讐についやすべきであった。
彼は復讐を誓い、「物語になる人生」を歩み始めるのである。大阪夏の陣についての盛親の面白い台詞が、その考え方を反映している。
こんどの大阪の籠城は、運のよいものへ、運わるき者たちが、ねた刃を研いでできた遺恨の籠城といえるだろう。


本の内容についてあまり深く言及しても面白くないのだが、ついつい話してしまった。
これから感想などを述べていきたい。

▽感銘を受けたシーンから見る、自分にとっての名文とは何か
本の中に非常に感動的なシーンがあった。
浅田次郎や百田尚樹など「泣かせる系」のしっとりとした描写とは全く異なる、司馬らしい渇いた筆致なのだが、これが涙を誘った。自分はどうやら淡々と語られるほうが涙腺を刺激されるらしい。
場面は、夏の陣で盛親の部隊と藤堂高虎の部隊が衝突する場面である。藤堂家の中に、幼馴染であり関ヶ原の役まで長く盛親に仕え続けてきた桑名弥次兵衛がいた。主従を超えた絆を築いた二人が、戦場の血風の中で相まみえる場面だ。

不意に盛親の目が、弥次兵衛の目をとらえた。
その目がにやりと笑った。
「殿」
弥次兵衛は、度をうしなった。まるで子供のように駈けだそうとした。
(中略)
いっぽう、藤堂仁右衛門高刑は、麦畑のなかで隊伍をたてなおし、鉄砲組を前面に出した。
「撃て」
硝煙が麦畑をおおったが、奇妙なことに盛親の本陣は一発も応戦しない。
弥次兵衛は、鞍壺をたたいてよろこんだ。
(おう、おう。おみごとなおん大将ぶりでござるぞ。弥次兵衛にはわかり申す。浮き足で攻めたてる藤堂勢を、堤の上から一挙に攻めおろそうとなさるご戦法でござろう。わかり申すぞ)
馬を馳せながら、涙があふれ出てきて仕方がなかった。
(殿、殿は日本一の大将じゃ)
あきらかに錯乱していた。


本当に感動的な場面では、言葉はかえって短い方がよい。
字面から読者の想像力の中で感情の氾濫が巻き起こるのを、作家は信用するしかないのである。余計な説明など、そしてしつこいお膳立ては、読者の思考をかえって妨げるのではないか。
そういう意味では、自分は上の引用箇所は名文だと思う。物語のなかで最も感動的なシーンの一つだが、余計なことは書かず、必要な材料を読者の前に示すだけ。それでも、読む者は勝手に激流に呑まれていくのである。

▽生きることに対する考え方
歴史小説を読むたびに考えさせられるのが、生きるということについてである。
前に紹介した「方法序説」で、デカルトは歴史を学ぶことの効用をこう評していた。
歴史上の記憶すべき出来事は精神を奮い立たせ、思慮をもって読めば判断力を養う助けとなる。

この小説も、自分を奮い立たせるに十分なものがあった。何よりも、生まれながらにして社会の上層に位置づけられていた盛親の立場が、非常に自分と近しいものに思えた。
自分が世氏であることに安んじた日は、人と成って一日といえどもない。たえず、かすかに不安であった。
不安を抱えながら、多くの家臣を養わなければならないという束縛の下で彼は青春時代を送る。そうして何もかも失ってから、彼は「自らの人生を自分で作らなければいけない」ということに思い至る。
そうして盛親の中に「虎」が生まれる。長曾我部家の血を受け継いだ人間として、元親の息子として、男としての器を天に賭けてみたいという発想に至っていく。
自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない。
「人間の一生が仕合せであったかどうかは、息をひきとるとき、自分の一生が納得できるかどうかできまることだ。」

自分が思うに、平凡に生きること、幸せに生きることは、物と便利さで溢れる現代社会では極めて容易になってしまった。そしてそこで新たに沸き起こるのが価値観の問題であり、その問題に最も力強い示唆を与えるのが、自らの美意識にのみ縛られていた「武士」たちの生き方だと考えられよう。

もちろん自分が提示した前提に反論をする人もいると思う。しかし少なくとも、多くの人にとって「働かなければ食えない」という時代でなくなった現代だからこそ、「働く」という行為に対する本質的な考察が求められるようになっているというのは、間違っていないと思う。
「働く」とは自らの爪跡を残すことである。
死ぬときにふと人生を振り返って眺めるのは、すなわち苦悩の連続の結果残してきた爪跡を辿っていくことと相違ないのではないか。

働かずに、苦悩をせずに生き長らえるとは爪跡を残さずに生きることである。
そしてそれが可能なところにこそ、現代社会のこわさがある。

この物語では、爪跡を残すことなく青春を過ごしてしまった盛親が、せめて歴史に一つでも傷を残してやろうと「戦雲の夢」を見るようになる。そして幸運なことに、その夢が達成される。
殿はひたすらに夢を見ていなされ。夢を見ていなされば必ず機会が来る。機会にはふしぎな力がござる。

人生に納得するための材料として、なるべく多くの爪跡を残すことである。
爪跡を残したかったら、目の前を通過していく機会を掴むしかない。
機会を掴むためにはまず、夢を見る必要がある。

これは現代でも戦国時代でも変わらないだろう。
盛親の場合、それが「戦雲の夢」だったにすぎない。


◆気に入ったフレーズ
自分が世氏であることに安んじた日は、人と成って一日といえどもない。たえず、かすかに不安であった。

骨柄と才覚があって欲の薄い者は、天下の大事を乗りきれまい。

人の世というものは、生きてみねばわからぬものだ。

欲望というものは、もともと生死につながっている。遊戯とは、生死の欲望から、人をわずかでも離れさせるための方術じゃ。

人生に、人は、たった一瞬だけ、身を裂くほどの思いをもって決断すべき日がある。

「長宗我部の旗をいつの日か、戦場にたてるときが来よう。その時まで、堅固にくらせ」(長宗我部盛親)

なし崩しの人生というのは、詩や物語にはならないようであった。

食べ物ほど、人にとってときに悲しい味のするものはない。

自分の運を愛さない者に運は微笑しない。

男が世を送るのに、おのれのもってうまれた器をつかえぬことほど気ぶぜりなことはござらぬ。

殿はひたすらに夢を見ていなされ。夢を見ていなされば必ず機会が来る。機会にはふしぎな力がござる。

人生が勝負の場であるとすれば、慎重ということは、ときにその人にとって悪徳であることが多いのではないか。

「人がよくって、その人のためばかりを考えて、それでとうとうその人を不仕合せにしてしまう魔性だっているかもしれません。」

自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない。

心のみずみずしいはずみが、執着を生み、執着が男の野望をそだてる。

こんどの大阪の籠城は、運のよいものへ、運わるき者たちが、ねた刃を研いでできた遺恨の籠城といえるだろう。

「ひとの世は、一期一会なのだ。いつかは別れがある。会うたそのときを深める他に生き方はない。」

「人間の一生が仕合せであったかどうかは、息をひきとるとき、自分の一生が納得できるかどうかできまることだ。」

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187.方法序説 (デカルト)

すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト(1596-1650)。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して到達した、思想の独立宣言である。近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示される。

近代科学の根本をなすとされるデカルトの思想。その思想の根本原理について書かれたのがこの「方法序説」である。
内容に触れずに本の感想に入ってもいいのだが、出来ればこの本の内容ぐらいは知っていたほうがいいと思うので、忘備録としてここにその内容を簡単にまとめる。

方法序説は、デカルトの自伝的な要素を多分に含んでいる。
彼は中世ヨーロッパで最高峰の学問を受けてきたが、それに満足することはなかった。医学や幾何学などを一通り修めた後、真理にいたる道を探るべく哲学へと踏み出し、旅に出、30年戦争下のドイツの炉部屋で籠って自省に耽っていくという彼の半生を、ここで知ることが出来る。

そうして導かれるのが第二部の「真理を掴むための方法論」、第三部の「実生活を生きるための指針」、第四部の「われ思う、ゆえにわれあり」なのである。以下で、それぞれについて軽く説明を試みる。

第二部
学問あるいは自分の思想を改革するための方法論である。今では当たり前のように踏まれる手順だが、デカルトによってこう定義されている。
明証
 明証できないものは、どんなものでも真として受け入れない
 注意深く速断と偏見を避ける
分析
 難問は一度に片付けるのではなく、必要な小部分ごとに分割する
総合
 思考を順序にしたがって、認識しやすいものから複雑なものへと導いていく
枚挙
 完全な枚挙と見直しを行い、見落としがないことを確信する

デカルトは以上の方法で、いかなる難題にも取り組むことが出来ると提言している。
加えて、これこそが理性(良識)をよく用いることができる最善の方法だという。
わたしがいちばん満足したのは、この方法によって、自分の理性をどんなことにおいても、完全ではないまでも、少なくとも自分の力の及ぶかぎりもっともよく用いているという確信を得たことだ。

第三部
デカルトの思想は大変革命的なものであった。当時はガリレオの断罪が行われたように、新しい思想は「異端」のレッテルを張られて葬り去られるのが通例となっていた。そんな中で彼は、とりあえずの平穏な生活を確保するための格率をも考えた。
彼はこれを、「家を建て替える時の工事期間中は、快適に住める仮の住処を都合しておかなければならない」と例えている。その思想の割には保守的で繊細な、彼の興味深い一面が垣間見える。
国の法律と慣習に従うこと
どんなに疑わしい意見でも、一度信じたら最後までそれを貫く
運命よりも自分に打ち克つようにする

どんなに革新的で、どんなに正しい発想でも、彼が世間から否定されてしまえばお終いである。それを避けるための、苦心の処世術とでも言える現実的な格率だ。特に三つめが面白い。
わたしの第三の格率は、運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。
簡単に言えば、世間に過度な要求をしないこと、無いものねだりをしないことだと言うことだろう。食物が足りなくても、名誉を得ることができなくても、それでいい。自分の思い通りになるのは、自分の思想以外にはない。初めからこういう思考をすることで、確かに諍いを起こすことも、巻き込まれることも大分なくなるだろう。

では、彼がそうして自らの保身(語感は悪いが)を図る理由は何か。
全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり真理の認識に前進していくことである。
自らにとって大事なものには、こだわる。それ以外のところでは、折れる。これは哲学者に限らずあらゆる処世術の基本だろう。決してデカルトがこれを初めて実践したわけではないだろうが、しかしこうして書物を通じて読んでみると、なんだか面白い。今日、デカルトと言えば近代の合理主義を築いた巨星の一人である。その彼が、何をこんなに恐れていたのかと、すこし意地悪な見方をしたくなってしまいそうだ。

第四部
さて、ではこうした格率に基づいてデカルトは思索を深めていく。
ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない。

彼は最高峰の学問を修め、権威に極めて近い環境の中で学んできた。その彼が、あらゆる「常識」を疑い、打ち破ってかかったのである。彼は、すべてを夢の幻想と同じく真ではないと仮定した。
しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない。
この気づきが数世紀にわたる人類の目覚ましい進歩をもたらすことになる。すなわち、
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する(ワレ惟フ、故ニワレ在リ)」

これは人間は考えなくてはいけないという、パンセ的な発想ではない。
紹介文のフレーズを借りれば、精神と物質を分離させることに成功した精神の独立宣言であり、一切の外的権威を疑うことなく受け入れることを拒否した思想の独立宣言である。

さて、その後については解説部分から引用したほうが話は早い。
以降、これらの多くは近代を貫く諸原理となっていく。二十世紀の今日にいたるまで、その基礎構造は、われわれの学問の基本的な枠組みをなしているともいえる。考えるわたし、近代の意識や理性の原型、精神と物質、あるいは主体と客体の二元論、数学をモデルとする方法、自然研究の発展……。デカルト主義は近代合理主義思想の中心原理となっていった。
もちろん、現代ではあちこちで「合理主義の行き詰まり」が唱えられているが、それを考証するためにも、改めてデカルトの思想に触れてみることは必要であるだろう。歴史を経ても、依然として重要な一冊であることはいまだに変わらないのである。



内容についてかなり取り組んでしまったので、読んだ感想を軽めに報告したい。
まず、想像していたよりもずいぶん読みやすかった。
複雑な言葉づかいも、独特な単語もなく、哲学をやっていない自分にも分かりやすい本だったと思う。そもそもデカルトはこの著書を高等教育を受けていない人に向けても書いていたのだった(当時学術書として主流のラテン語でなく、フランス語で書いていた)。

何度も読みたい本の一つだということも出来そうだ。
細部にいたるまで目を配って読まなかったが、この一冊を入念に読むことで合理主義の根幹についてもっと深く入り込むことが出来るはずだ。

一番気になったのは、デカルトが持つ自負心の強さだ。
自分は名誉など気にしないといい、本の中でも反駁・攻撃されることを避けるような言い回しを随所に見かけた。上でも書いたが、本来のデカルトは繊細で保守的な性格なのかもしれない。
一方で、この本の中ではデカルトの自分の業績に対する強烈な自負心を感じることもできた。
世界史的な巨星であるにもかかわらず、こうしたデカルトのアンビバレントな、人間臭い側面を垣間見ることが出来たのは、大変興味深いものだったと思う。

彼の大きな発見の上に胡坐をかきながら、自分たちは今日も時代を歩んでいる。
そういうことを意識しながら読むと、あたかもデカルト自身が語り掛けてくるかのような距離の近い記述に、少しびっくりさせられるだろう。


◆気に入ったフレーズ
良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。

良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。

きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。

あらゆる極端は悪いのが通例であり、穏健な意見は行うのにいつもいちばん都合がよく、おそらくは最善であるからだ。

ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない。

すべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない。

「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する(ワレ惟フ、故ニワレ在リ)」

ただ私が考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる。

わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である、これを一般的な規則としてよい、ただし、わたしたちが判明に捉えるものが何かを見きわめるのには、いくらかの困難がある。

理性は、われわれのすべての観念または概念が、何か真理の基礎を持っているはずだと教える。

われわれの魂が身体にまったく依存しない本性であること、したがって身体とともに死すべきものではないこと

生き方については、だれもが十分に自分の見識をもっているために、人間の頭数と同じだけの改革者が現れることになりかねない。

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186.明治維新 (坂野潤治、大野健一)

際限のない闘争として眼に映じる幕末維新のわかりにくさは、本書が提供する評価基準をもってとらえなおせば、それは当時の日本政治の弱点ではなく、むしろ世界史にほとんど類を見ない長所として浮かび上がってくるのである。我々はこれを政治の「柔構造」と名付けた。

今回は二人の歴史学者によって共同執筆された「明治維新」を読んだ。
意識的に主題を絞っているため、本の内容は非常に分かりやすかった。
著者の二人は明治維新を成功に導いた要因を政治の「柔構造」という言葉に集約させて、これを基に検討を始めている。
日本史を考えるとき「なぜ明治維新が成功したのか」というのは誰の頭にも過ってくる問いであるが、著者は「柔構造」という単語を用いることでこの問いをある程度説明し、明治維新が世界史上でも稀有な成功例であることを改めて知ることができると主張する。

では、その「柔構造」とは何か、軽くここでまとめてみたい。
①目標のダイナミズムにおける柔構造
②グループ間の合従連衡にかかわる柔構造
:明治維新では「富国」「強兵」「公議」「輿論」といった複数の目標を掲げる、複数の指導者グループがいた。代表的には
憲法制定を目指した木戸孝允(内治優先・公議輿論)
殖産興業を指導した大久保利通(内治優先・富国強兵)
外征論を唱えた西郷隆盛(富国強兵・海外雄飛)
議会設立に尽力した板垣退助(公議輿論・海外雄飛)など。
これらが状況に応じて合従連衡をすすめることで、結局どれか単一な目標の暴走を抑えることができたのだという。
(富国強兵と公議輿論という目標について)それが維新後四つの目標と四つの勢力に分裂したために、一つの目標の挫折は他の三目標の推進でカバーし、一つの勢力の突出は他の三勢力の連合で封じ込めることができたのである。

③指導者自身の可変性と多義性にかかわる柔構造
指導者たちは上記の目標を唯一無二のものとして追及するのではなく、それぞれの重要性を了解するだけの見識を持っていた。その指導者の柔軟性が、硬直的でない明治維新という「革命」の推進に役に立ったと考えられる。

司馬遼太郎の本で読んだ、井上馨の逸話を思い出す。
井上馨は攘夷に燃える長州藩から、西欧を研究するために留学をした。西欧にやってきた瞬間、彼はその文明の進んでいることにいたく衝撃を受けたらしい。傍らにいた伊藤博文にこう言ったそうだ。
「俊輔(伊藤のこと)、日本に攘夷なぞ到底無理だ。国を開けて、この文明を取り入れるほかに道はあるまい」。
海外に出てくる前までは盛んに攘夷攘夷と唱えていただけに、伊藤はさすがにその節操のなさに顔をしかめたらしい。しかし、結局伊藤も開国派となって日本に帰ってくることになるのである。

日本の指導者に頑強なイデオロギーではなく、こうしたシビアな現実認識を基に戦略を打ち立てていく柔軟性があったからこそ、明治維新は成功したと考えることもできる。
複数目標を同時に追及する能力、内外ショックへの対応力、政権の持続性のいずれにおいても、明治政府が示した政治的柔構造は、第二次世界大戦後の東アジアの開発独裁に見られた単純な硬構造よりも強靭であったといえよう。

この本では、上記を軸に明治維新という成功例の分析を行っている。
歴史学の面白味を集約した著書だったと言うことが出来るだろう。

歴史学は、物語を作る学問である。ある意味未来を予測するのと同じ程度に、創造性が求められる学問だと言っていいだろう。様々な事象の中から、都合のいいものをピックアップして、説得的に「歴史」という名の物語を紡いでいく作業である。その中で最も万人に受け入れられやすく、確からしいものが「通説」となっていく。
何が言いたいのかというと、それが歴史学の面白さであり、また限界でもあるということだ。
歴史問題、領土問題について書かれた本の中で、こんな一節があったのを思い出す。

一つの「客観的事実」は、他の「客観的事実」によって相対化される。

一つの歴史の見方を味わうのは非常に面白い。ただ、それに寄り添いすぎてもいけない。
この本も確かに興味深い一冊であったが、それが絶対に正しいわけではない。反論の余地はいくらでもあるのである。
著書では日本の明治維新に対する優れた分析として徳富蘇峰の記事が載せられていたが、蘇峰は清沢洌の「暗黒日記」で手厳しく批判されている。これは事実関係についてのことではないが、両方とも最近読んだ自分にはいささか気分が落ち着かないものだった。要するに、観方によって歴史は色々な語り方ができることを、人々は知らなくてはいけない。
歴史に関する本を読むときは、こうした少し冷めた視線が求められるということを、この記事のまとめとして、ここに記しておく。

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185.集団的自衛権とは何か (豊下楢彦)

憲法改正とともに日本の今後を占う最大の焦点に浮上した集団的自衛権。その起源を検証し、戦後の日米関係においてそれがいかなる位置づけにあったのかを歴史的にたどる。そして今日の世界が直面する脅威の性格を冷静に見すえながら、集団的自衛権の行使による日米安保体制の強化という路線にかわる、日本外交のオルタナティヴを提唱する。

現在「積極的平和主義」と絡まって話題となっている集団的自衛権について、改めて知識を整理しておきたいと思って読むことにした。
この本で最も強調されている点は、日本外交は集団的自衛権の行使というカードを切る必要はない、カードを切らずに別の選択肢を選ぶべきである、ということであった。
以下、引用を使いながら要点をまとめていきたい。


本の主張を最も端的に表現しているのが、冒頭のカール・シュミットの言葉である。
「みずからの敵がだれなのか、だれに対して自分は戦ってよいのかについて、もし他者の指示を受けるというのであれば、それはもはや、政治的に自由な国民ではない」

仮に日本が集団的自衛権を行使したとして、その同盟国として想定されているのは当然アメリカである。しかし厄介なことに、このアメリカが9.11いらい「テロとの戦い」を宣言することで、見えない敵と戦い始めた。
「われわれは行動を起す。行動しないリスクの方が極めて大きいからだ。」
「われわれは今、脅威が発生する場所で、脅威に立ち向かうことを選択する。」(G.W.ブッシュ)


こうしたアメリカの方針に対して、日本は未だに従属的な態度を採り続けている。
この状態で仮に日本が集団的自衛権を行使することになれば、どうなるか。転々とするアメリカの「敵」のレトリックに翻弄され、日本は必要に迫られているわけでもない「自衛のための戦争」に駆り出される可能性につながる。
つまり、シュミットの言う「政治的に自由な国民ではない」状態に突入することを意味する。
米国の政権がその独特の政治文化を背景に設定する「敵」の概念について、日本がいかに「主体的」に判断できるか否かにかかっているのである。

また、集団的自衛権を行使することで日米は果たして対等になれるのか、という論点も存在する。
イラク戦争当時のブレア外交の例を見ると、独自に用いることのできる武力を持っているにも関わらず、ついに英米が対等になることはなかった。結局、アメリカは上から指示できる軍事力の範囲を広げたいだけに過ぎない。対等な関係は、武力行使の可能性によっては生まれないと考えられる。
安倍首相は、日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、米国に対して発言権を確保でき、日米関係は「圧倒的に対等」になるとの”期待”を抱いているようである。しかし、ブレア外交の顛末を見るとき、それが”幻想”以外の何ものでもないことは明らかであろう。

結論として、法律論上も、外交戦略上も、日本が集団的自衛権を行使可能にすることは望ましくないと考えられる。
テロの時代の到来を受けて、日本も日米体制にしがみつくだけの「戦後体制」の呪縛から離れる必要がある。平和憲法を保持する国として、世界の安定に向けた議論でイニシアティブを握っていくべきだと主張する。


感想としては、「集団的自衛権」というタイトルの割にはアメリカ外交について言及する部分が多かったという印象だ。もちろん、日本にとって集団的自衛権と日米関係は密な関係にあるという筆者の前提は疑うべくもないのだが。
かつてのアメリカの対中東政策が9.11テロに結び付いていた事実(脅威の再生産)や、英米の外交関係、さらに日本国憲法の成立過程など、興味深い情報が沢山載っている本だった。国際政治に興味のある人が読むと、面白いかもしれない。
さらに、現在話題になっている「情報」についてや「平和への貢献」についてなども、今から見れば当たっているような箇所が見受けられる。さすが、と思わされる。

考えてみれば、日米に対等な関係が訪れるのか、また何のために対等な関係を目指すのか、ということは非常に大きな問題だ。
今日はもう夜も遅いのでこの話は措いておくが、こうした視座は非常に重要である。

ところで、先ほどの要約で最後の一文を赤字にした。
平和憲法を保持する国として、世界の安定に向けた議論でイニシアティブを握っていくべきだと主張する。
この主張は、奇しくも現在安倍首相の唱える「積極的平和主義」と重なるものである。
どちらも国際政治の舞台で世界の安定のために主導権を握ろうという意図を持っているが、片方は集団的自衛権の行使を必要とし、他方はそれを拒否する。

暴力は国際政治の現実である、と藤原帰一は言ったが、その現実の中で日本はどういう立場にあるのか見極める必要があるだろう。
この筆者が言うように、もしも日本がある意味アメリカに対して優位に立っているとしたら、不用意な集団的自衛権の行使容認はそんな"奇跡"のようなバランスを崩しかねない。
難しいところである。ここのパワーバランスを計り間違えれば、日本の立場は簡単に急落してしまうだろう。

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184.壬生義士伝 上下 (浅田次郎)

小雪舞う一月の夜更け、大阪・南部藩屋敷に、満身創痍の侍がたどり着いた。貧しさから南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊した吉村貫一郎であった。"人斬り貫一"と恐れられ、妻子への仕送りのために守銭奴と蔑まれても、飢えた者には握り飯を施す男。元新選組隊士や教え子が語る非業の隊士の生涯。浅田文学の金字塔。

まず、この本の見どころは何か、出来るだけ簡潔に紹介したい。
以前三島由紀夫の作品をめぐって「何かの抵抗がなければ芸術作品は生まれない」というヴァレリーの格言を引用したが、この小説もそれを念頭に置きながら紐解いていくことにしよう。

この作品を感動的たらしめているものは何だろうか。
それはヴァレリーの言う「抵抗」である。こう捉えると分かりやすい。

メインキャラクターである吉村貫一郎を苦しめ続けたのは、幕末という動乱の時代においても不変であることを求められた「武士道」という一個の倫理観であった。この作品の様々な「抵抗」は、倫理観同士の対立や、倫理観と現実との対立によって引き起こされている。
分かりやすい一節を引用しよう。
本音と建前がいつもちがう、侍って化け物だよ。俺たちはみんな、武士道にたたられていたんだ。

建前と本音の中で揺れ動きながら、死ぬまで苦しみに耐え続けた貫一郎の姿に読者は感動させられるのだろう。
たとえば、貫一郎は妻と子を食わせるために脱藩という決断をした。ここでみられるのは「人としての道」を選ぶことによって「武士道」の禁忌を犯さなければならないという倫理上の相克である。
また、彼に切腹を命じた貫一郎の親友も、「友としての道」と「為政者としての道」に挟まれて苦悶することになる。
他にも、この作品では数えきれないほどの「倫理」による苦悩が描かれる。登場人物は皆、これに縛られることで自ら望まぬ選択をし、時には死地へすら赴く。
倫理によって引き起こされた「抵抗」が、登場人物を次々と屈服させていく。その望ましからぬ連鎖の結果起こった悲劇が、この小説であると言えよう。

もう一つ考察を付け加えよう。この作品の読後感は決して悪くなく、むしろ爽やかである。これはなぜか。
それは物語の結末部分で「抵抗」の根源が解消されるからである。
上で書いてきたような「抵抗」によって吉村貫一郎も、その長男である嘉一郎も斃れた。これが小説の根幹である「悲劇」の部分である。

いったん整理すると、彼らが苦しんだ理由は(1)武士道という倫理観(2)飢饉という現実問題の二つである。

(1)の「武士道」については、時代が進むことによって解消されている。小説の構成の大部分をなすインタビューの部分は、大正時代である。彼らを苦しめたかつての倫理観は、もうない。
または、吉村貫一郎が「主人の命ではなく妻の声によって切腹を決意したこと」自体も、「武士道」の解消を意味していると考えられる。すなわち、「妻と子を食わせる」という人としての責任感が、「主命に従う」という武士としての倫理観に勝ったことを意味すると考えられるのである。

(2)の「飢饉」については、これがこの小説の最大の「泣かせどころ」だろうが、ラストシーンで末っ子の貫一郎が稲作の博士として盛岡に帰ってくる部分で解消される。父親と兄をあれほど苦しめた現実を、末っ子が代わりに変革してみせるのである。ひとつの「仇討ち」の体をなしている。


さて、ここまでが作品についての分析である。
次に、自分の感想を書いていきたい。
こっちのほうが難しい。自分の頭のより深いところにメスを入れていく必要がある。

この作品は自分の好みではなかった。
第一に、「永遠の0」と同じインタビュー形式であった。
「永遠の0」の嫌なイメージを引きずって読まないように努めたが、やはりインタビュー形式は自分の肌には合わないらしい。
まず、語り口調だと主観が入る(もちろん、主観の一切無い文章など存在しないことは重々承知している)。
描写が主観によって支配される可能性が普通の描写よりも格段に上がるわけだから、無意識的に警戒しながら読んでしまう。
また、インタビュー形式では、演出のためにわざと口調を崩したりする。
ハッキリ言って、これが気に入らない。
始終インタビュー形式だと、結局「著者の文体」を拝めずに終わってしまう。それが物足りないのである。訓練された人の文章とは美しいものだ。それに期待している面もある。
そして必ず主人公を持ち上げるような箇所を見つける。それが酷いと、冷めてしまう。「出てくる登場人物がみな主人公に惚れこんでいる状態」を目の当たりにし、どうしても納得のいかない気持ちになる。
インタビュー形式は確かに読みやすいが、自分の趣味には合わなそうだ。

第二に、泣かせようという魂胆が見え透いている面があった。
小説だからいいじゃないかと思うかもしれないが、これに「インタビュー形式」によって感じていた胡散臭さが追い討ちをかける。
胡散臭さを覚えながら記述を追っていると、物語がよくできていればできているほど、「そんな話があるか」となってしまう。

完全に自分の捻くれた性格のせいだが、間違ったことを言っているつもりはない。
ネットを見れば、これを読んで満足している人の割合のほうが高い。小説に何を求めているかの違いだろう。
「お前は小説に何を求めているのか」と問われると困ってしまうが、今のところ「リアリティ」「芸術としての文章」の二つを挙げることが出来ると考えている。

この「壬生義士伝」は実在の人物をモデルにしたフィクションである。
同じ歴史小説、たとえば井上靖の「敦煌」も実在の舞台をモデルに架空の人物を主人公にさせたフィクションである。
それでも、こうして比べてみると、僕は後者のほうが好きだ。

歴史小説に徹底したリアリティを求めているわけではない。
ただ、どこかで小説や文学と呼ばれるものに対して「芸術性」「崇高さ」のようなものを求める感情が、自分にはある。
「小説なんて娯楽なんだから、そんなハードルを設けることはナンセンスだ」と言われてしまえば、それまでだが。



◆気に入ったフレーズ(歴史小説らしく、精神を高ぶらせるような言葉はいくつもあった)

人間、強えばかりじゃだめだぜ。その強さを世間にわからせる知恵がなけりゃ。

本音と建前がいつもちがう、侍って化け物だよ。俺たちはみんな、武士道にたたられていたんだ。

人を生かすのは、人を殺すより難しい

道化はな、曲芸師たちよりずっと芸が上手なんだよ。誰よりも上手だから道化ができるんだ。

どのみち死ぬは、誰しも同じだ。ここでよいと思ったら最後、人間は石に蹴つまずいても死ぬ。

生まれてきたからには、何かしらなすべきことがあるはずだ。何もしていないおまえは、ここで死んではならない。

人間の皮をかぶった侍という化物が、押し寄せる新しい時代の前に立ち塞がったように、あたしには見えたんです。

生来が鬼の心を持つ人間よりも、いざとなって心を鬼にできる人間のほうがよほど恐ろしい。

銭てえのは、命を的に稼がにゃならねえこともあるが、天から降ってくることもあるんです。

拙者は人間ゆえ、誠には誠を以て応える。

考えてもみろよ、旦那。西洋の文明に魂まで奪われたんじゃ、御一新どころか日本ってえ国が消えてなくなるじゃねえか。

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183.暗黒日記 (清沢洌)

太平洋戦争下、豊かな国際感覚と幅広い交友をもとに、当時の政治・経済状況や身辺の生活をいきいきと記した稀有の記録(原題「戦争日記」)。外交評論家・清沢洌(1890-1945)は、将来日本現代史を書くための忘備録として、この日記を書きつづけたが、その鋭い時局批判はリベラリズムの一つの頂点を示している。

中公新書で清沢洌についての新書を読んだので、実際に彼の書いた本を読んでみることにした。
当時の市井の状況やマスメディアの報道、知識人の生活などを知ることができる。
日記という形で指導者とマスメディアの不明を糾弾し、太平洋戦争へと向かっていった日本に何が足りなかったのかを考察している。
自由主義者の如き真面目の愛国者は多からず。これをお国の役に立てないのは国家的損害である。
一人の自由主義的な言論人の眼を借りて、当時の日本を見ることができる。こういうリアルな分析は大変貴重な資料だと言えよう。

日記は長たらしく書かれておらず、その日にあった出来事に対して彼の鋭い批評が下されている。
彼自身も決して日記そのものをこうして読まれることは期待していなかっただろうが、小気味よいテンポの文章が続き非常に読みやすく書かれていた。

本の中で印象的だったのは、彼が「国民」というものに対して突き詰めて考えていたことだ。

日本人の美徳はあきらめにあり。しかし積極的建設はとうてい不可能である。馬鹿な国民にあらざるも、偉大な国民にあらず。
「直結」という言葉が流行している。政党が民衆に直結するという如きだ。直結しないものが多いから来たのだろう。
この国民は真実を話せない国民だ。
教育の失敗だ。理想と、教養なく、ただ「技術」だけを習得した結果だ。

国の進む道のベースはあくまで国民だという発想に基づいた言葉がいくつもあった。
デモクラシーの力を信じ、そのために国民を賢明にするよう努力する。それが国政に道を誤らせない最も遠回りに見えて、最も確実な道だと考えていたようだ。

悲しいことに、太平洋戦争を迎えるにあたって日本の民主主義は十分には機能しなかった。
・ドイツも日本も、制度的には民主主義であったのに、なぜ全体主義の台頭を許してしまったのか?
・政治的なリーダーシップをとる人間と、単なる扇動政治家はどう区別すべきか?
・なぜ第二次世界大戦を防げなかったのか?
爾来、これらは現代の人文科学の大きな問題意識となってきた。国際関係学から社会心理学まで、多くの反省と教訓が今日にいたるまで残されている。

フランクフルト学派がその一例だろう。
大学受験の「倫理」でかじった程度なのであまり詳しく書かかないが、ドイツのナチズムに大衆が惹かれていったという事実をもとに、大衆が「理性的」な状況にあるにはどうすれば良いかを研究した一派である。彼らの多くはドイツの迫害を逃れ、アメリカに本拠を移したユダヤ人であることが知られている。

清沢の批評は、そんなフランクフルト学派が提示した見解と重なる部分が多い。
国民が何も考えない、何も言えない状況に置かれていては民主主義は機能しないと考えている。
国民を賢明にする必要がある。それには、まず言論自由を許すのが先決問題だ。
そしてこれは、これからも継続して取り組まれていくべき課題であるはずだ。

外交は自国民に確信がなくてはできぬ。
という文もあった。
特定秘密保護法案をめぐる流れを想起せずにはいられない。
もちろん外交に秘密はつきものだし、いちいち国民に周知させているようでは成立しないというのが現実だろう。
ただし、今になって同法案を持ち上げる意義と必要性は何なのか。第三者機関などに関する議論も不十分なまま、法案を通過させて良いのか。

情報の秘匿を恣意的に行おうという傾向がこの先さらに出てくれば、それは時代に逆行するものであるとの誹りを免れることは出来ないだろう。

◆気に入ったフレーズ
新しい時代には言論自由の確保ということが、政治の基調とならなくてはならぬ。

名前をかえることが一番楽な自己満足だ。

一つのイデオロギーは経験によって改めることは難し。

政府が声明すると始めて、これについて論ずる。かつて当時は一人もこれに抗議するものはなかった。これが日本の「言論」である。

物を知らぬものが、物を知っている者を嘲笑、軽視するところに必ず誤算起る。

日本人の美徳はあきらめにあり。しかし積極的建設はとうてい不可能である。馬鹿な国民にあらざるも、偉大な国民にあらず。

国際政治の重要なる時代にあって国際政治を知らず。全く世界の情勢を知らざる者によって導かるる危険さ。

自由主義者の如き真面目の愛国者は多からず。これをお国の役に立てないのは国家的損害である。

満州事変以来の日本に二つの不幸があった。
第一は軍人を抑える政治家がなかったことだ。第二に軍部を押さ得る軍人がなかったことだ。

この国民は真実を話せない国民だ。

考え方が違っても愛国者であり得、また意見が相違しても団結することができる。

日本人は干渉好きだ。しかし何かの行動によってこれをなすことはしない。

外交は自国民に確信がなくてはできぬ。

教育の失敗だ。理想と、教養なく、ただ「技術」だけを習得した結果だ。

日本の空気は正直なことがいえないようにできているのである。この空気をかえなくては外交は出来ない。

日本人の戦争観は、人道的な憤怒が起きないようになっている。

国民を賢明にする必要がある。それには、まず言論自由を許すのが先決問題だ。

国際関係学は最も広汎なる綜合的知識を必要とする。宗教と、思想と、政治と、経済とは素より状勢判断に必須のものだ。

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