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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

157.永遠の0 (百田尚樹)

何やらずいぶん長い間売れているらしく、「面白いよ」と勧められて読み始めた。
太平洋戦争で特攻隊員として命を絶った祖父について調べ始める、主人公姉弟。当時の人々の証言を聞いていくうちに明らかになったのは、戦中の日本の軍人たちが直面した過酷な現実と、知られざる祖父の素顔だった。…という話。

書店で大々的に売られているし、映画化もされるということなので、内容が気になるならそれらを見れば良いだろう。今日ここで書きたいのは、小説としての「永遠の0」に対する個人的な感想である。

まず、この小説は自分の中では「面白くない」という部類に入る。
各人の証言の部分はわりあいよくできていたとは思う。ただ、自分はこの小説に対して「のめり込む」という感覚を始終持つことが出来なかった。

小説を読むとき、読者がその内容に対して「共感する」ことは非常に大事であると思う。共感なしに読者は積極的に本のページを繰っていくことはできない。
自分がこの本を好きになれない理由はそこにある。確かに美しい物語かもしれない。しかし「フィクション」があまりに透けて見えたり、登場人物の思考回路が浅薄すぎるために「冷める」ような箇所がいくつもあった。

以下、好きになれない要因を思いつくままに挙げていく。
まず、自分の趣味の問題である。これはあくまで小説と自分の相性の問題なので、仕方ないだろう。
自分は小説を読むときには「現実」との関係を非常に重視する。最近ノンフィクションばかり読んでいるためであろうか。
ノンフィクションは好きだ。「現実でこういうことがあった」という話では、受ける教訓や物語の重みをより強烈に感じることが出来る。
哲学的な命題に基づいたフィクションも好きだ。話自体はフィクションでも、そこから得られる哲学的な教訓や思考実験の結末は、「自分の現実にも起こりうること」として、これもまた重みを感じることが出来る。
「永遠の0」は、綿密な取材に基づいたものではあったがストーリーはほぼフィクションであった。twitterでは、作者が「哲学的な小説を書きたいなら、哲学書をかけばいいのではないか」という発言もしていたそうだ。そういう意味では、僕は体質としてこの本に良い印象を持てないようになっていたのかもしれない。

では、具体的に「冷める点」とは何か。
まず、登場人物があまりにバランス感覚に欠いた思考をしていることである。
弟はまだマシだったが、姉を含むほとんどの登場人物が「善悪二元論」で物を見ようとする。
「戦時中の海軍の上層部は、なんて非道なことをするのだ。彼らに多くの若者が殺された。彼らは戦後も保身に走り、のうのうと生きている。許せない。」
こんな考え方が書かれている箇所があった。戦争について調査をしている人間が、そんなに単純に「善悪」を割り切れるものなのだろうか?
さらに酷かったのが、新聞記者の登場人物である。多少誇張が入っているとしても、「特攻隊員の精神はテロリストと共通しているのだ」などというレッテル貼りを堂々と主張し、しかもそれを臆面もなく元軍人の人に話すような人間が、果たして居るのだろうか。というより、まっとうな思考回路をしていれば「事はそんなに単純ではない」ということはわかるはずである。新聞記者以前に、物を考えられない人間の論理ではないか、と言いたくなる。
読者の意識を喚起させたいがために、あえてそうした発想を持つ登場人物を出したのだろう。だとしても、これではあまりに現実離れしすぎている。「非常識な人間が寄り集まって戦争について調査する話」と見られても不思議ではない。

戦後史観に寄り添いすぎる元軍人たちの証言も少し気味悪かった。
本当のところ、どうなのだろう。
彼らは自らの青春を戦争に奉じ、友を失い、そして敗北した。敗北とともに、「あの戦争はまちがいでした」という一億総手のひら返しが始まる。
そんな状況の中で、彼らはどこまで戦後史観に沿って物を語れるのだろうか。
作品の中では、証言者の多くが太平洋戦争の多くの作戦を「ばかげたこと」などと表現していた。しかし、彼らはそれに命を賭けて取り組んでいたのである。そう簡単に割り切れるわけはないし、そうそう「ご立派」な見解ばかり飛び出してくるはずがないではないか。

もう一つ、最大の点は「主人公が出来すぎている」「ストーリーが出来すぎている」ということである。
「現実では、考えられないような不思議なことが起こる」というようなことを、フィクションの中で書かれると本当に冷めてしまう。
読者を感動させようとする、その姿勢が見えすぎではないか。
終盤になって怒涛の展開に突入するが、それ以前に何か所も「冷める」ポイントがあったために、読者が置いてきぼりである。リアルな展開がずっと続いていたのなら、最後に多少飛躍があっても読者はなんとかついていける。この本の場合、僕はついていくことが出来なかった。


もちろん、批判ばかりでは仕方ない。
ひとつ、自分が素直に「素晴らしいことだな」と思ったことがある。
それは作中でも言われていたように、「戦争を経験した人が少しずつ少なくなっている」この時代に、太平洋戦争をテーマとした人気小説が出た、ということである。
歴史は結局、その時々の人々が独自に咀嚼されていかなければならない。歴史はそうやって引き継がれていくものであるし、そうだからこそ歴史に対して人は問題意識を持ち、謙虚な姿勢を保つことが出来る。
そういう意味では、この「永遠の0」の流行は、決して悪いことではない。
毀誉褒貶、多様な感想が出てくるだろう。しかし、そうした議論を乗り越えることなしに、私たちは太平洋戦争から学ぶことは永久にできないのである。

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156.手堀り日本史 (司馬遼太郎)

この本は江藤文夫と司馬遼太郎の、歴史についての対談を綴ったものである。
手堀り、ということについて司馬遼太郎はこう言っている。
史観は、歴史を掘りかえす土木機械だと思っていますが、それ以上のものだとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史をみるとき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手掘りで、掘りかえさなければならないことがあります。
この本の目的は、そうした司馬の感受性による日本史の「触感」を伝えていくことにある。

対談ということで、普通の本に比べて「こういうことが書いてあった」と短く要約することは難しい。何が書かれていたかを敢えて言うとすれば、司馬の歴史小説を書く上での課題だった「日本人とは何か」ということについて、さまざまな切り口から自由に考察を繰り広げていた。
彼の著作のファンになってから読むべき一冊だろう。「あの小説は、こういうつもりで書いていたのか!」という発見をすることが出来る。司馬遼太郎の思想の「リアルな」要素が詰まった、魅力たっぷりの本だった。

歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います。

歴史小説というものは、前時代の美を打ち壊すか、あるいはそれに乗っかるか、その態度が最初に必要なのです。

モラルだけで見たがると、歴史がわからなくなります。


歴史を見るときに、人はどのような姿勢で臨むべきなのか。歴史から学ぼうと思う人には考えさせられるところの多い一冊となっている。

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155.新聞記者 司馬遼太郎 (産経新聞社)

札幌の空港にある書店で買った、この「新聞記者 司馬遼太郎」。関係者や当時の記事など多数の証言をもとに、司馬遼太郎の記者時代を明らかにしていった一冊である。司馬文学のルーツを考えることができ、彼のファンにとってはたまらないだろう。

司馬遼太郎は新聞記者を辞めて小説家になってもなお、ジャーナリストとしての眼を持ち続けていた。彼の思う新聞記者像は「無償の功名主義」。「私を捨て公のために尽くす」という精神を一貫させる、という厳しさを持っている。

本の締めくくりにはこう書かれている。
司馬さんが記者時代に得た「無償の功名主義」という新聞記者の行動原理は、「人間の透明性」として後に彼が描いたすべての“漢”たちはもとより、日常の人間観の基準になった。そして、自らにもその透明性を課し続けたと思われるのである。
新聞記者、作家と「傍観者」「記録者」としての仕事を全うするうえで、司馬はこのような規律を自己の精神に課していた。自分の中で「理想の記者」というものを育て続けていたのだろう。こういう態度を自分は数十年も維持することが出来るだろうかと、ふと考えてしまう。

よく本を読み、よく現場を歩いたという。旅と読書、そして人との会話はいい文章を書くための「素」になっていく。司馬の言葉を借りれば「発酵するべきカビ」のようなものを得られる、ということになるだろう。
執筆で迷ったとき、司馬はこう言ったそうだ。
書かねばならぬという、内からあふれでるものがない。ただ単に頭で書いていただけですから、行き詰まるわけです」
自分も一度だけ、「内からあふれでる」という体験がある。中学の夏休みの宿題だった作文で、上手くいかなかった部活に対する思いの丈を、原稿用紙10枚ほどに書き殴ったのである。筆を取ってから無我夢中で書き続け、数時間後に気が付いたら手元には真っ黒になった原稿用紙があった。
提出したその原稿は学校の中で選ばれて全国コンクールに送られたそうで、宿題のことなど忘れていた数か月後に入選していたことを告げられたのを覚えている。思えば、それが自分が何かの能力で認められる最初の出来事だった気がしなくもない。それ以来、自分の中でなんとなく「書く」という行為に対する喜びの感情が強くなっていった。

「記者は、記事を書くためにその10倍以上の情報を読み込む必要がある」と言われる。残念ながら自分は中学の時のような感覚を再び経験できてはいないが、膨大な情報をインプットするということは文章を「内からあふれ」ださせるためには不可欠なことなのだろう。
この本を読んで、あらためて「記事を書くとはどういうことか」を考えることが出来た。それは厳しい職業意識と継続的な訓練なしには、絶対にできないことなのである。

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154.夏草の賦 上下(司馬遼太郎)

中学時代からのファンであるB'zのライブを観に、札幌で一泊してきた。その札幌行きと帰りの飛行機で読破したのがこの「夏草の賦」。四国全土を席巻した風雲児である長曾我部元親を主人公にした小説である。

戦国時代に日本の僻地である四国の土佐に誕生したこの英雄は、20年もの歳月と膨大な人民の犠牲を払いながら四国全土を征服していく。優れた調略や外交手腕で敵を次々におとしていった元親であったが、その成果はついに「日本の中央」を制した秀吉によっていとも簡単に踏みにじられ、ついには刀折れ矢尽きるばかりでなく、その情熱までもを失ってしまう。
この作品では、「片田舎に生まれたために天下を望めなかった」という元親に降りかかる残酷な運命を描き出すだけでなく、戦国の英雄豪傑に数えられる彼の人物像に迫っている。

筆者は、長曾我部元親において人間の情熱というものを考えようとした。
四国を征服し、天下をとる。そのことに情熱を燃やし働き続けた元親の人生は結局、運命の前に何度も屈さなくてはならなかった。彼は秀吉の率いる大軍に敗れてその軍門に下り、秀吉に命じられた島津の制圧で無能な将のもとに就かされ息子を失い、ほぼ同時に病で妻を失った。物語の最後で彼はついに情熱を失い、人格も様変わりしたように迷妄しはじめる。
長曾我部氏は元親の死後、石田三成について関ヶ原を戦い、敗れ、土佐を奪われてしまう。司馬は小説の最後でそこにも触れ、こう評している。
元親が、世に対してすべての情熱をうしなった結果がその死後に出たのであろう。
そしてこう続く。
さらに大坂夏ノ陣の結果、長曾我部家はあとかたもなくなり、歴史から消えた。
元親が過酷とも思える運命によって打ち砕かれ、情熱までもを失った結果、長曾我部家は歴史によって淘汰された。元親という一人の人間の最期とその一族の最期を重ね合わせた、非常に印象的な締めくくりであるだろう。個人的には、司馬遼太郎の小説の中で一番好きな締めくくりかもしれない。


筆者は情熱について考えるつもりでこの本を書いたという。だが、そこで浮かび上がったのは「人間の情熱」と対峙する巨大な「運命」という構図であったように思える。
司馬は「菜の花の沖」においてこう述べていた。
人間は、運という点ですこし植物に似ているかもしれない。
生まれ育ったところ、すなわち「運命」によってその生涯さえ左右されてしまうというのである。
元親の生涯は、この一文を証明するためにあるようにも思える。文庫の裏表紙、あらすじのところにこんな一節がある。
もし、おれが僻地の土佐ではなく東海の地に生まれていたならば……
これこそ元親の本心であり、その最大の難関を如実に示したものであるだろう。

ここまで考えたところで、自分の中でもう一つリンクさせたくなる作品(人物)がある。
河井継之助を描いた「峠」である。
彼もまた英雄であるが、その生まれた環境によって悲壮な運命を受け入れなければならなかった。自分はそこにどうしようもなく「美しさ」というものを感じる。

彼らの生涯は非常な情熱によって、ほぼ完成されていたはずだった。
そして彼らの情熱を砕いたのは、いつだって運命であった。
その結果、英雄にそのつもりはなくても、周囲は大きな害を被ることになるのである。

英雄の悲劇、そして社会の悲劇。これほど救いのない話があるだろうか。しかし歴史にはそういうことが往々にして起こる。さらに最も重要なことには、こうした「運命を前に叩きのめされるまで戦った英雄」の話こそ、後世に生きる自分たちを一番勇気づけてくれるのである。
英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。
河井継之助を描いたもう一つの作品「英雄児」にある一節である。元親も、同じようなことを作中で言っている。
「おれが酒に痴れ、女に痴れるようなただそれだけの男にうまれておけば土佐の者は幸いだったろう。人は死なず、それほどの苦労もせずにすんだ。」

元親は運命に挑み、敗れた英雄として描かれた。
彼の情熱の火は消え、長曾我部家も消えた。
人間社会、そして歴史の不思議な力を見せつけられるかのようだ。


司馬は、元親の口を借りて情熱についてこう語っている。
「男は、夢のあるうちが花だな。
……その時期だけが、男であるらしい。」




以下は印象的なフレーズ。
・権謀家というのは、かれの謀略がもっとも活動しているときは、かえって退屈そうな顔をしているものらしい。

物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度ーーつまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる。

・下戸には、もともと飲酒家への同情が皆無なのである。

・だますとなれば、誠心誠意、だまさねばならない。

・士としては、自分を愛し自分を知ってくれる者のために死すべきであろう。

・「神仏の声は心できくもの、天の声は智恵できくもの、耳できくものではないわい」(長宗我部元親)

・「天の意思に善悪はない。それを善にするのが人である。」(長宗我部元親)

・「予は戦いを好む者にあらず、統一を好む者である」(長宗我部元親)

「だから戦うのだ。しかしかならず負けるだろう」(長宗我部元親)

・「ただ戦う。前後もない。あとはほろびようと栄ようとどちらでもよい。ただひたすらに土佐武士の武勇がほどを上方衆にみせよ。見せつづけよ。」(長宗我部元親)

・この国土は台風、地震といった天災地変が多く、わが屋敷、田畑もいつ自然に破壊されるかわからず、このため粘着力のある打算ができぬ気質になってしまっている。

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153.戦後日本の保守政治 (内田健三)

合宿があったため、更新が遅れてしまった。1969年に出された、緑の岩波新書である。ブックオフで105縁で売っているところを見つけて、とりあえず買ってみた。著者の内田健三は共同通信社の政治部を経て、NHKの解説委員を務めた政治通である。

55年体制以来続く日本の保守政治であるが、その歴史はそのまま戦後日本の歴史でもある。この本の魅力は、1969年当時の視点から日本の政治の状況やその課題を読み解くことが出来ることにあった。それは
自民党支配の歴史を見るうえで大変勉強になった本は「小説吉田学校」であるが、この本はそこで学んだことの復習になったとともに、新しい視点を得ることもできた。これからもこうした本を積極的に読んでいきたい。

以下に興味深いと思わされたフレーズを挙げていきたい。

戦後日本の政治は、安保絶対の保守と憲法擁護の革新という、世界に類を見ない取り組みのなかに展開されてきた。
その通りだろう。日本の戦後政治は、そのスタートから一種歪な対立構造に基づいて展開されてきた。その歪さを認識することなしに、現代の政情を考えることはできないだろう。

「戦争で負けて外交で勝った歴史はある」 (吉田茂)
吉田茂の政治手法は賛否が分かれるところだろう。長い自民党支配の中で、その方針は経済成長という結果によって評価されるようになった。その視点の転換をするうえで重要な役割を果たしたのが池田勇人であるという理解でいいだろう。

「日本に無理に保守•革新の二大政党を作るならば、政策を持たぬイージーな現状維持政党と、社会主義イデオロギーに縛られた観念的政党との対立を作り出すだろう」(宇都宮徳馬)
驚嘆すべきは、これが書かれたのが1950年代に書かれたことである。
小選挙区制度が採用されて自民党と民主党の二大政党制を根付かせようという試みが一つの挫折を迎えた今も、この指摘は非常に重い意味を持つ。日本は「政党政治」という点から見れば、ここ70年で進歩したと言えるのだろうか。

(議会政治が大衆運動によって変質させられることは)後々まで習慣、くせになって、議会主義の存続を危うくするおそれがある。もう一度、正常な議会主義に返さねばならない。それが池田さんの使命だと私どもは考えたのである。

(所得倍増計画は)保守支配のパターンを、国民の抵抗を激発した「反動的支配」から、国民の恭順を馴致する「進歩的管理」に転換させたものであった。

岸信介政権での安保闘争に荒れた日本で、その後を引き継いだ池田勇人政権。「所得倍増計画」については沢木耕太郎の「危機の宰相」という小説に詳しく書かれている。調べれば調べるほど、池田勇人は自民党支配の歴史にとって非常に大きな意味を持っていることが明らかになってきた。


今回は古い新書を読むことで多くを得ることがきでた。これからも古い本を敬遠することなく積極的に読んでいきたい。

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152.城をとる話 (司馬遼太郎)

「子どものころから、城を見るとむらむらそんな気が湧いた。あの城を、たった一人で陥とせぬものかな、と」


司馬遼太郎の幻の名作、と呼ばれる作品である。全集にも入っていないらしい。光文社時代小説文庫から出ているこの作品は、石原裕次郎主演の「城取り」という映画の原作として作られたという。
関ヶ原の戦いがもうすぐ起ころうとしている時代、上杉は国境に新たに建設されている伊達の城に神経をとがらせていた。そんななか、単身でこの城を乗っ取ってやろうという男が現れる。それが車藤左、この物語の主人公である。

車藤左という人物は実在しているらしいが、この物語はどこまで現実にあったものかは、わからない。いずれにしても、戦国乱世に生きた日本人を描く痛快時代小説、という本の背表紙の説明は正しい。一人で城をとるという、途方もない夢に迫ろうとする車藤左の姿は、まさしく主人公と呼ぶにふさわしいものであった。

戦国乱世の日本人というのは、じつにおもしろい。秩序に束縛されず、束縛されているのは自分自身が考えた美意識だけだからである。

この物語はおそらく創作であろう。だが、それだけ著者の司馬遼太郎の考えや、美意識が反映された作品となっていた。坂の上の雲を筆頭に、綿密な取材を基に事実を独自の視点で描き切るというものとは、多少趣の異なった感じがする。

400ページほどで、一日で読み切ることが出来た。
司馬の正義観や、「時代が断末魔にもだえるときに現れる人物」という考え方が新鮮である。
それこそ一本の映画のような楽しみ方ができる小説である。気晴らしに読むといいだろう。

印象的なフレーズを以下に載せておく。

・ゆらい、政治も革命も悪人のわざである。

・敗北感をもった瞬間から事実上の敗北がはじまる。自分が浮き足だつ。

・人間は、目的に情熱を抱くよりも、方法に情熱をもつものらしい。

・進むも死、退くも死、というときには、進退いずれにせよ大勇猛心を出して突進することだ。

・「男というものは、子どものころからの夢をどれだけ多くまだ見続けているかで、ねうちのきまるものだ。」

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151.義経 上下(司馬遼太郎)

夏休みに突入したものの、合宿などが重なって更新が遅れてしまった。
特に、一昨日くらいから熱が出て、腹痛が止まらなくなったのには参っている。暑い中でも海水浴や山登りなど夏を満喫する人をFacebookなどで眺めながら、自分は本を読むこともままならないほどの頭痛・腹痛のために布団に伏せていなければならなかった。つくづく、病気にはなりたくないものである。

症状が治まり始めた今日の午後から、また本を読み始めることにした。外出はまだできない。

今回は司馬遼太郎が書いた「義経」。
源氏が「驕れる平家」に対して再び旗を揚げた時期に現れた、国民的な軍事的天才・源義経が題材である。
親子の愛というものに飢えを感じながら過ごした幼少期、頼朝の旗揚げとともに華々しく歴史の表舞台へと登場する興隆期、そして鎌倉で独立政権を築きつつあった頼朝によって殺される滅亡の時にいたるまで、彼の生涯を二冊の小説で描き切っている。

義経は神懸かり的とも評される軍事での才能を、歴史の中でいかんなく発揮した。木曽義仲を京から駆逐し、一ノ谷で鵯越の奇襲を行い、少数を率いて平家の拠点である屋島を占領し、壇ノ浦の会戦で平家を壊滅させた。
司馬遼太郎は大村益次郎を描いた「花神」でこう言っている。
元来、人間の才能――政治であれ芸術であれ――のなかでもっとも稀少なのは軍事的才能であろう。
源義経は、日本の歴史で数少ない才能に恵まれた人物の一人であったと考えられる。
「坂の上の雲」でも、主人公の秋山好古が世界史的な騎兵の天才の一人として義経を挙げているシーンがあった。自滅を覚悟することで、相手の「壁」をぶち破る。そのことを思い付き、実際に相手を殲滅するほどの成果も上げたというのは、確かに日本史のみでなく世界を見渡しても稀有なことではなかろうか。

では、義経はなぜ殺されなくてはならなかったのか。そこについても、この小説は解説を加えたり登場人物の表情を描写したりすることで、詳細に語っていた。

かれをうごかしているエネルギーは兄への恩愛と父についての復讐といった、いわば幼児の切なさというものであった。

彼の生涯は「平家への復讐」という一つのテーゼによって染め上げられていた。
そのために、義経には「無残なほどに育っていない部分」があったと、司馬は言う。
それが、人の機微において人情を重視しすぎるという点であった。司馬はこれをより端的に「政治的痴呆」と表現している。
頼朝は鎌倉において彼を頂点に据えた政権を作りたかった。義経が頼朝のために獅子奮迅の働きを見せたとしても、それは新政権にとってみれば脅威以外の何物でもなかった。
加えて、好色であったこと、傲慢であったことなどの彼の性格も、周囲の歓心を損ねる結果につながったであろう。もっとも、彼には「他者」として兄の頼朝しか見えていなかったから、他の人々の評価など気にしなかったであろうが。

「あれはみなわしの指図で勝ったことだ。そのことを鎌倉はわかっていない」
(この言葉が、この殿を)
自滅させるのだ、と時政は思った。


義経はついに政治による人間の行動原理を解することが出来ぬままに、自害にまで追い込まれた。復讐という単純すぎる構図の中で生きようとした彼の周りを、朝廷や頼朝による打算が渦巻いていた。彼はその渦に巻き込まれて死んでいったと言えなくもない。
この本の締めくくりでは、義経の死にあっさりと触れているにとどまっている。しかしその突きつけてくるメッセージは、読者に過去と現代に共通する世の中の側面を、如実に示したものであった。

義経の首が酒漬けにされて鎌倉へはこばれてきたとき、頼朝は、
「悪は、ほろんだ」
といった。なるほど、国家の機能をあげての弾劾と追跡を受けた義経は、悪といえば類のない悪であるかもしれなかった。が、「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを洩れきいた世間の者も、また京の廷臣たちも、
――悪とは、なんだろう。
ということを一様に考えこまざるを得なかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。


感想や考察として、これ以上書き加えることは、もうないであろう。

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150.ナポレオン (井上幸治)

歴史はたびたび英雄を輩出する。
ナポレオン・ボナパルト。誰もが聞いたことのある世界史上の巨人は、その筆頭と言っていい。
フランス革命の騒乱の中から権力を握り、ヨーロッパ大陸を破竹の勢いで侵略していったナポレオン。
そんな彼が出現した背景と、没落へ向かわざるを得なかった彼の姿を描いた本だ。

緑色の岩波新書で1957年初版の、かなり古いものである。
フランス革命期のヨーロッパ情勢を、ナポレオンを軸にしながら解説している。フランス革命史の復習にはもってこいであると思う。加えて、ナポレオンという稀代の政治家の思想を垣間見ることもできて、非常に興味深い。古本屋で出会った新書だが、値段以上に楽しむことができた。

今回はナポレオンがどのように喧噪の盛りの社会で権力を簒奪したか、そしてそれを維持したかを観察することが出来た。ただし、フランス革命という世界史上の一大事については、まだまだ詳しく見ていくべきだろう。革命の時代には、多くのドラマと紙一重の明暗がある。小説でも伝記でもいいから、フランス革命を一度詳しく見る必要もありそうだ。

【追記】
今回のナポレオンを読んでいて印象的だったのは、彼がずば抜けたリアリストであったという分析である。
シニズムに近いほどの徹底した現実主義は、司馬遼太郎の小説でも見られるように卓越した人物の持つ一つの特徴であると言えよう。大陸封鎖に踏み切ったときのイギリス社会の分析などは、見事であったと思う。
ただし、没落期の彼は、肥大しすぎた権力と激務によってそのセンスを若干鈍らせたようだ。
もちろん彼が自認するように、彼の権力は侵略と勝利によって支えられたものであるから、その没落も避け難い宿命であることには変わりないのだが。


以下は印象的な箇所。
人間は手わたされた条件のなかで歴史をつくっている。

・ナポレオンの出現以後、防衛的な革命戦争は侵略戦争に変質しようとしていた。

・「わが権力はわが名誉に由来し、名誉は予のもたらす戦勝に由来する」

ナポレオンが自身の権力について述べた言葉。

・「戦争から戦争へ、勝利から勝利への半神のあゆみ」
ナポレオンを評したゲーテの言葉。

・「あらゆる作戦は体系にしたがって実施されなければならない。偶然は何ものをも生まない。」(ナポレオン)

・「私は権力を愛する。しかし権力を愛するのは芸術家としてである」(ナポレオン)

・「ひとびとは安心してたのしむために私とむすぶ。しかしあくる日、ものごとがすべてどうなるかわからないようになると、ひとびとは私からはなれてゆくだろう」(シャトーブリアン)

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149.故郷忘じがたく候 (司馬遼太郎)

蝉が喧しくなって、今年も8月に入った。
先月は大学のテストに差し掛かって忙しかったのだが、なんだかんだでブログの更新数を見ると12冊分更新していた。月に10から15冊、これを一年続ければ150冊くらいにはなるだろう。読みたい本がたくさんあるうちに、どんどん乱読していったほうがいいと思うので、食わず嫌いせずにこれからも気になった本から手を出していきたい。

この本は司馬遼太郎の短編集である。
中に入っている作品は三篇。
・故郷忘じがたく候
16世紀末に朝鮮の役で薩摩に拉致されて以来、日本に住み続けた朝鮮人と、その子孫たちの物語。
祖国の陶器の造形技術を薩摩の地で伝承し、代々子孫に伝え続けてきた人々。世代を超えて、日本海の向こう側の故郷を恋う彼らの心に迫っている。物語というより、エッセイに近いかもしれない。
韓国の学生に対して「あたらしい国家は前へ前へと進まなければならない」と言い、「あなた方が三六年をいうなら、私は三百七十年をいわねばならない」と伝えたシーンが印象的だった。

・斬殺
明治初年に少数で欧州へ遠征し、仙台藩に会津への侵攻を求めた官軍についての物語である。
官軍の中心であった世良修三が斬殺されるにいたる過程を紐解き、仙台藩の「政治」による数々の工作を浮き彫りにする。世良修三の斬殺と、それを命じた執政の但木土佐(斬殺の翌年に反逆首謀の罪で殺される)を通じて、歴史と人の運命の妙を描き出している。

・胡桃に酒
戦国時代に細川忠興の妻となった細川たまの薄幸の人生を描いた作品。
忠興の病的な嫉妬心によって自由を与えられないばかりか、目の前で何人もの人が惨殺されてしまった細川たま。彼女はキリシタンとして洗礼を受け、細川ガラシャとして後年に名を遺す。その過酷な境遇とそれに耐えた驚異的な精神力、そしてその悲愴な最期を綴っている。
美しすぎるということは、それ自体が騒動のもとであるようだった。
司馬の言葉がそのままあてはまるだろう。


前から気になっていた短編集だったので、今回読むことができてよかったと思う。
特に、表題作では司馬遼太郎のジャーナリスト的な側面を見ることができて、非常に興味深かった。
司馬遼太郎の作品はまだまだあるので、もっと読んでみたいと思わされた。

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