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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

48.スキャンダルの時代 (海野弘)



こんにちは。
今回はレポートの参考にしようと思って図書館で借りた、集英社新書の「スキャンダルの時代」を読みました。
地元の図書館とかにはたまに行く程度なのですが、この前新書コーナーに足を運んだら意外と品ぞろえが良くてびっくりしました。
本は買う派だったんですが、これからは図書館から借りれば安上がりだし面白くない本も簡単にあきらめがついていいかな、なんて思います。


この本は2000年の本ですね。だいぶ古い。
20世紀を「スキャンダル」を通じて振り返っている本です。
レポートで使えそうだなーと思うのは最初の部分だけでしたね。
あとは20世紀の「スキャンダル史」が本の大半を占めています。
「ふーんそうなんだ」ぐらいの軽い気持ちでなんとなく読み終えました(笑)


「スキャンダルはバナナの皮」というあたりの話が面白かったですね。
なんで人間はスキャンダルを好むのか、という話なんですけど。ちょっと引用して終わりますね。

「スキャンダルでは上下の落差こそ肝心である。高く上ったほど、激しく落ちるのだ。(中略)〈有名性〉もスキャンダルにとって大事である。無名の人がころんでもあまりスキャンダルにならないし、なったとしても面白くない。」

そしてそこからスキャンダルが持つ効用のようなものを筆者は示します。
「階級制度や貧富の差があまりに固定化され、正と不正が絶対化されると、息苦しくなり、一般の人々には不公平であるという不満がたまってくる。(中略)そんな時に、社会の頂点にいる人がころぶと、みんな胸がスッとするのだ。スキャンダルは社会変革にはならなくても、ストレス解消、ガス抜きの効果を持つのである。」

また、現代の「のぞきの時代」とスキャンダルを関係付けて位置づけている考察もありました。
誰かを「のぞきたい」、という大衆の欲望のスケープゴートしての有名人。
彼らは名誉や富と引き換えに、まなざしの暴力に耐えていると筆者は主張しています。

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47.果心居士の幻術 (司馬遼太郎)


こんにちは。
今回もまた司馬遼太郎です。

新潮文庫による短編集、「果心居士の幻術」。
6つのお話が入っております。

やっぱり好きなんですよねぇ。司馬遼太郎の本。なんでかわかりませんけど。
文体なのか、雰囲気なのか…。うーん、謎ですね。


今回は特に話すこともないですね。
面白かったです。はい。

個人的には「八咫烏」という話が好きでした。

海族と出雲族の両方の血を受け継ぎ、海族と共に育った八咫烏。
顔が出雲族の顔立ちとそっくりだったため、何十年も海族によって仲間外れにされ、さげすまれてきました。
そんなある日、海族は出雲族と戦争をするにあたって、その案内人として八咫烏を抜擢。
海族と共に物事に参加できる嬉しさのあまり「出雲族、討つべし」と意気揚々と出発した八咫烏。
ところが彼は、自分の顔立ちと似ている出雲族が海族に嬲り殺される様を目の当たりにして、動けなくなってしまうのです。
まぁその辺は読んでのお楽しみで。

なんとなく、印象に残る話でした。

司馬遼太郎が好きっていう人はいらっしゃいますかね。
僕もそんなにたくさん読んだわけではないんですけど、もし好きっていう人がいたらいつか喋ってみたいですね。

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46.殉死 (司馬遼太郎)



なんか最近読書が進まないなぁと。
そんなときは好きな作家の本を読んでしまうのが一番でしょうね。


というわけで、日本の税金という新書をほっぽり出して、司馬遼太郎を読みました。
それまで5日くらい滞っていたのに1日で読み終わってしまったので、まぁやっぱり好きな本を思いっきり読んだ方がいいなってつくづく思いますね。

さて、今回は「殉死」という本です。
これは短編というか中編というか。
文庫本一冊分の長さです。
この本の主題は乃木希典という人物についてです。
主人公というより、司馬遼太郎自身が乃木希典について考えたことを小説のかたちにしてみた、という感じですね。筆者が作中でそう言ってますし。

あらすじは本の裏側にあるので引用します。

乃木希典――日露戦争で苦闘したこの第三軍司令官、陸軍大将は、輝ける英雄として称えられた。
戦後は伯爵となり、学習院院長、軍事参議官、宮内省御用掛など、数多くの栄誉を一身に受けた彼が、明治帝の崩御に殉じて、妻とともに自らの命を絶ったのはなぜか?
“軍神”の内面に迫り、人間像を浮き彫りにした問題作。


なるほど。という感じでしょうか。
この本は大きく二つに分かれています。
「要塞」では、旅順攻略のときのエピソードをメインに述べています。
「腹を切ること」では、そこから乃木が殉死を決行するまでのエピソードを書いています。


もう少し詳しく、乃木希典についてwikipediaからも簡単に引用しておきましょうか。

日露戦争において「難攻不落」と謳われた旅順要塞を攻略したことから、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。

しかし、旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなど、その功績及び行為に対する評価は様々である。例えば司馬遼太郎は、著書『坂の上の雲』『殉死』において、福岡徹は著書『軍神 乃木希典の生涯』において乃木を「愚将」と評価した。他方で司馬遼太郎らに対する反論や、乃木は名将であったとする主張など乃木を擁護する意見もある。



ここに書いてある通り、司馬遼太郎は乃木を決して嫌ってはいないと思いますが、しかしかなり厳しい評価を下しています。
一言でいえば、「無能」であると。


まぁ内容については特に何を言っても仕方ないので、僕の考えたことをすこし喋って終わりにしましょう。

乃木という人物について、司馬遼太郎は児玉源太郎の視点を借りて面白い表現をしています。

「乃木の半生をながめるに、乃木ほどその性格が軍人らしい男はなく、同時に乃木ほど軍人の才能の乏しい男もめずらしい。それに乃木ほど勝負運のわるい男もめずらしいであろう。」
「たとえば虚弱で薄命な美人が佳人といわれるにふさわしいように、つねにあぶなげな、つねにうすい磁器のようにこわれやすい運命を背負っている乃木に、それに似たような機微と美しさを児玉は感じてきたようにも思われる。」

ドイツから帰ってきた乃木は生粋の軍人たることを望み、その通りストイックに生活し続けていました。
そして殉死という最期を迎えるにいたったわけです。
たしかに、軍人としてはこれ以上ないというほどの忠誠心の持ち主でした。特に明治天皇に対して。

しかし、彼の武勲といえば、旅順の攻略といっても実質は児玉源太郎が指揮を執って初めて成功したものであるように、そこまで果々しくありません。現に何度も休職を命じられています。
ただ、時流そして当時の情勢が、彼を「軍神」と呼ばしめました。

ここに、「運命を背負わされた人間」としての乃木が、僕には見えます。
なんというか、自分が本当に向いていない軍人という職業に就いてしまって、そして実力もないのに名声を得てしまう。
運命が彼をもてあそんだようにしか見えません。

自分に向いていない職業・役割に就くのは本当に不幸なのでしょうか。
僕にはよくわかりません。
ただひとつ、乃木希典には才能のなさを埋め合わせるほどの誠実さがありました。

西南戦争で軍旗を喪失したことを生涯恥じ、そして自らそれを詫びて命を絶った。
劇の中を生きるような彼の一生は、その誠実さだけでなんとかまっとうされました。
ただ、その誠実さの背景にある無能さが、数千にのぼる兵士の死につながったことも事実でしょう。

ここに人間と社会の面白さがあります。
人間の器とはなんなのか、適材適所など果たして存在するのか。
そして自分に絶対的に合わない役割を担わされた人間は、どうなってしまうのか。
(乃木自身は最後まで不遇感を持ち続けたそうですが。)

言葉にするのは難しいですが、大変考えさせられる本だったと思います。
ただまぁ、司馬遼太郎は始終乃木に対して冷ややかな視線を送っているように見えます。

「この軍旗事件は、もし他のべつな士官の身の上におこっていたならば、自責の結果、この惨酷なばかりに不名誉な過失を契機に、あるいはちがった発奮をするかもしれない。たとえば敗北を苦にし、ふたたび右のようにならぬよう自分の近代的軍事技術を磨こうとするかもしれない。しかし乃木は――これは彼の特質であるだろう――精神主義の方へ行った。精神主義は多くは無能な者の隠れ蓑であることが多いが、乃木希典のばあいにはそういう作為はない。しかしながら歴史の高みからみれば、結果としてはそれと多少似たものになっている。

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