こんばんは。
今回は「国家の命運」についてやってみようとおもいます。
これも新潮新書ですね。めずらしい(笑)
さて、筆者の薮中三十二という人は、長く日本の外交官として第一線で働いてこられた方です。
この本のタイトルは「国家の命運」とありますが、内容はそこまでダイナミックな国家観を論じているわけでもありません。
むしろ筆者の長年の経験から導出されたであろう具体的な話がたくさん並べられている感じでした。
「なるほど」と感じる本というよりは、「興味深いな」と思わせる本だったと思います。
前半は主に日本外交が抱える問題点を指摘しています。
とくに注目すべきは日本がその縦割り官僚制度その他の要因によって、外交が受け身の姿勢に止まりがちであることを問題としてあげていたことでしょうか。
「日本は与えられた枠組みの中で努力して優秀な成績を収めるのは大変得意だが、その枠組みたる世界の基準を作る場において積極的な関与をすることは苦手であり、そのために損をすることが多い」という主張が読み取れました。
確かに、衰退を続けるようにも見える日本にとって、そうした面で指導力を発揮することができるようになることは、現実的な策としても重要だろうと考えられます。
後半では主に筆者の外交官としての経験と、交渉の秘訣やその具体的な様子などについて述べています。
外交について興味がある、なんて人は読んでみると参考になるかもしれません。
まぁこの本で得られたことというのはそれくらいですかね。
あまり詳しいことまでおさらいしても仕方ないんで。
もしかしたらまたいつか読み直す時が来るかもしれません。交渉の方法や戦術についてはなかなか確りしたことが書かれていると思います。
今回はなんか適当な感じですかね。
まぁこれくらいで。
では。
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こんばんは。
今回は櫻田淳の「常識としての保守主義」について書きたいと思います。
僕は大学で政治学を学んでいるんですが、どうもこういう「区分け」については素人なんですよ。
右翼左翼なんてよく言いますけど、あれだってかなり込み入った概念ですからね。
そんなわけで、日常でもなにやら色々な政治的立場をとやかく言う人が周りに多いんですけど、普段から僕はそういった議論には沈黙するか、抽象論に持ち込むぐらいしかできないんです笑。
さて、では本の内容ですが、タイトルの通り「保守主義」とはどういう政治的立場をいうのか、そして保守主義が今後の社会でどう機能することができるのかについて論じています。
さて、保守主義とはなんでしょうか。
よく勘違いされる(と本に書いてある)のは、「保守主義=右翼=タカ派」という関係ですが、厳密にはそうではありません。
もちろん、「保守主義」という立場はその基盤をどこに求めるかで違ってくるのですが、この本ではその根底に共通した考え方について、非常に鋭い見解を述べています。
以下にその重要だと思われる内容について、いくつか挙げてみようと思います。
・保守主義は「智慧」「慣習」「経験」の積み重ねを擁護する
理念や観念で社会を作りかえるという「革命」などに見られる発想に疑問を抱く
・保守主義の本質は人間の理性を懐疑し、その限界を認識する
「~さえすれば社会はよくなる」というような極端な理想主義に傾倒することを警戒する
・保守主義は進歩や変化の意義を否定しない
変革には慎重で漸次的進歩を要請する
・保守主義は自由を擁護する
多様性の担保を目指す、国家の役割、政治の役割を過信しない
過度な平等主義は(究極は社会主義)そのような論理から警戒する
・保守主義には柔軟性とダイナミズムが必要
政治の文脈で模索されるべきは変革でなく適応であるとする
保守主義は現在進行形の努力の集積で守られたものを保持していく
政治とは一時的な処方箋をあたえるだけの営みであり、恒久不変に有効な原則など存在しないと考える
・保守主義には中庸を志向する
統合を志向しても偏狭に落ちず
多様性を尊重しても分裂に走らず
政治にはどうしても排除の論理がつきまとうが、それにより国家の分裂が発生するのを警戒する
・保守主義の政治家は国民に対する信頼と懐疑の狭間で平衡感覚を保ちながら統治に臨む必要がある
・保守主義の政治家は一つか二つの正義や教義によりかかることをしてはならない
まぁまだいろいろあるでしょうが、これくらいでしょう。
僕は政治というのを勉強する上で、学生という立場上よく理論から入るんですが、今回は具体的な営みとしての政治を考えることができてよかったと感じられました。
まぁ確かにダイナミズムと革新の境目なんていうのは非常に曖昧でありますが、政治を行う上で「理性への懐疑」が肝要だという考え方は非常に参考になりました。
革命などでよく聞かれる理想や美辞麗句に対する懐疑、というのは確かに大切かもしれませんね。
理想に燃える革命の発起人よりも、その理想を引き継ぎながらもパワーバランスの感覚に長けた第二波の人々の方が成功しやすいのも、政治という営みの具体性を証明するものでしょう。
まぁ夜遅いのでこれくらいで。
政治学にまつわる本の中では、結構印象に残った本だったと思います。
内容も濃かったし(記事では書きませんでしたが、主要国の保守主義政治家の姿を著したりしていました)、大変面白かったです。


えー、お久しぶりです。
まぁお久しぶりになるのも無理ないですよねぇ。
さっきまで全八巻の大作と格闘してましたから(笑)
坂本竜馬について書かれた本です。竜馬といえば去年の大河ドラマで福山雅治が演じてましたが。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。
えぇ。
まぁ
ちょっと休ませてください(笑)
今読んだばっかりで疲れてしまって。
だいたい前回の更新が2/4で、今日が2/21ですか。
17日で8冊って結構なペースだと思いますよw
まぁ自分が大学生で、しかも春休みだった、という状況がそれを可能にしたんですね。
まぁそんな話は興味ないでしょうw
本の感想というか内容についてちょっと喋って終わります。
えー、月並みですが、面白かったです。
いやもう、ほんとに面白いんですよ。
まぁそこは自分が司馬遼太郎にハマっているという前提条件が多分に作用していると思いますが。
「竜馬がゆく」という題名通り、幕末の日本史を一人で切り開いたとも言われる坂本竜馬の生涯を追いながら、竜馬をとりまく志士たちの姿を活写している…という本です。
なんか贅沢すぎますね。だから8巻もあるんですよ。
司馬遼太郎本人は、「事を成す」のはどんな人であるか、という主題があって書いていたようです。
そしてそのエッセンスは、この8冊の本の中に多分に含まれています。
それは、この本が「成功例」としての坂本竜馬だけでなく、日本を憂う気持ちは竜馬と同じように、あるいはそれ以上に抱いていたにも拘らず志半ばに死んでいった志士たちの「失敗例」についても詳細にわたって記述されているからでしょう。
(失敗例という記述は少し酷かもしれませんが、司馬遼太郎が「事を成す」ことに主眼を置いていた以上、わかりやすく対比するとそうなります。)
ただ、こればっかりは僕が文章で伝えるわけにはいきませんね。
8冊の本を読まなければわからないものです。
無理やり言葉という枠に当てはめるのも難しい。
そして得たものが多すぎる。
その意味では8冊を通して得たものは、「感覚」という域を超えません。
ただ、それは読み終えた人(たとえば僕)の心の底に沈殿し、そして少なからぬ作用を及ぼすように思われます。
だから、もし気になった人は読んでほしいと思います。きっと、大切な感覚を得ることができると思います。
まぁそれ以上に物語として面白いですからね。8巻なんてあっという間でした。
まぁなんにせよ、長さ内容ともに大変読み応えある本でした。
最後に、自分が個人的に感心したフレーズを引用しておきます。
「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ。」坂本竜馬の言葉です。
独自路線を歩みながら、常に人に恵まれていた彼の本質が垣間見える気がします。
ここから余談。
さて、ここ17日更新が無かったわけですが、実質は「1週間に2冊」という努力目標を大きく上回り「2日で1冊」というペースで本を読めていたわけです。
さて、次は何を読みましょう。
ちょっと新書に戻ろうかなとも思っています。
「常識としての保守主義」
「新しい世界史へ」
「メディアと日本人」
「市民社会とは何か」
「日本の思想」
これだけの本が机の上に山積してます。後先考えずに買うからこうなるんですw
ちなみに、僕は「本は読み終わるまで本棚に入れない」という方式です。
「読み終わらないと机が片付かない」という謎のプレッシャーがあるわけです。
まぁ我ながら賢いとは思えませんねw
ちなみに、司馬遼太郎の本もまた買っちゃいまして。
「世に棲む日日」です。
こっちは3冊だったかな?
まぁ本当に司馬遼太郎がたくさん本を書いてくれてよかったなぁ、って感じですよw
そんな感じで、僕の混沌とした読書事情を紹介したところで、この記事は終わりとしておきますか。
それでは。

今回は新潮新書の「衆愚の時代」をあつかいます。
新潮新書今まで読んだことなかったんですよね。なんかタイトル的に学問というより実用に向いた本が多い気がして。
さて、まぁその記念すべき第一号の「衆愚の時代」ですが、感想としては失敗ですね。
タイトルだけで買ってしまったのが悪かったと思います。
いや、僕は「衆愚の時代」だから、現代社会を衆愚の時代として描いたうえでその様相を書いた本かなと思ったんですよ。
ところが全然そんなこと無かった。読み終わった後表紙の内側の紹介文見て初めて知ったんですけど、この本は「衆愚の時代」に鉄槌を下すため、社会の常識をつらつら述べていく本だったんです。
いやもう、これは完全なるミスです。まぁ最後まで読みましたけど。うん、これは僕が悪いですね。
さて、率直に思ったことを申させてもらいますと、
まぁ世の中の大半の大人や高齢世代がよく言ってるようなことをそのまま言ってるだけですね。
筆者はどうもマスメディアや政治家などのコメントが余りにも「きれいごと」ばっかり言うことに怒りを禁じえず、世の中はそんなに甘くないと訴えたいようです。
今の時代、政治家やキャスターの言うことを鵜呑みにするような人が存在する、なんて信じている方が常識から外れた考え方だと思うんですが。まぁそうでない人も多いというのは確かでしょう。
若者には社会に甘えるなと言い、一方で高齢者に優しい社会を作れと主張しているのがなんともまぁ、よく聞く話だなぁと思いました。なんだか、口うるさい大学教授の、「近頃の若者は…」パターンの雑談を聞いてる感じでした。
べつにつまらなかったわけではありませんが、まぁ読んでいて得るものはそんなにないかもしれません。少なくとも僕はそう感じました。
世間の常識を叩き込むという体の本を書いている割には、筆者もなかなか理想主義者じゃないかなぁと思いましたね。
さて、次回は何やるかわかりません。
新書だったら「新しい世界史」、「国家の命運」
小説だったら「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)
あと、新渡戸稲造の「武士道」も手元にあります。
まぁ読んだ順にやっていくとしましょう。
こんにちは。
今回は司馬遼太郎の「風神の門」を紹介します。
前回の梟の城とおなじく、忍者の生き方を中心に描いた作品です。
まずはあらすじを紹介。
関ヶ原の合戦によって豊臣家が大阪城に閉じ込められてしまった時期、伊賀の忍者の頭領、霧隠才蔵は人ちがいで何者かに襲われたことから、豊臣・徳川の争いに次第に巻き込まれてゆく。生来、いかなる集団にも属することを嫌った才蔵であったが、軍師真田幸村の将器に惹かれ、甲賀の忍者、猿飛佐助とともに、豊臣家のために奮迅の働きをし、ついには徳川家康の首をねらうにいたる。
忍者霧隠才蔵というのは服部才蔵といった方がピンとくる人がおおいでしょうか。
司馬遼太郎にハマる人は本当にハマるというのもわかる気がします。
三作連続で読んだのに全く飽きが来ないあたり、すごいなと感じざるを得ません。
では、感想。
司馬遼太郎という人の好みなのでしょうが、この作品の主人公も自分の技術で世の中をひろびろと生きていく人物でした。
霧隠は「梟の城」の葛籠と同じ伊賀の忍者であり、その倫理観には共通するところが幾つかありましたが、それでも微妙に違うところもありました。
まぁ一番印象に残ったのは、この作品もやたらと主人公がモテたなぁということでした。
司馬遼太郎の作品は主人公を中心として、仕事と女性が微妙なバランスで描かれています。もちろんそれこそが魅力の素なんですけどね。
まぁ小説はあんまり書くことないですねぇ。
ネタバレになってもつまんないですし。
ちょっと気に入ったフレーズだけメモ程度に引用して終わります。
猿飛佐助が才蔵を評した言葉
「狂人かもしれませぬ。ただしく申せば、風狂の者でござりましょう。あの者、才幹もあり、志も大きゅうございまするが、そのこころざしの方向が決まっておりませぬ。自然、世に身を置く場所がなく、場所がないままに、世を相手に自在に遊び呆けようというのではございますまいか。男には、まれに、左様な型の者がござりまする。」
社会学などをやっている人からすれば、こういう忍者の生き様は読んでいて面白いかもしれませんね。