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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

294. 尻啖え孫市 上下 (司馬遼太郎)

個性豊かな戦国武将のうちでも、ひときわ異彩を放つ雑賀孫市は、信長最強の敵である石山本願寺の侍大将を引き受けることになった。戦国の世を自由闊達に生き、木下藤吉郎との奇妙な友情をはぐくみながらも、鉄砲の腕にもの言わせ、無敵の信長にみごと"尻啖わせた"痛快な漢の一生。


▽尻啖え(しりくらえ)
「からり」とした、豪放磊落な快男児。「戦国の英雄豪傑」と聞けば、多くの人がそんな型の男を思い浮かべるだろう。

司馬遼太郎の見るところ、『尻啖え孫市』の主人公、雑賀孫市はまさにそんな男だったようだ。「尻啖え」とは、相手に向かって尻を見せて、叩いてみせるもの。挑発である。

「尻啖え」という言葉をタイトルにつけたとき、著者も「これはさすがに」と思って戸惑ったらしい。たしかに品の良い言葉ではない。ただ、その下品さが、孫市のような男に似つかわしく思えるから仕方ない。

その「尻啖わせた」相手は、戦国乱世を「天下布武」の色に染めようとしていた織田信長である。戦闘にかけて天賦の才を恵まれた孫市は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼を最後まで手こずらせた。

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」

信長、秀吉といった天下の大役者と互角に渡り合った田舎侍の活躍に、読者は目を白黒させながらついていくことになる。


▽大人になりぞこなった男
男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。

孫市の行動原理は打算になく、ひとえに子どもっぽい功名心や好奇心にある。ほとんど「天下をのぞむ男と勝負したい」という心意気だけで、信長に立ち向かいつづけた。信長や秀吉はたまったものではない。

鉄砲といくさ、そして女。それだけが彼の関心、人生の根っこであった。その単線な生き様は、「乱世」という背景に引き立てられ、じつに美しい。「成否を問わず、自己の技量を賭す」という司馬の哲学が、色濃く反映されている。

技量、と書いた。孫市のそれは、言うまでもなく軍事的才能である。司馬はこう綴っている。

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。

この点、『花神』における大村益次郎もそうだった。何かの才能に恵まれたものは、それに引きずられるようにして数奇な人生を歩むらしい。一個の芸術家のように、それを世で試し、問い、爪跡を遺していく。

激烈、数奇、そして酔狂…。それらは司馬文学が今日なお多くの人を惹きつける要因であるだろう。

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。

「戦国」という世を体現したような主人公。その時代の足音がやむとともに、「からり」と姿を消していった孫市を見送りながら、僕のなかで燃える「子ども」が頭をもたげるのを感じた。


◆気に入ったフレーズ
下巻
「女に理想を求めようとする心がなければ、好色漢にはならぬ」43

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。88

「才能こそ、世のいかなる権威にもまさる最高のものではないか」90

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」165

男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。227

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。394

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291. 歳月 上下 (司馬遼太郎)

肥前佐賀藩に生まれた江藤新平。国政への参画と自分の栄達をかけて藩の外交を担い、京へ上った。卓抜な論理と事務能力で頭角を現し、司法卿として敏腕をふるう。ところが征韓論争で反対派の大久保利通、岩倉具視らと対立。敗れて下野し、佐賀の地から反乱を企てるが…。34歳から41歳までの間に、栄光と転落を味わった生涯を描く傑作長編。


▽才人
「わしがこの世にうまれてきた意義は、日本に法治国たる基礎を建設することにある」

江藤新平という、ひとりの才子が主人公である。「薩長土肥」の一角である肥前佐賀藩の浮沈を背負って日本の中央政界へと進出した。

革命家は「破壊すること」は得意でも、新体制を「創ること」は不得手であることが多い。そんななかで、法制度にすぐれた知見をそなえた江藤は司法卿に就任する。自然、革命政府の中で重きをなしていった。

たいへんな切れ者で、議論をたたかわせて彼の右に出る者はいなかったという。作者も江藤を「日本語世界がうんだ最大の雄弁家」と褒めそやしている。文句なしの才人であろう。

ところが、彼は征韓論争をめぐって大久保・岩倉らに敗北し、下野する。最後には憤懣やるかたない佐賀藩士たちに担ぎ上げられ反乱を指導するも敗北、非業の死を遂げる。

わずか7年間の間に、この転落ぶり。いったい何が彼の没落を招いたのか。そのあたりの機微を、司馬は深い洞察をもとに描いている。


▽政治的痴呆
理論家はついに理論家だけのことであり、政治のきめ手となるべき勢力というものをもっていない。

司馬は江藤をこう評している。正論だけで政治の世界を罷り通れると思っていたあたりに、彼の大きな迂闊さがあった。

自らの構想を実現するには、権力闘争に勝たなければいけない。しかし彼は権謀術数に手を染めなかったし、相手のそれを察知することもできなかった。

彼はなるほど才人であったが、それにとどまった。本作では使われていないが、「政治的痴呆」という司馬の言葉がそんな江藤の性質をよく表しているだろう。

「政治的痴呆」とは、『義経』において使われた言葉だ。義経は軍略の天才であったが、兄・頼朝の策謀だけはついに見破れず、命を落とした。こうして見ると、ふたりは文武の違いこそあれ、似ているかもしれない。

それにしても、政争に敗れて佐賀へ落ち、不慣れな戦闘の軍配を握り、得意の舌鋒も封じられたまま権力に殺される江藤の悲壮さはすさまじい。物語の終盤は、読んでいて胸が締め付けられた。


▽「化け物」との対比
この小説をいっとう美しくしているのが、政治の世界における「痴呆」と「化け物」との対比構造であるだろう。「化け物」とは大久保利通のことだ。

国家の設計を手掛けることに意欲を燃やした大久保と江藤。彼らは政敵となり、政治力の差がその明暗を分けた。大久保は工作を施して征韓論を廃案にし、佐賀へと下った江藤に「反逆人」の名を着せたのである。

大久保は江藤の命を利用した、と司馬は書いている。この巨人は情や法理をあえて踏みにじり、江藤を梟首に処した。武士のさらし首は、江戸期にもない酷刑である。明治政府、大久保政権の権勢を高め、来るべき西南戦争に備えるためだった。

正義のみを恃みとした江藤は、大久保の尋常ならざる政治的才覚を前に倒れた。本著が描いた敗北は、政治の世界がもつ独特の「苦み」を伴って、読者の味覚を刺激してくるようである。

もっともすぐれた政略家というのは、合法感覚に富みながらしかも、稀代の犯罪者の素質と実行能力をもたなければならない。


◆気に入ったフレーズ
「志は燃えている。燃えているが方向をもたぬ。方向をもつには、まず情勢を知ることである」23

「男子はすべからく厳頭に悍馬を立てるべきだ」45

「その欠点をさがさねば真に知り、愛し、敬したことにはならない」50

急がずば濡れまじきものと人は言う
急がで濡るるときもこそあれ67

「新平、京にのぼれ。ひとえに言う、京における佐賀藩の位置を重からしめよ」85

たとえば画家が筆を欲するように江藤は権力を欲している。権力という筆があってはじめて、江藤はこの世の中を画布にし、思うままの絵をかけるのである。162

「正論はつねに極論にまで至らねばつらぬけぬものだ」213

「およそ政治を志す者に安穏の道はなく、古来、歴史に名をとどめた者のうち、何人が安全であったか」257

「私は富貴を望んだのではない。仕事を望んだにすぎぬ」270

「わしがこの世にうまれてきた意義は、日本に法治国たる基礎を建設することにある」307

「人間というものは天地の愛子である。この愛子に天寿を全うさせるのが国家の役目である」309

「すべて法に照らし、法の正義によってこれを処断するのみである。その影響がどうであろうと、法官たる者は斟酌すべきでない」388

理論家はついに理論家だけのことであり、政治のきめ手となるべき勢力というものをもっていない。9

もっともすぐれた政略家というのは、合法感覚に富みながらしかも、稀代の犯罪者の素質と実行能力をもたなければならない。399

「ただ、皇天后地のわが心を知るあるのみ」
天地だけが知っている。この日本語世界がうんだ最大の雄弁家の最後のことばである。423

「ぼくはなんらかの情熱を持った男、その男たちのこっけいさと悲壮さを書いているのです。情熱的になればなるほど内面は悲壮となり、またこっけいにもなる、変革期にはそれがそのまま鋭角に現れる」455

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250.ふしぎなキリスト教 (橋爪大三郎・大澤真幸)

キリスト教がわからないと、現代日本社会もわからない――。イエスは神なのか、人なのか。GODと日本人の神様は何が違うか?どうして現代世界はキリスト教由来の文明がスタンダードになっているのか?知っているつもりがじつは謎だらけ……日本を代表する二人の社会学者が徹底対論。

この本のあらすじを探そうと思ってインターネットの検索をかけたところ、相当な数の批判が上げられていることがわかった。どうも間違った箇所が多いらしく、帯にあった「最強の入門書」という言葉は誇張のようだ。

些事を省いた「大きな物語」は、読んでいて面白い。そのかわり、数多の反例も出てくる。この本もその類らしい。もちろん僕のような門外漢が「眉に唾をつけて」楽しむ分には、問題はないだろう。


▽「無理解っぷり」への理解
キリスト教を踏まえないと、ヨーロッパ近現代思想の本当のところはわからない。現代社会もわからない。
あとがきで、橋爪氏がこう語っていた。これまで日本が必死に輸入してきた西欧の数々の発明は、キリスト教の強い影響下で生まれたものばかりだった。それらをテコに、わたしたちは民主主義を標榜する経済大国にまでのし上がってきた。

西欧に対する本質的理解を置き去りにしたまま、表層だけをうまく模倣したのである。丸山眞男は「哲学からの派生」を無視した日本の諸学問体系を「タコツボ型」と表現したが、それに近いことが社会のあらゆるところで行われた。まさに「辺境人」の成せる技かもしれない。

しかし、その誤魔化しも通用しなくなりそうだ。「文明の衝突」という言葉もあるが、冷戦下に支配的だったイデオロギー対立にかわって、今日では文化的アイデンティティの差異に基づく対立が顕在化しつつある。日本人のような「辺境人」も、これまで見習ってきた文化のもっと深層にまで思索を伸ばす必要があるかもしれない。

そういうなかで、キリスト教への理解は重要だ。いや、正確には「われわれのキリスト教への無理解っぷり」への理解が重要になってくる。

私たちは学校教育やさまざまな場面を通じて「西欧文明」を知った気になっている。民主主義を学び、人権の尊さを学び、キリスト教の歴史を学ぶ。そのうち、「キリスト教とは、こんなものだろう」とタカを括るようになる。

ところが、この「タカを括った態度」ほど異文化理解で邪魔になるものはない。偏見は相手に対する認識を歪め、感情の測り間違いにも繋がる。元来、「新しい人に会う」というのは自分自身をも書き換えるほどの体験だ。バックグラウンドが全く違うなら尚更、とってつけの知識を捨て、虚心に接しなければならない。

そういう意味で、僕のような「分かったつもりの素人」には、この本は刺激的だし、有益だった。

「一神教とはなにか」を知らずに、キリスト教は理解できない。キリスト教が数々の矛盾を内包していることを知らなければ、西欧社会の近代化を考えることはできない。「理性」がキリスト教のなかでどう位置付けられているかを考えないと、それに基づく諸科学の発展は説明できない…。

どれも、僕は本を読むまえから「知っているつもり」のことだった。もちろん、この本で「100%分かったつもり」になるのも、第二の誤謬に繋がる危険がある。少なくとも、「キリスト教」という系が想像を絶した複雑さと数々の自家撞着を孕んでいることは、感じることが出来た。これは結構な収穫だろう。

この本に「日本人はそうじゃない」とか「教会によればそうじゃない」とか批判を加えることは可能だ。だが、キリスト教に対して「知らなかった」という感覚を読者に植え付けるうえでは、かなり有効な本ではないかと思う。

キリスト教徒は世界で20億人。これだけ広く信仰されている以上、分かりやすい宗教なのだろうと思っていた。それが、こんなに複雑だったとは。ヨーロッパ旅行では数多の教会の門をくぐってきたが、こんどは聖書の扉を叩かなければいけなくなった。僕の心に「ふしぎ」を植え付けた、この本の勝ちである。


◆気に入ったフレーズ
イスラム教は勝ち組の一神教。ユダヤ教は負け組の一神教。

世界が不完全であることは、信仰にとってプラスになる。

一神教には、この考え方しかない。つまり、試練です。試練は、原因がないのに悪い出来事が起こること。

神に関しては、その存在を確認するうえでのあらゆる方法が禁じられている。

偶像崇拝がいけないのは、偶像だからではない。偶像をつくったのが人間だからです。

ヤハウェは、民主主義的平等を可能にする、絶対的な例外的な差異ですね。

イエスは、旧約聖書を「解釈」しているんです。歴史的存在としてのイエスはそうだと思う。

自分の言葉でしゃべる。はっきり言えば、自分自身が神のようにしゃべっている。

神が誰を救うかは、神自身が理解していればよく、それを人間に説明する責任もないし義務もないし。だいたい、説明しない、説明したくない。こういうものです。これをまるごと受け入れないと、一神教にならない。

前提として、日本人は現状に満足していて、いじめられ民族じゃないんだ。

社会が近代化できるかどうかの大きなカギは、自由に新しい法律をつくれるか、です。

人間は罪深く、限界があり、神よりずっと劣っているけれど、理性だけは、神の前に出ても恥ずかしくない。数学の証明や論理の運びは、人間がやっても、神と同じステップを踏む。

理性は、神に由来し、神と協働するものなんです。

ふつう世俗化というと、宗教の影響を脱することを言うわけです。しかし、キリスト教は、世俗化において一番影響を発揮するという構造になっている。

宗教とは、行動において、それ以上の根拠をもたない前提をおくことである。

日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。

キリスト教を踏まえないと、ヨーロッパ近現代思想の本当のところはわからない。現代社会もわからない。

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239.俄 上下 (司馬遼太郎)

要点
・任侠とはなにか
・幕末の侠客たる主人公が果たした役割
・侠客に学ぶ渡世の姿勢


逃げた父の代わりに金を稼がねばならなくなった万吉は、身体を張った”どつかれ屋”として身を起こす。やがて生来の勘とど根性と愛嬌を元手に、堂島の米相場破りを成功させ、度胸一の極道屋・明石家万吉として知らぬ者のいない存在となった。幕末維新から明治の騒乱の中をたくましく生き抜いた”怪態な男”の浮沈を描いた、異色の上方任侠一代記。

食欲がおさまらない。頭の食欲が、である。
たしかに短編は面白い。ぎゅっと凝縮された短い物語を、想像力の限りを尽くして味わい尽くす。数十分間、じっくり咀嚼して、箸を置く。味を確かめて、反芻し、次へ、という感じ。

小気味よくて良いのだが、どうも満ち足りない。ボリュームが欲しい。何日もかけてストーリーと格闘し、読み終えるような、そんな経験を恋しく思う。上下巻ともに600ページ近いこの「俄」を手にしたのも、そんな心理と無縁ではない。久しぶりの司馬遼太郎。


▽任侠
主人公の名は明石家万吉という。聞きなれない人物である。幕末から明治維新までを生き抜いた、大侠客らしい。

まず、侠客というものがわからない。どうも遊び人やヤクザ者の専売特許のような言葉だ。辞書は「強きを挫き弱きを助ける、任侠を建前とした渡世人」という。でも、今度は任侠がわからない。ふたたび辞書を繰る。

「仁義を重んじ、困っている人や苦しんでいる人を見ると放っておけず、彼らを助けるために身体を張る自己犠牲的精神を指す語」。
わかったような、わからないような。でも、この本の主人公と共通するものは感じる。確かに、万吉は長い物語の中で一度として人からの要請を断ったり、人を裏切ったりしたことはなかった。


▽侠客、明石家万吉
「智恵より大事なのは覚悟や、と。覚悟さえすわれば、智恵は小智恵でも浅智恵でもええ、あとはなんとかなるやろ」

「殴られる、斬られる、この二つに平気になれば世の中はこわいものなしじゃ」


幼いころに母と妹を養わなければいけなくなった万吉は、とにかく金のためになんでもやった。そんな境涯が、とびぬけて厳しい覚悟と度胸を鍛えた。彼は自らの人生を一場の「俄」と心得、そのために「いつでも、軽々しく命を捨ててやる」という態度を貫いたのである。

命さえ惜しくなければ、どんな無理難題も快諾することができる。幕府からも、薩長からも、配下のヤクザ者からも、いろんな頼みごとが彼のもとに押し寄せてくる。そのつど万吉は「うん」と言い、危うい場面を潜り抜け、男をあげた。

言葉を変えれば、日本史上もっとも生き抜くのが難しい時代を、彼は「任侠」で渡り歩いたことになる。頼まれれば、断らない。かわいそうだと思えば、手を貸してやる。誰のためであれ、その精神を徹底する。複雑な時代を単純な原理で生きるには、「尋常ならざる単純さ」を持たなければいけない。それを備えていたという点で、やはり万吉は傑物だったのだ。


▽「侠客」はなぜヤクザの親分なのか
では、そんな「任侠」精神がなぜヤクザと結びつくのか。一見すると不思議だが、答えは存外簡単である。それは「汚れ仕事をしたがらない」という、多くの人の性質に由来している。

名誉や名声が手に入ったり、金になる仕事は多少キツくても誰かがやる。一方で、万吉のもとにくる仕事は「骨折り損のくたびれ儲け」ばかりだった。金にも名誉にも繋がらず、下手をうてば命すら落としかねない。考えてみれば当然のことだ。なんにでも首を縦に振る侠客のもとに、オイシイ仕事が転がり込んでくるわけがない。

ましてや彼が生きたのは革命動乱の時代だった。革命とは旧体制によって蓄積された腐敗や汚れを一掃する行為に他ならない。必然的に、大量の「ホコリ」や「汚れ」が出てくる。薩長土肥の華やかな活躍の裏で、万吉はそれを処理してやることで、国家の「代謝」を可能にした。これは侠客にしか引き受けられない仕事だったろう。

彼はヤクザの大親分であったと同時に、貧者や病人の世話など慈善事業の主でもあった。正反対に見える二つの営みも、その根は「社会からあぶれそうな者の面倒を見てやる」という任侠の精神である。物語終盤の万吉は金も名誉も持たなかったが、ただ周囲からの尊敬だけは手放さなかった。まことに奇妙というほかない。


▽任侠の渡世
「他者を手段とするな」ということを、カントは言った。万吉の任侠も、まさにそんな精神だった。彼が人の頼まれごとにあたるときは、見返りなど一切期待していなかった。

人脈、という言葉がある。社会にでれば一層必要とされるだろうが、注意をしたい概念でもある。「人とのつながりは最終的に自分の役に立つもの」という匂いが潜んでいるからだ。多くの場合、これはあたらない。マキァヴェリではないが、人間とは自己中心的で、移り気で…、要するにアテにならない存在である。

「恩は仇で返されるものだ」という前提を敷くことが、社会を生き抜くために一番良い姿勢に思われる。人に期待しない、何か返されたら儲けもの、という程度がいい。過度な人間への期待は、遠からず人間への失望に繋がり、やがて「人間嫌い」の病に至りかねない。

そのうえで大事なのが、不完全な箇所もひっくるめて、人間を好きでいることだろう。無駄とは知りながら他人を助けてやる。ある程度なら、損をすると分かっていても、見捨てない。そういう人に、人間は心の底から敬服して、ついていく。

万吉がまさにそうだった。彼にとって人間とは「厄介ごとを持ち込んでくる禍のもと」でしかなかっただろう。それでも、彼らのために働くことを惜しまなかった。つまるところ、人間が好きだったのだろう。

人は、汚れたものを押し付けてくる「厄介のもと」であること。それを知りながらまるっと抱え込んでしまう万吉の姿に、私たちが学ぶべきことはたくさんある。軽々しく「人脈」というなかれ、それはふつう考えられるほど美しいものでも、簡単なものでも決してないのである。


◆気に入ったフレーズ
「智恵より大事なのは覚悟や、と。覚悟さえすわれば、智恵は小智恵でも浅智恵でもええ、あとはなんとかなるやろ」

(殴られる、斬られる、この二つに平気になれば世の中はこわいものなしじゃ)

一度使った才覚は一度だけ古くなるものだ。何度も使えばすりきれて使いものにならなくなる。

喧嘩も戦争もおなじことだ。恐怖と恐怖のくらべあいのようなもので、恐怖の量がより大きくなった側が崩れ立ってしまう。

「夜はものを考えぬ」
というのが、万吉の処世である。深夜ものを考えると来し方行くすえのことがあたまのなかに去来し、考えることが自然萎れてきて消極的になるからだ。

万吉のやり方はつねに体中を胆にして出かけてゆく。胆に刃物は要らない。

「わいは人間の屑や」
と、いきなり大声でいった。
「屑が死のうと生きようと、天道様にはなんのかかわりもあらへん。せやろ」
妙な演説である。

「人間、なんでうまれてきたかということもわからぬ生きものであるのに、思慮分別で嫁がもらえるか」

「男には、やってはならんことがいくつかある。その大なるものは、笑もんにならんということや」

「黒白さだかならぬご時勢には、黒白さだかならぬ姿でゆくのがええ」

「もともとこの稼業は死ぬことが資本で看板や。この土壇場になって逃げたとあれば稼業はめちゃくちゃや」

男伊達という、空虚で枝も葉もない、ビールの泡のような一場の夢を買えばそれでよかったのである。そのようにしてこの男はそのながい半生を送ってきた。

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237.反逆する風景 (辺見庸)

北京でチェルノブイリでウガンダで…世界のいたるところを旅した著者が見たものは、風景そのものこそ真実を語っている現実だった。『もの食う人びと』が陽当たりのいい地表部分なら、本書は湿った地下茎だ。その地下茎が異議を申し立てて、抑制と我慢から解放された新しいノンフィクションが生まれた。

著者がこう語っている。「反逆する風景」は、自身の書いたベストセラー「もの食う人びと」への公然たる裏切りである、と。
風景の中の「無意味」な存在に注目したのが前者で、見るもののなかから意味を抽出した世界が後者である。ちょうど陰と陽のような関係だ。

ドストエフスキーの「地下室の手記」を彷彿とさせる、捻くれた視線が面白い。たぶんこの本が好きな人も嫌いな人も、その理由を説明することはついにできないだろう。意味の羅列が収められる本の中身が、「意味」を拒否するような風景で満ちている。読者は困惑しつつ、読み進めることになる。


▽無意味の反逆
風景はしばしば、被せられた意味に、お仕着せの服を嫌うみたいに、反逆する。
冒頭で、こんなエピソードが紹介されていた。著者が貧しい国の山奥を取材したときのこと。粗末な食べ物や小汚い家屋、眼に入るものすべてが「貧しい山村」というストーリーを裏付けしつつあった。ところが、そこを不意に赤いジャケットを着た現地の人が通りかかるのである。さて、困った。「貧しい山村」という意味付けの風景に、急に華美なジャケットが割り込んできた。

こういう場合、普通の人は「赤いジャケット」を描写から外す。文章の論理的整合性を損ない、結局なにが言いたいのか分からなくなるからだ。そして、まさにそうして「無意味」を排除し「意味」ばかりに目を向けて書いたのが、「もの食う人びと」だった。

ところが、「風景の反逆」から目を背け続けて本を書いたことに後ろめたさを感じたのだろう、彼は「アンチ・もの食う人びと」の本を書きたくなった、「反逆する風景」という本を。著者を含む世界中の人びとを圧倒的な力で支配している「意味」群に対する、ゲリラ的に反逆する「無意味」たちを題材にして。


▽「無意味」な反逆
意味は無意味を、結局のところ説明できはしない。
「反逆する風景」に出てくる「無意味」たちは、説明を要しない出来事である。「無意味」とは、不合理の極致であると同時に、究極の自明だ。説明できないがためにこの上なく弱く、説明を要さないがゆえにこの上なく強い。それが「無意味」の独特な魅力にも繋がっている。

難しいのは、「無意味」の魅力について語りすぎると、その「無意味」が「意味化」されてしまうということだ。このジレンマは、ラストの観覧車についての短編で非常に巧く表現されている。

つまるところ、「風景」の反逆には特に意味がないのである。なんの意味もなく、風景はふっと「魔が差した」というように反逆する。不釣り合いなものが網膜に映る。ありえないものがそこに置かれる。予期せぬものがそこを通過する。

普通、そんなものに人は注目しないし、貴重な時間を割こうとしない。ましてや、それで本を書こうなどと思い至らない。辺見庸はそこに挑戦した。意味のないものを無視するでもなく、無理やりに意味を見出すでもなく、ただそこに「ある」ものとして描写する。そうして物語にならない物語を紡いでいく。

読者の読み方次第で、この本はどれほど長い長編小説よりも長く、どれほど短い短編よりも短くなる。

昔、僕は「要約というのは要約するべき内容があって、はじめて可能な行為である」と書いた。我ながらうまいことを言ったものだ。この本について言えば、要約など不可能だし、そもそも用をなさない。それでも「反逆する風景」はたしかに読者を惹きつけ、考えさせる。こんな小説はそうそうお目にかかれるものではない。


◆気に入ったフレーズ

風景はしばしば、被せられた意味に、お仕着せの服を嫌うみたいに、反逆する。

無理な意味化はかえって風景の真意を裏切ることになる。風景のおもしろさを殺す。やはり、意味など明示する必要はない。

どんなにささいな規模であれ、風景の反逆を描かず、気づかないふりをするのは、つまるところ、書き手が世界に反逆したくないからなのだ。

新聞はもっともっと不可視の実在について語らなくてはならない。

極大を扱った記事が極小のそれに遠くおよばず、生き生きした極小がなによりもたしかに極大の事態を伝えることがしばしばある。

意味は無意味を、結局のところ説明できはしない。

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