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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

241.安倍政権の罠 (清水克彦)

経済政策、TPP、改憲、原発、普天間移設…。背景が複雑な政治課題を単純化し、善悪二元論的なメッセージを発する技術に長けた安倍政権。国の将来を左右する重要法案を数の論理で押し通す安倍政権の一人勝ちという状況にメディアも加担してはいないだろうか。政治が単純化される今、「安倍一強」時代といかに向きあうかを考えるための視点を提供。

意外な再会である。数年前に「政治主導の落とし穴」という新書を読んだのだが、それと同じ作者だった。同書は、民主党政権が掲げる「政治主導」という概念や、官僚と政治家の関係を考えるうえで非常に参考になった。僕のブログの2番目の記事にもなり、まことに印象深い一冊だった。

さて、「安倍政権の罠」を読むことにした理由は、最近新聞ばかりを読んでいて少し近視的になってしまったためだ。ここ数か月の出来事を微細に追っていた反面、半年や一年単位の経過を俯瞰することが少なかったのである。その点、かつての著作で見事に民主党政権の失敗を総括していた筆者は、今回もよく現状を整理していた。


▽「政治主導」を超えて
高い専門性を誇る官僚組織を、政治家がどうやって使いこなすか。民主党政権の「政治主導」の失敗を乗りこえて、安倍政権は一強体制をつくりあげた。

優秀な補佐役を集め、直属の国家安全保障局などを設けて内閣機能の強化を行い、ホワイトハウス的な国家体制を敷く。さらに、議席数を背景とした「政高党低」の形勢を維持することで、リーダーシップを対内的にも盤石なものにする。こうした体制を、筆者は「官邸主導」と表現していた。失敗に終わった「政治主導」と区別するためだろう。

安倍政権はこうして「一強体制」を実現させた。政権が重要な政治課題に次々と手を出しているのも、そのためだろう。ここまでの指導力を掌中に収める機会は、自民党にとってはまさに「千載一遇」なのである。強いリーダーはいつの時代でも求められるが、安倍首相は間違いなくそれに近いところにいる。

もちろん、そのことは功罪相半ばする。力があれば、必然的に議論が面倒になり、意見の調整が雑になる。そのことは特定機密保護法や集団的自衛権の行使容認などの動きに表れた。

「決められない政治」から「決めすぎる政治」
本の中で紹介されていた、ある議員の言葉である。うまい表現だ。安倍政権が着手しようとしているのは、どれも「国家百年の計」ばかり。そんな政権を前に、「百年の計」をこの数年で決めてしまっていいのかという態度は、全ての国民が持つべきものだろう。

加えて、その「官邸主導」政治を支えているのが菅義偉官房長官である、という指摘もかなり印象的だった。本の中では、色々な事例にまつわる菅氏の知られざる辣腕ぶりが語られている。いつも涼しい顔で会見に臨んでいる菅氏が文字通り「内閣の要」であることを知り、政局を見る目を大きく変えさせられた。


▽政権を見つめなおす
本では、そこから個々の重要な政治課題について、筆者なりの視座が書かれている。それは一強体制を背景にYES/NOという争点の単純化を図ろうとする政権と、その流れについ掉さしてしまうメディアに対する批判だといっていいい。

内容はここに書かない。時事問題を考えるうえで面白い指摘がいくつかあるので、実際に眼を通してもらえればいいと思う。「メディアや政権が政治を単純化しすぎている」という問題意識も、べつだん目新しくもないだろうし。

この本を読んで一番よかったのは、時事問題を比較的長期的な目で見ることができたことだ。安倍政権が出来てから何があったか、何が起ころうとしているのか、一度じっくりと見つめなおすことができたのである。

日々刻々と移り変わるニュースを追いかけてばかりでは、政権の尻尾はついに掴めず仕舞いになってしまうだろう。政権の姿は、個々の出来事や政策を足し算しただけでは見出せない。

そうではなく、腰を落ち着けて、長い時間軸をもとに、ぼんやりと見てみる。目まぐるしく動いている一つ一つのピースに注目するのではなく、全体を見てみる。そうすることで、モザイク画のようなあんばいで、総体としての「安倍政権」は姿を現すのではないか。本を読んでそのきっかけを掴んだ者として、そう思う。

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93.熟慮ジャーナリズム (奥武則)

今回は平凡社の「熟慮ジャーナリズム」。
著者の奥武則は毎日新聞社の学芸部長、論説副委員長を経て同社の客員編集委員となっている。
自ら「論壇記者」としての経験を綴りながら、これからの新聞が担っていくべき役割を主張する一冊である。

著者が携わってきた「論壇」という領域を、同氏はこう表現する。
第一義的には、「国内外の政治や経済など、さまざまな領域の、広い意味での時事的なテーマについて、専門家が自己の見解を表明する場」であり、それを踏まえてより広義にその役割を言えば「『衆知の結集』と『公正な議論』を保証する公共空間」となる。

また、本の終盤には「民主主義を支えるジャーナリズム」という"素朴"な発想をもとにこうした論壇的なジャーナリズムが果たしうる役割を考察している。
引用されているのは「反骨のジャーナリスト」(岩波新書)でも出てきた陸羯南、そしてアレックス・S・ジョーンズのジャーナリズム論である。

後者では、民主主義の糧となってきたニュースの「腑分け」をしているとして筆者が注目している。
ジョーンズは「鉄心(アイアン・コア)」と位置付けられるニュースとそうでないニュースを分類し、そうして以下のように述べたという。
『鉄心に入るのは、政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で、「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体である』

この研究に刺激を受けた著者は、ニュースには三層の構造がある、という主張を展開する。
まず、「単純ニュース」。これは、争いのない事実についてありのままに報道したもの。
次に、「説明ニュース」。これは、出来事の原因や背景などをしっかりと読者に説明するもの。
そして、「掘り起こしニュース」。これは、明るみに出ていなかった出来事を掘り起こすもの。
特に、最後の「掘り起こしニュース」にはそれなりの時間と高度な知識を必要とするのだと主張した。

そうしたうえで、本では「熟議民主主義」「討議型民主主義」の理念の上でジャーナリズムの果たせる役割を考察している。つまり前提条件として、単純に民主主義の糧としてのジャーナリズムとして捉えるばかりではなく、民主主義のあり方も問い直す必要があると主張する。その時、熟慮ジャーナリズムが果たしうる役割を筆者は以下のように述べる。
民主主義を「熟議民主主義」として新たに構想するとき、そこで新聞が果たす役割はやはり熟議・熟慮に価値を置くものとなる。
(中略)
熟慮は現象の奥にあるものをみつめる方法的態度を貫き、「道理」を問い直すための時間である。こうして、(中略)熟議民主主義の糧となるニュースが「論壇=公共空間」に提供され、社会の意思決定プロセスとして、熟議民主主義が生き生きと機能する。


ここまで読むことで、著者が前半で引用していた先輩記者の言葉が、重い意味をもつようになってくるのである。

『なんと多くの事件が、めまぐるしいほどに継起したことか。動きが目めまぐるしいだけに、いっそう辛抱づよく現象の奥にあるものをみつめる文章が求められるであろう。』(高瀬善夫氏)

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5.グローバリゼーションとは何か(伊豫谷登士翁)

さて、勉強の合間に今回は平凡社新書の「グローバリゼーションとは何か」について話してみます。

突然ですが、グローバリゼーションとはなんでしょうか?
これは僕のゼミの教授に教わったことですが、簡単に定義すると
グローバリゼーションとは、
「科学技術の飛躍的発展にともない、前の時代よりも人、モノ、金、情報、サービスなどがより速く、より大量に、そして多くの場合より安価に国境を越えて相互に移動しあう現象プロセス」と定義されます。
もちろんこれが全てではありません。
そもそも、グローバリゼーションという現象自体が存在するのかということまで、未だ議論されつくされていないのです。
グローバリゼーションと一口に言っても、それは決して簡単な問題ではないのです。

筆者は僕たちの思考そのものが、ナショナルな様式にどっぷり浸かっているという指摘をしています。
そのうえでグローバリゼーション研究について、ナショナルな思考回路を脱構築し、枠組みを再構築する試みであると主張しています。

読んでの感想ですが、目からウロコというのはこういうことを言うのかな、という感じです。
普段何気なく使う「グローバリゼーション」という単語だからこそ、読んでいてその奥深さに驚嘆させられました。
ナショナルな思考回路から抜け出す、というのは一種のパラダイム・シフトだと思いますね。
一国の政策が遥か彼方の国家の雇用状況に影響を及ぼすような時代だというのは皆さんも経験的に、なんとなくお分かりになるとは思います。国際社会のアクター同士の相互作用はますます深まるばかりです。
しかし、世界全体という単位でみると、これからどのようなことが起ころうとしているのでしょうか。
「国民国家の多孔化」「ウェストファリア体制の崩壊」なんてよく言われるグローバリゼーションですが、それってつまりどういうことなんでしょうか。

この本はそんな根本的な疑問の解決の糸口となりえます。
『領域性に基づいた近代国家による世界秩序の解体』という表現が印象的でした。
内容についてそこまで詳しく述べても仕方ないので、以上にします。
グローバリゼーションという現代社会を代表するといっても過言ではないような現象について、興味がある方は是非読んでみてください。国際ニュースを新しい目線で眺められるかもしれません。

ちなみに、同じグローバリゼーションでもヘゲモニー国家としてのアメリカの側面を強調した本が藤原帰一の「デモクラシーの帝国」になるのでしょうか。
まぁまた今度紹介する機会があるかと思います。

あと、新書の本を批判的に読むってかなり難しいですね。
自分がそれをできるようになるのはまだ先かなー…なんて思います。

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2.「政治主導」の落とし穴(清水克彦)

早稲田大学出身のジャーナリストの方の本ですね。平凡社新書です。
2011年の新しい本なので、比較的新しい情報が書かれてありました。
東日本大震災で政局がぐちゃぐちゃになっていた面もあったので、その辺の動向を整理するには非常に分かりやすい本でした。
政権を奪取したものの、なぜ民主党政権は迷走を見せたのか。
「政治主導」というキーワードから、そのメカニズムを説明しています。
政治主導の中心をあくまで総理大臣に置き、その地盤強化をする意味合いで議員立法の活性化を支持しています。

議員立法の必要性を今までいまいち理解できていなかったのですが、そこが理解できた点が良かったですね。(即応性、目に見える立法過程など)
民主主義が成立するには成熟した市民社会の活動が不可欠だとよく言われます。
同じような論理構造でこの本の概要を述べるとすれば、さしづめ「専門性を持った官僚に対して政治主導を成立させるには、議員立法の活性化が不可欠だ」という感じになるんでしょうか。
政治主導の風土を作っていくべき、とも言えるのでしょう。
やっぱり政治の空間では風土というのが大事なんじゃないかなと思いますね。
「政治主導」をマニフェストに掲げて取り組んだところで、一朝一夕には上手くいかないでしょうね。
そもそも、この本を読むまでは政治主導に何の価値があるのか、なんとなくとしか認識できていませんでした。まぁ今でも言うほどはっきりしてるわけじゃないんですが。

しかし現状として、政治家が主導権を握れていないという認識はまだ僕の中ではあります。たぶん多くの国民の方々もそうなんでしょう。
いつかそれを打ち破ってくれる日が来るといいですね。
もちろん、少しずつ、日本の市民社会も成長はしてると思います。でも最後は利権に絡んだ問題が大きなハードルになってきそうですね。
国民に対する主張で、印象に残った一節を引用させていただきます。
「政治やメディアの報道をさげすんで笑うだけの人々が増えれば、それは必ず日々の生活へと跳ね返ってくる。」
意識を変える必要があるのは議員だけじゃないんですね。


ちなみに、僕は日本の政治状況については少し弱いです。日本の政治について書かれた本としてのお勧めは
・戦後政治の崩壊 /山口二郎 (岩波新書)
です。

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