fc2ブログ

本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

279.アーロン収容所 (会田雄次)

ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させつつ西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合がここにある。この強烈な事実のもつ説得力の前に、私たちの西欧観は再出発を余儀なくさせられるだろう。

読書の醍醐味の一つは、自分が決して体験しないであろうことを知ることにある。この点、ビルマで終戦を迎え現地の収容所に入れられた著者の記録は、読んでいて飽きのこないものであった。

終戦直後、かつての敵に囚われているという状況と、東南アジアの収容所という舞台がマッチして実に奇妙な感じをうける。そこでは価値観の差異だけでなく、人間普遍の「おかしみ」のようなものも露わになっている。

あらすじや前書きでは「イギリス人の黒い一面」が強調されているが、それにこだわって読む必要はない。近現代史を一瞥すれば、イギリス人が後ろ暗いのは自明である。読者はひとりの捕虜の体験や感性を堪能できれば、それで充分だ。

「佐藤優が選ぶ中公新書」という帯がついた著作は、前作の『教養主義の没落』に続き二冊目だ。いまのところハズレがない。おすすめである。


▽「人間はどんなことにでも慣れられる存在だ」
シベリアの監獄にいたことがあるドストエフスキーは、当時を振り返った『死の家の記録』で上のように書いている。どんなに絶望に近い状況でも、人間は人間らしく暮らすことができる。この本は、さしずめ日本版『死の家の記録』ということになろうか。

捕虜となった日本兵は、言わばイギリス人に生殺与奪を握られた存在である。それなのに、彼らは作業をサボタージュしたり、物資を拝借したり、自分たちで芝居を開いたり、イギリス人や現地人をコケにして笑い合ったりしている。

著者の軽快な語り口に、読者は思わず苦笑いさせられる。人間とはなんと逞しい生き物か。プロパガンダに裏切られ、敗戦を喫し、敵にその身を委ねさせられてもなお、彼らの批判精神はいっそう強く鍛え上げられた観がある。

収容所だろうが刑務所だろうが、そこに人間がいる限り「人間味」の片鱗は必ず光を放つ。東南アジアで捕虜になった人の身にも、面白おかしいことはたくさん起こる。このことが、読者をどこか愉快な気持ちにさせる。


▽この本から何を学ぶか
この本は反戦のために書かれた本でもないし、ヨーロッパ人批判の本でもない。たしかに副題には「西欧ヒューマニズムの限界」とあるが、彼らのホンネとタテマエが見透かされるようになった現代に、そうした視点はたいして重要でない。

今日の読者がこの本から学べることは、「自分とは違う存在を面白がること」の精神だと言えそうである。

高慢だが計算の苦手なイギリス人、意気地のないインド人、堅物だが純朴なグルカ人…。彼らに対する著者の視点は、自分たちと違う感覚を持って行動する人間を単純に面白がるものであった。

インド人と同じだというのに反撥するのは、人種的な意味ではない。「日本の女の人はもっと白く美しい。おれの女房はこんなに真っ黒じゃない」という無邪気なことからきているのである。

差別を廃することとは、差異を無視し、強いて均一にすることではない。差異を「あるもの」として捉え、その一種の諦観を前提にして触れ合い、観察しあうことである。諧謔に富みながらどこか冷めている著者の筆致は、この点参考になる。

収容所生活をくぐり抜けた筆者のように、異文化を背景とする相手を「私たちと違う」と考えることは、今後ますます重要になってくるだろう。妙に理想主義的になって「相手も私と同じ人間」などと考えることのほうが、よっぽど危ないような気がするのである。


◆気に入ったフレーズ
かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。

残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。それは文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという価値の問題ではない。

英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなったのである。

「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう」

大東亜戦争のお題目であった「アジア民族の統一」という理想を、兵隊たちは皮膚感覚としては持ちえなかったのである。

インド人と同じだというのに反撥するのは、人種的な意味ではない。「日本の女の人はもっと白く美しい。おれの女房はこんなに真っ黒じゃない」という無邪気なことからきているのである。

外貌を気にするのはどの人種でも同じである。しかし私たちの気にしかたにはどこか異常なところがある。

スポンサーサイト



PageTop

278.教養主義の没落 (竹内洋)

1970年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

大正時代から半世紀にわたって学生文化を照らし続けた教養主義の諸相と、その没落を描いた本である。単なる懐古趣味にも見えるタイトルだが、中身はかなり公平に記述されている。

教養主義とは何か。それはなぜ栄え、なぜ凋落したか。教養の輝きが届かなくなった私たちは、いったい何を失ったのか。そんな核心的な問いを考えるうえでも、非常に有益な一冊である。


▽教養主義を支えていたもの
いったい何が半世紀ものあいだ教養主義を支えていたのか。筆者は、教養主義の光が鈍り、メッキが剥がれだした学生紛争時代にその答えを見出している。

教養主義が没落した背景には、大学進学率の高まりがあった。「象牙の塔」の門戸が多くの「大衆」に開かれたとき、「教養は一握りのインテリによって独占されている」という現実が露わになったのである。

大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと、大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない、と。

「文化資本」とは社会学者ブルデューの言葉で、周囲の環境や習慣から引き継がれる資本を指す。教養や教育といった「文化資本」が社会の上位層によって占有され、それが階級の「再生産」に繋がっていることを彼は示した。

日本の「インテリ」になりきれない大学生も、そんな「教養」の背後にある構造を見抜いてしまったのである。学生紛争は、「教養への憧れ」と、「教養を独占し高説を垂れる知識人への反感」とが爆発したものだった。

大衆が大学に通うことで、教養主義を支えていた「インテリ」と「民衆」の線引きは融解していった。「インテリのもの」である教養は、「大衆」を助けはしない。それに気付いた人々が「教養」から距離を置くようになったのも、当然の帰結であった。

著者はこう結論付けている。
教養主義が存続しえたのは、庶民やインテリが明確な階層文化をともなって実体的に存在していたことが大きい。


▽教養のあり方への探求
教養には二つの面がある。ひとつは、インテリを他の階層と区別させるための機能であり、これについては上述した。もうひとつは、教養それ自体がもつ「良さ」である。

筆者は教養の力として「適応」、「超越」、「自省」の三つを挙げているが、これも一例だろう。今まで見えなかった世界が見え、それまで想像の埒外だったところに考えが及ぶようになる。敷居は高いが、教養はそれ自体として良いものである。

しかし、教養がなくても生きるうえで不自由しないのも事実だ。「わざわざ難解な本を読んで時間を費やすことに何の意味があるのか」というのも正論であり、それでも教養が大切だと言うならばきちんとした説明が求められる。

「教養」とはどのようなものであり、なぜ必要なのか。教養主義の没落を見た現在、私たちは「教養」のあり方をもう一度考え直さなければならない。


▽教養のめざすところ
少し私見を書き散らして終わりにしたい。今日における教養の必要性とは、社会に散らばった種々の「専門知」を連携させることにあると考えられる。

現代の学問・研究は高度に発達し、どの分野にも「スペシャリスト」がいる。しかし、世の中を前進させるには種々の「専門知」を、柔軟に使いこなすことも求められる。ここに、「ゼネラリスト」としての教養人の必要が生じる。

社会科学や自然科学、文学、そして芸術についての知識をもち、それらを適宜用いる機知に富んだ人。「専門知」が発達した現代だからこそ、そうした「教養人」の発想が愈々大切になっていくだろう。

J.S.ミルによる定義は、こうした「教養人」のイメージによく当てはまっている。さしあたり、彼の言葉を目標に据えて静かに「教養」を蓄えていきたい。

「(教養人とは)すべてにおいて何事かを知っており、何事かについてすべてを知っている人」


◆気に入ったフレーズ
読書をつうじた人格形成主義や社会改良主義という意味での教養主義は、なぜかくも学生を魅了したのだろうか。そして、なぜ、教養からオーラが、教養主義から魅惑が喪失してしまったのだろうか。

「世界には百度読み返しても読み足りないほどの傑作がある。そういう物の前にひざまづくことを覚えたまえ」

漱石は天才ではなく、秀才である。秀才文化が教養である。

一般に学歴エリート文化は、伝統的な上流階級文化と「融和」して作られるか、「対立」してあらたに作られるかのどちらかである。

教養主義が存続しえたのは、庶民やインテリが明確な階層文化をともなって実体的に存在していたことが大きい。

大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと、大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない、と。

マス高等教育の中の大学生にとっていまや教養主義は、その差異化機能だけが透けてみえてくる。

近代日本の枠組みの終焉こそ、教養知識人のハビトゥスを産出し、教養と教養主義の輝きをもたらした差異と落差の構造を解体させたものである。

全共闘運動は、教養主義への愛憎並存からくる一種絶望的な求愛運動だった。

「適応」、「超越」、「自省」

新しい時代の教養を考えることは、人間における矜恃と高貴さ、文化における自省と超越機能の回復の道の探索である。

PageTop

277.日本政治とメディア (逢坂巌)

1953年のテレビ放送開始は、政治家とメディアの関係を大きく変えた。政治家たちは出演してPRに努める一方、時に圧力をかけ、報道に影響を与えようとする。戦後政治史をたどり、政治家と国民とのコミュニケーションのあり方を問い直す。

「天声人語」、民の声は神の声であるという。指導者にとって最も重要な訓戒の一つだ。この点、メディアは指導者に民の声を届け、民に指導者の声を届け続けてきた。

新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネット…。メディアはそれぞれの特徴を活かしながら政治を捉え、民衆の前に提示する。盲目の神は、神たりえない。メディアは民衆という「神」の眼となり、耳となってきた。

この本は、メディアを主人公にして日本政治を俯瞰した一冊である。メディアの追及をどういなすべきか、民の声とどう向き合うべきか。政治家たちの苦悩が透けて見えてくるようで、たいへん興味深かった。


▽岐路に立つメディアと政治
戦後の日本政治は、大衆の政治参加に対して、「組織」と「経済成長」を対置して対応してきたが、その両者が弱っていくなかで、改めて「政治」は「大衆」と直接向き合いはじめた。

この文が、本の冒頭にある問題意識を端的に表している。政治はいま、大衆に対して従来とは全く異なる対峙の仕方をさせられている。その要因を著者は①無党派層が増えたことと、②インターネットの発達のふたつだと考えている。

1990年代まで、各政党は確固とした支持基盤を持っていた。ところが94年の自社さによる連立政権が、日本人の「政党」に対する信頼を大きく損ねる。以来、無党派層の割合が50%前後を占めるようになった。

もはや地元への演説や練り歩きだけでの勝利は覚束なくなった。勝つために「風」を起こしたい政治家にとって、マスメディアの利用は絶対的な条件となったのである。

一方で、インターネットの発達は政治家個人が直接情報を発信することを可能にした。「ネット選挙」が解禁になったが、これから彼らがどうやって新しいメディアを使いこなしていくかも、注目に値する。


▽政治は身近であるべきか
この本は綺麗に日本政治史を俯瞰するのがメインであり、これといった結論を出していない。メディアがどうあるべきか、政治と大衆はどう関わるべきか、答えを出すのは私たち一人ひとりである。

政治家は民衆に近くあろうとする。それが民主主義の理念であると。「神の声」が聞こえないような政治家は、確かに政治家失格である。

しかし、「距離が近ければいい」というのも疑わしい。専門的な問題や大局観が求められる問題、秘密を要する問題、早急な行動が求められる問題など、民衆から離れたところで下されるべき決断も、現実には少なからず存在する。

テレビで政治家の「キャラクター」が可視化された。ネットで政治家と直接関われるようになった。そうした時代がどういう顛末を生むか、まだ誰も知らない。

戦時中のリベラル派ジャーナリスト清沢冽は、政治を憂いて自殺した一般人をこう批判した。
「彼は国家と云ふ大きな石垣が一足飛びで出来ると思って居る。見上げる上の方の欠陥が実は下から積み上げねばどうも出来ないものである事を忘れて居る。」

やはり、政治と民衆には適切な距離があることを思わされる。いくらメディアが政治を「お茶の間」に届け、身近にしても、依然としてそれは怖い営みなのである。

社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。
トマス・ペイン『コモンセンス』の一節を思い出す。「神」が気軽に足を踏み入れるには、政治の現場はあまりに血なまぐさい。

PageTop

275. フランクフルト学派 (細見和之)

ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、フロム、マルクーゼ…。1923年に設立された社会研究所に結集した一群の思想家たちを「フランクフルト学派」とよぶ。かれらは反ユダヤ主義と対決し、マルクスとフロイトの思想を統合して独自の「批判理論」を構築した。その始まりからナチ台頭後のアメリカ亡命期、戦後ドイツにおける活躍を描き、第二世代ハーバーマスによる新たな展開、さらに多様な思想像の未来まで展望する。


▽フランクフルト学派
ホロコースト、第二次大戦下のナチスドイツによって遂行されたユダヤ人の大量虐殺。約600万人が、名前の代わりに番号を振られ、頭を刈られ、持ち物を奪われた挙句、匿名のまま死んでいった。

累々と積み上げられていく同胞の死を受けて、ペンをとった者たちがいた。虐殺を招いたファシズムの起源を突き止め、二度とその惨禍を繰り返させない。ヨーロッパ文化や民主主義に鋭くメスを入れた彼らは、後に「フランクフルト学派」と呼ばれた。

この本は、様々な思想家を抱える「フランクフルト学派」の奮闘の歴史を俯瞰したものだ。上手にまとめており、原典への導入には丁度いい。ただ、核心に迫るスリルがなく、物足りなかったというのが正直な感想である。

ともあれ、20世紀から投げかけられる問いについて考える、いいきっかけになったと思う。ユダヤ人としてアウシュヴィッツに向かい合う、彼らの問題意識はたいへん深い。


▽「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」
アドルノによるこの一節が、本書を貫く問題意識である。アウシュヴィッツによって「文化」や「文明」の存在意義が根底から揺らいでしまった、ということへの比喩だ。

なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか。
ホルクハイマーとアドルノの共著「啓蒙の弁証法」の冒頭には、こんな問いが投げかれられている。最も先進的で開明的なヨーロッパ文明が、なぜナチスの台頭を許したのか。そこから彼らの研究はスタートする。

ルソーが「人間不平等起原論」で人類発展の先に「不平等の固定化」を見出したように、フランクフルト学派の研究者たちはその先に「野蛮」を見出した。そこから逃れる道を、彼らは「理論」という武器を使って切り開いていったのだ。

ここで具体的な議論の中身に立ち入ることはしない。あとで原典を読むつもりだ。


▽アウシュヴィッツという場所
それにしても思い出すのは、留学中に訪ねたアウシュヴィッツの光景である。

乾いた砂利道、レンガ造りで同質的な建物、そして不気味なほど綺麗に区画整備された敷地。数えきれない命が非人間的に殺された事実を、ずらりと並ぶ顔写真が物語っていた。そよぐ風が、妙に重たかった。

ガラス越しに覗ける大きな部屋がある。大量の髪の毛、没収された時計や靴が、いまでもそこに展示されている。ここから、現代世界は鋭く問われているのだと感じた。

繁栄と文化を作り上げた先に、何があるのか。「戦後70年」の先に、いったい何が待ちうけているのか。その答えが、新たな偏狭さと闘争、悲惨であってはならない。絶対にならない。

第二次大戦を生き抜いたユダヤ人とは、比喩的に言えば「半死半生」のような存在である。ファシズムの台頭を許した社会に対して、彼らは研究を紡ぎ続けるだろう。

そしてその信念のペンが、現代の政治学を支えている。一人の学生として、頭が下がる思いがする。


◆気に入ったフレーズ
「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)

批判的理論は、あくまで批判的理論として、一方で実践に呑みこまれることのない、独自な地位を保持しなければなりません。

「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ」(ベンヤミン)

「書ければ書きたかった手紙という手紙を書くだけの時間が、ぼくには残されていないのだ」(ベンヤミン)

「搾取の終焉とは、進歩を加速させることではもはやなく、進歩から飛躍することである」(ホルクハイマー)

「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか」(「啓蒙の弁証法」)

私たちを雁字搦めに縛っている同一化の呪縛から私たち自身を解き放つことが必要です。

PageTop

269.言論抑圧 (将基面貴巳)

1937年、東京帝国大学教授の矢内原忠雄は、論文「国家の理想」が引き金となり、職を辞した。日中戦争直後に起きたこの矢内原事件は、言論や思想が弾圧された時代の一コマとして名高い。本書は出版界の状況や大学の内部抗争、政治の圧力といった複雑な構図をマイクロヒストリーの手法で読み解き、その実態を抉り出す。


「言論抑圧」という言葉は、ときどき耳にするだろう。多くの人は、それを「ある偉い人(=権力)が、物事を自由に論じられないように抑えつけてしまうこと」だと捉えている。間違ってはいない。だが、その実相はもっと複雑である。

この点、特定秘密保護法に関する議論が記憶に新しい。「言論抑圧」に繋がりかねない立法に多くの人が憂慮を示し、警鐘を鳴らした。

確かに、透明性の担保に欠け、抜け穴があるまま可決された同法は批判されてしかるべきかもしれない。だが、「本当の言論抑圧の怖さはその比ではない」ということも、頭に入れる必要がある。


▽矢内原事件
この本は、日中戦争直後に起こった「矢内原事件」という事件を題材として扱っている。東京帝大経済学部の教授であった矢内原忠雄が、自身の執筆した論文によって辞職を迫られた筆禍事件だ。

政府による一連の「言論抑圧」の嚆矢ともされる事件である。筆者はこれに「マイクロヒストリー」という手法を用いることで、学生、教授陣、論客、総長などの当時の考えを明らかにし、事件の実相に肉薄していく。

読んでいくうちに、「言論抑圧」の構図は決して「権力―非権力」という簡単な図式で表せるわけではないことが分かってくる。出版界、新聞、そして学問の府において、それは人知れずじわり、じわりと忍び寄ってくるのである。


▽忍び寄る権力
最も巧妙な宣伝というものは決して正面からは宣伝しない。

丸山眞男の言葉であるが、これは「権力」というものの諸相を考える上でも通じる考え方でもある。「権力」はもはや可視的な概念ではなく、社会のいたるところの「裏側」に潜んでいるものとして考えられている。

現代における権力は、大上段に構えて「こうしろ」と命令を下しはしない。そうではなく、それは社会の「価値観」や「空気」のなかにそっと紛れ込み、個人を動かす。人びとは権力の影に気付くことなく、それの思惑通りに行動してしまう。

たとえば、近ごろ喫煙者への風当たりが強い。これは「喫煙にメリットはない」という言説が社会に広く受け入れられたためだ。「反喫煙」的な考え方が権力を握ったいま、「煙草はいいもんだ」という声は自然と小さくなっている。平たく言えば、これも一種の「言論抑圧」である。

社会というものは、知らないうちに誰かの声を封殺してしまう力と危険性をはらんでいる。それに自覚的であることが、現代を生きる人には求められるだろう。

もちろん批判すべき政策は批判するべきだ。ただ、「言論抑圧に反対!」と言える段階は、実のところは「まだマシ」ですらある。本当の言論抑圧は、誰も知らないうちに遂行され、誰もそうとは気付かぬままに完遂されてしまうのだから。

消えていった人の声は聞くことができない。沈黙させられている人は、沈黙させられているという事実についても発言することができない。


◆気に入ったフレーズ
大学教授という知識人が政治的現実と対決するうえで、あくまでも学問のなかに立て籠り、そこで批判を展開するか、あるいは、象牙の塔を出て公の場で自説を表明するか。

正義が国家の命令するところであれば、何でも正義になってしまう。したがって、正義は国家を超えるものでなければならない。

「国家の理想に自己の立場を置く時、その正邪の判断は国民中最も平凡な者にも可能である」

「無批判は知識の欠乏より来るのではない。それは、理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る」

文部省からの一撃に大学総長があえなく屈したということ、それが矢内原事件の核心だったのである。

「学問本来の使命は実行家の実行に対する批判であり、常に現実政策に追随してチンドン屋を勤めることではない」

「暴力のために正義が、権力のために真理が、かくも事もなげに蹂躙されていくのを、今この眼でみたのだ。だが、しかし、一言の抗議もできず、黙っているのが一番よい方策だというのは、なんという悲しいことであろう」

ある時間を歴史的に評価する場合、歴史家はその事件に対して時間的に距離をとっている。

言論抑圧が激化すればするほど、それに対する告発は公の場から姿を消していったのである。

消えていった人の声は聞くことができない。沈黙させられている人は、沈黙させられているという事実についても発言することができない。

不正権力への抵抗とその正当性に関する理論は、理屈としてわかっても、実際問題としてこれを行動に移すことは容易ではない。

PageTop