
【上巻】
第一編
だれでも知ってることで一冊の書物をうずめるようなことはしたくない。
人は子どもというものをしらない。
よい方法を中途半端に採用するよりは、いままでの方法にそのまま従っていたほうがいい。
万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。
教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいて有効なものとなる。
人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だとわたしは考える。
死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。
子どもは命令するか、命令されなければならない。
世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親にとってこそ、子どもは立派に教育される。
人間をつくるには、自分が父親であるか、それとも人間以上の者でなければならない。
子どもはときに老人にこびることもあるが、けっして老人を愛することはない。
ふつうの人間のほかには教育する必要はない。
肉体は弱ければ弱いほど命令する。強ければ強いほど服従する。
人間の教育は誕生とともにはじまる。話をするまえに、人の言うことを聞きわけるまえに、人間はすでに学びはじめている。
子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。
子どもの最初の泣き声は願いである。気をつけていないと、それはやがて命令になる。
抑揚は話の生命である。
子どもは権力などふるうべきではない。
観念よりも多くのことばを知っているというのは、考えられるよりも多くのことがしゃべれるというのは、ひじょうに大きな不都合である。
かれは生きている。しかし、自分が生きていることを知らない。
第二編
けがをしたばあい、苦しみをあたえるのは、その傷であるよりも、むしろ恐れなのだ。
子どもを苦しめないためにあらゆるもので武装しようとして、かれのまわりに寄せ集めるおびただしい道具についてはなんと言ったらいいのか。
一日に百回ころんでもいい。それだけはやく起きあがることを学ぶことになる。
人間よ、人間らしくあれ。それがあなたがたの第一の義務だ。
肉体の痛みと良心の悩みとを除けば、わたしたちの不幸はすべて想像から生まれる。
苦しんでいるがいい、死ぬか、なおるかするがいい。しかし、なによりも、最後の瞬間まで生きるのだ。
自分の意志どおりにことを行うことができるのは、なにかするのに自分の手に他人の手をつぎたす必要のない人だけだ。そこで、あらゆるよいもののなかで、いちばんよいものは権力ではなく、自由であるということになる。
涙に負けてなにかをあたえることは、子どもにさらに涙を流させることになる。
大きな幸福を知るためには小さな苦しみを経験しなければならない。
子どもを不幸にするいちばん確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。
子どもには特有のものの見方、考え方、感じ方がある。そのかわりにわたしたちの流儀を押しつけることくらい無分別なことはない。
熱心な教師たちよ、単純であれ、慎重であれ、ひかえめであれ。
悪い教育をあたえることにならないように、よい教育をできるだけおそくあたえるがいい。
子どもにはけっして罰を罰としてくわえてはならないこと、それはいつもかれらの悪い行動の自然の結果としてあたえられなければならない。
人は子どもに美徳を教えているようにみえながら、あらゆる不徳を好ませるようにしている。
子どもの状態を尊重するがいい。そして、よいことであれ、悪いことであれ、早急に判断をくだしてはならない。
あなたはまず腕白小僧を育てあげなければ、賢い人間を育てあげることにけっして成功しないだろう。
見かけはあくまで自由に見える隷属状態ほど完全な隷属状態はない。
三編
欲望をへらせばいい。そうすれば力がふえたのと同じことになる。
かれは学問を学びとるのではなく、それをつくりださなければならない。
子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。
学問的な空気は学問を殺す。
あなたがたは、子どもが小さいときは従順であることを望んでいる。それは、大きくなって、信じやすく、だまされやすい人間になることを望んでいることになる。
困るのは、理解しないことではなく、理解したと考えることだ。
まだ感じていない利害にたいしてどうして情熱をもつことができよう。
人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。
王冠を失ってもそんなものを必要とせずにいられる者は王者よりも高い地位にあることになる。
必要のために働かなくてもいい。名誉のために働くのだ。
【中巻】
人生は短い。わずかな時しか生きられないからというよりも、そのわずかな時のあいだにも、わたしたちは人生を楽しむ時をほとんどもたないからだ。
わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。
自分自身に対する愛は、いつでもよいもので、いつでも正しい秩序にかなっている。
人間を本質的に善良にするのは、多くの欲望をもたないこと、そして自分をあまり他人にくらべてみないことだ。
判断をしたあとではじめて人は恋をする。
顔を赤らめる者はすでに罪を犯しているのだ。
なんにも必要としない者がなにものかを愛することができるとは考えられない。
家柄も健康も富もあてにしないように教えるがいい。
有名になるのは悪人だけだ。善良な人間は、忘れられているか、笑いものにされている。
天性が明らかにされるのはつまらないことによってなのだ。
すべてを語る者はわずかしか語っていない。
臆見が勝利を占めるのはなによりも宗教の問題においてなのだ。
抽象的な観念は人間のもっとも大きな誤りの源だ。
自由がなければほんとうの意思はないのだ。
すこしばかりの苦しみにも耐えられない者は、多くの苦しみをうけることを覚悟しなければならない。
理解されなければされないほど、ますますわたしは神を尊敬する。
理性はわたしたちをだますことがあまりにも多い。
正義にたいするもっとも大きな報賞は正義を行なっていると感じることなのだ。
ほんとうのことを言い、よいことをするのだ。
欲望は知識から生じる。
愛しているひとを正確に、あるがままに見たとすれば、地上には恋などというものはなくなるだろう。
教養のある人は容易にかれの持ち物を公開しない。かれには語るべきことがありすぎるし、自分に言えることのほかにもまだ多くのことが言えることがわかっている。だからかれは口をつぐんでいる。
ほんとうの礼儀とは人々に好意を示すことにある。
幸福になるのは、幸福らしく見せかけるよりはるかにやさしいことなのだ。
【下巻】
人々の意見というものは、男性にとっては美徳を葬る墓場になるのだが、女性にとっては美徳の光栄の座になるのだ。
顔は流行とともにかわるものではないし、形はいつでも同じなのだから、よく似合うことがわかったものは、いつまでも似合うのだ。46
わたしたちは人に喜ばれる才能をあまりにも技術的なことにしている。53
感激がなければ本当の恋愛はない。99
運命がどうであろうと、人格的な関係によってこそ、結婚は幸福にもなり不幸にもなる。124
良心はいちばん賢明な哲学者だ。149
美しい妻が天使でないかぎり、その夫は男のなかでいちばん不幸な男だ。152
人生は短い、と人々は言っているが、わたしの見るところでは、人々は人生を短くしようと努力しているのだ。155
かれは自分のいのちを半分やっても、彼女がなにか一言話してくれる気になれば、と思う。167
だれでもみんな、愛する者のうちに、自分が尊重している美点を愛している。215
「エミール、幸福にならなければならない。これはあらゆる感覚をもつ存在の目的なのだ」248
「しなければならないことがわからないあいだは、なにもしないでいるというのが賢いやりかただ」249
「勇気がなければ幸福は得られないし、戦いなしには美徳はありえない。」255
「美徳は、その本性からすれば弱いが、その意志によって強い存在だけにあたえられているのだ」255
「人間であれ。きみの心をきみにあたえられた条件の限界に閉じこめるのだ」259
幸福感は人間を圧倒する。人間はそれに耐えられるほど強くない。339
「夫婦になってからも恋人同士でいることだ」342
第一編
だれでも知ってることで一冊の書物をうずめるようなことはしたくない。
人は子どもというものをしらない。
よい方法を中途半端に採用するよりは、いままでの方法にそのまま従っていたほうがいい。
万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。
教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいて有効なものとなる。
人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だとわたしは考える。
死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。
子どもは命令するか、命令されなければならない。
世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親にとってこそ、子どもは立派に教育される。
人間をつくるには、自分が父親であるか、それとも人間以上の者でなければならない。
子どもはときに老人にこびることもあるが、けっして老人を愛することはない。
ふつうの人間のほかには教育する必要はない。
肉体は弱ければ弱いほど命令する。強ければ強いほど服従する。
人間の教育は誕生とともにはじまる。話をするまえに、人の言うことを聞きわけるまえに、人間はすでに学びはじめている。
子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。
子どもの最初の泣き声は願いである。気をつけていないと、それはやがて命令になる。
抑揚は話の生命である。
子どもは権力などふるうべきではない。
観念よりも多くのことばを知っているというのは、考えられるよりも多くのことがしゃべれるというのは、ひじょうに大きな不都合である。
かれは生きている。しかし、自分が生きていることを知らない。
第二編
けがをしたばあい、苦しみをあたえるのは、その傷であるよりも、むしろ恐れなのだ。
子どもを苦しめないためにあらゆるもので武装しようとして、かれのまわりに寄せ集めるおびただしい道具についてはなんと言ったらいいのか。
一日に百回ころんでもいい。それだけはやく起きあがることを学ぶことになる。
人間よ、人間らしくあれ。それがあなたがたの第一の義務だ。
肉体の痛みと良心の悩みとを除けば、わたしたちの不幸はすべて想像から生まれる。
苦しんでいるがいい、死ぬか、なおるかするがいい。しかし、なによりも、最後の瞬間まで生きるのだ。
自分の意志どおりにことを行うことができるのは、なにかするのに自分の手に他人の手をつぎたす必要のない人だけだ。そこで、あらゆるよいもののなかで、いちばんよいものは権力ではなく、自由であるということになる。
涙に負けてなにかをあたえることは、子どもにさらに涙を流させることになる。
大きな幸福を知るためには小さな苦しみを経験しなければならない。
子どもを不幸にするいちばん確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。
子どもには特有のものの見方、考え方、感じ方がある。そのかわりにわたしたちの流儀を押しつけることくらい無分別なことはない。
熱心な教師たちよ、単純であれ、慎重であれ、ひかえめであれ。
悪い教育をあたえることにならないように、よい教育をできるだけおそくあたえるがいい。
子どもにはけっして罰を罰としてくわえてはならないこと、それはいつもかれらの悪い行動の自然の結果としてあたえられなければならない。
人は子どもに美徳を教えているようにみえながら、あらゆる不徳を好ませるようにしている。
子どもの状態を尊重するがいい。そして、よいことであれ、悪いことであれ、早急に判断をくだしてはならない。
あなたはまず腕白小僧を育てあげなければ、賢い人間を育てあげることにけっして成功しないだろう。
見かけはあくまで自由に見える隷属状態ほど完全な隷属状態はない。
三編
欲望をへらせばいい。そうすれば力がふえたのと同じことになる。
かれは学問を学びとるのではなく、それをつくりださなければならない。
子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。
学問的な空気は学問を殺す。
あなたがたは、子どもが小さいときは従順であることを望んでいる。それは、大きくなって、信じやすく、だまされやすい人間になることを望んでいることになる。
困るのは、理解しないことではなく、理解したと考えることだ。
まだ感じていない利害にたいしてどうして情熱をもつことができよう。
人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。
王冠を失ってもそんなものを必要とせずにいられる者は王者よりも高い地位にあることになる。
必要のために働かなくてもいい。名誉のために働くのだ。
【中巻】
人生は短い。わずかな時しか生きられないからというよりも、そのわずかな時のあいだにも、わたしたちは人生を楽しむ時をほとんどもたないからだ。
わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。
自分自身に対する愛は、いつでもよいもので、いつでも正しい秩序にかなっている。
人間を本質的に善良にするのは、多くの欲望をもたないこと、そして自分をあまり他人にくらべてみないことだ。
判断をしたあとではじめて人は恋をする。
顔を赤らめる者はすでに罪を犯しているのだ。
なんにも必要としない者がなにものかを愛することができるとは考えられない。
家柄も健康も富もあてにしないように教えるがいい。
有名になるのは悪人だけだ。善良な人間は、忘れられているか、笑いものにされている。
天性が明らかにされるのはつまらないことによってなのだ。
すべてを語る者はわずかしか語っていない。
臆見が勝利を占めるのはなによりも宗教の問題においてなのだ。
抽象的な観念は人間のもっとも大きな誤りの源だ。
自由がなければほんとうの意思はないのだ。
すこしばかりの苦しみにも耐えられない者は、多くの苦しみをうけることを覚悟しなければならない。
理解されなければされないほど、ますますわたしは神を尊敬する。
理性はわたしたちをだますことがあまりにも多い。
正義にたいするもっとも大きな報賞は正義を行なっていると感じることなのだ。
ほんとうのことを言い、よいことをするのだ。
欲望は知識から生じる。
愛しているひとを正確に、あるがままに見たとすれば、地上には恋などというものはなくなるだろう。
教養のある人は容易にかれの持ち物を公開しない。かれには語るべきことがありすぎるし、自分に言えることのほかにもまだ多くのことが言えることがわかっている。だからかれは口をつぐんでいる。
ほんとうの礼儀とは人々に好意を示すことにある。
幸福になるのは、幸福らしく見せかけるよりはるかにやさしいことなのだ。
【下巻】
人々の意見というものは、男性にとっては美徳を葬る墓場になるのだが、女性にとっては美徳の光栄の座になるのだ。
顔は流行とともにかわるものではないし、形はいつでも同じなのだから、よく似合うことがわかったものは、いつまでも似合うのだ。46
わたしたちは人に喜ばれる才能をあまりにも技術的なことにしている。53
感激がなければ本当の恋愛はない。99
運命がどうであろうと、人格的な関係によってこそ、結婚は幸福にもなり不幸にもなる。124
良心はいちばん賢明な哲学者だ。149
美しい妻が天使でないかぎり、その夫は男のなかでいちばん不幸な男だ。152
人生は短い、と人々は言っているが、わたしの見るところでは、人々は人生を短くしようと努力しているのだ。155
かれは自分のいのちを半分やっても、彼女がなにか一言話してくれる気になれば、と思う。167
だれでもみんな、愛する者のうちに、自分が尊重している美点を愛している。215
「エミール、幸福にならなければならない。これはあらゆる感覚をもつ存在の目的なのだ」248
「しなければならないことがわからないあいだは、なにもしないでいるというのが賢いやりかただ」249
「勇気がなければ幸福は得られないし、戦いなしには美徳はありえない。」255
「美徳は、その本性からすれば弱いが、その意志によって強い存在だけにあたえられているのだ」255
「人間であれ。きみの心をきみにあたえられた条件の限界に閉じこめるのだ」259
幸福感は人間を圧倒する。人間はそれに耐えられるほど強くない。339
「夫婦になってからも恋人同士でいることだ」342
スポンサーサイト


