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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

298. 日本のいちばん長い日 (半藤一利)

 「終わらせる」ということは、実はけっこう難しい。膨大な労力を投下していたり、多くの人間を巻き込んでいたりする場合ならなおのことである。

 累々たる「殉職」の山を築く戦争の終結は、その最たるものであろう。本著には、ポツダム宣言を受諾して玉音放送を流すまでの日本が辿った艱難辛苦の道が描かれている。

 喧々諤々たる議論の末、戦争を継続しないという天皇の聖断が下された8月14日、「日本のいちばん長い日」は始まった。鈴木首相や阿南陸軍相をはじめとする関係者は満身創痍になりながら、霞む「終戦」を目指して邁進する。
 
 士官たちは徹底抗戦を主張してクーデターを画策し、「一日」はさらに緊迫する。終戦は無責任である、玉砕覚悟の戦争ではなかったか、と彼らは訴えた。その激情もまた正しく、読んでいて胸が痛む。

決定的な局面を迎えて、曖昧に使われていた「国体」という概念が激しく錯綜、衝突したと言えそうだ。日本は広げすぎた大風呂敷への「答え」を一日で出さなければならなかった。

 「祖国をこのまま死なせてはならない、新しい生命をあたえて生きかえらせねばならぬ」。

 終わらせることは難しい。終わらせて精算を済ませ、それを未来に繋げることはもっと難しい。8月14日、多くの汗と涙、そして血にまみれながら、「戦後」日本は産声をあげたのである。


◆気に入ったフレーズ

八月十四日正午、歴史は涙によって新たに書きはじめられていった。55

彼らに"栄光ある敗北"をあたえてやらなければならない!125

祖国をこのまま死なせてはならない、新しい生命をあたえて生きかえらせねばならぬ。177

「夜は明けるまでに兵をひけよ。そしてわれわれだけで責任をとろう。世の人々は真夏の夜の夢をみたといって、笑ってすましてくれるだろう」240

「将来の日本を頼むぞ。死ぬより、その方がずっと勇気のいることなのだ」。269

戦いを欲するものは、みずからにたいして戦いを挑む。274

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296. アンネの日記 (アンネ・フランク)

▽あらすじ
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記、「アンネの日記」が二種類存在したことはあまりにも有名だ。本書はその二つを編集した〈完全版〉に、さらに新たに発見された〈増補新訂版〉。ナチ占領下の異常な環境のなかで、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。


▽炎の閃き
ろうそくの炎は、尽きる瞬間にひときわ大きく燃え盛る。思春期の少女による独白を前にして、結末を知る私たちもそれと似た感慨を抱くだろう。『アンネの日記』、死の影に怯えつづけた少女によって紡がれた一冊だ。

1942年6月12日にはじまった日記は、1944年8月1日まで続いた。彼女はその4日後に連行され、翌年3月に収容所で命を落とす。日記を出版し広めることに尽力したのは、惨禍を生き延びた彼女の父親だった。

彼女が万年筆で灯した炎は、過酷な運命のなかで生まれ、悲愴な努力によって受け継がれた。大ベストセラーになった『アンネの日記』、その閃きは戦後世界を照らしつづけ、2009年には「世界記憶遺産」に認定された。

何度となく大人たちと衝突し、自らの苦境を思って涙しながら、彼女の内面は成熟していく。自省、夢、悲嘆、怒り、そしてロマンス。数々のエピソードが、思春期の少女らしい、ストレートな言葉で綴られていた。

その背後で、「戦争」と「迫害」の足音も徐々に大きくなっていく。すべてを黒く塗り潰す「歴史」を前に、彼女の青春はぱっと輝き、消えた。


▽夢
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。

日記は、アンネのこんな宣言から始まる。書くことが好きな彼女の夢は、作家かジャーナリストになること。「みんなの役に立ちたい」という志と、「死んでからもなお生き続けたい」という望みとが、この巨大な執筆活動を支えたのだろう。

狭い〈隠れ家〉のなかで8人暮らし。外へ出ることも、覗き見ることも許されず、恐怖と戦い惨めさを耐える日々。そんななかで、彼女は喜怒哀楽の一切を万年筆に託した。その筆跡は彼女の心とともに踊り、涙とともに滲んだことだろう。

暗闇のなか、一心不乱にペンを走らせる少女の姿が目に浮かぶ。「親愛なるキティー(日記の名前)へ、今日はこんなことがあったの、憧れのペーターとはこんなことがあったわ、じゃあまたね、アンネ・フランクより」…。

独特で鋭い感受性や発想、表現が光る600ページ。実に惜しい。「ものを書くことが好き」という人が迫害に遭い、地上からいなくなった事実、それがこんなに寂しいものだとは。

『アンネの日記』のなかに唯一、彼女自身が書いていない一節がある。

アンネの日記は、ここで終わっている。

誰が書き加えたのだろう。あれほど沢山のことを書きながら、彼女は自らの連行と死について書くことはできなかった。そんな当然の事実を、生々しく突き付けてくる。

非寛容の延長線上にある戦争と迫害が、夢見る少女を絶筆にまで追い込んでしまった。情けないと思う。申し訳なく思う。もっと彼女の本を読んでみたかった、そう思うとたまらなく悲しい。

ペンを握れることの喜びを噛みしめ、眼前の文章に対して誠実でいること。「十字架」を背負おうと思っても、いまの僕に出来ることはこれくらいである。素敵な日記だった。だからこそ、辛い。


◆フレーズ
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋れているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。22

ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。57

どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。341

ひとに沈黙を強いることはできても、ひとそれぞれが意見を持つことまでは妨げることができません。349

わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。362

わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。365

わたしはぜひともなにかを得たい。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。433

わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!434

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266.劒岳 (新田次郎)

日露戦争直後、前人未到といわれ、また、決して登ってはいけない山と恐れられた北アルプス、劒岳山頂に三角点埋設の至上命令を受けた測量官、柴崎芳太郎。機材の運搬、悪天候、地元の反感など様々な困難と闘いながら柴崎の一行は山頂を目指して進んでゆく。そして、設立間もない日本山岳会隊の影が。山岳小説の白眉といえる作品。

▽不動の矜持
人間が困難を引き受けるときには、ふたつの場合が考えられる。ひとつはその困難自体が好きだから、という場合。もうひとつはそれが仕事だから、という場合。

大雑把に言ってしまえば、なぜ山に登るのかと問われて「そこに山があるから」と答えたジョージ・マロリーは前者であり、この小説の主人公・柴崎芳太郎は後者にあたるだろう。柴崎は測量士であった。

前人未到と恐れられた劒岳の登頂を成し遂げて、測量を行う。上意下達な組織の命令を彼は引き受け、命懸けの奮闘をする。小説はその様を「もうひとつの戦争である」とまで表現した。

いつの時代でも、誠実な人間というのは画になるものだ。日々の雑務や面倒を乗り越えながら、難攻不落の劒岳に挑む主人公の姿には、強く心惹かれるところがある。そこに「矜持」が感じられるからだろう。

かつて、太宰治は「富士には月見草がよく似合う」と言った。それは日本一偉大な山を前に、微塵もたじろぐ様子をみせずに対峙する月見草の健気さを讃えた一説だった。

急峻な劒岳と、矜持をもって任務を遂行する主人公の対比にも、これと似たものを感じさせられる。柴崎はプロの登山家ではない。だが、粛々と仕事を進める精神には、劒岳の山容に引けを取らない立派さがある。

測量のプロとしての彼の姿勢は、どんな困難を前にしても揺らぐことがなかった。山を登る前も、登ったときも、その後に測量をするときも、彼は一貫して「測量士」であり続けた。その矜持の強さに、読者は知らないうちに深く打たれる。

「嵐にあおうが罰が当たろうが、われわれ測量隊は登らねばならない。そうしないと正確な地図ができないからだ」
一般に小説とは人間の変化を描くものであるが、この点、「劒岳」はいかなる困難を前にしても変わらぬ主人公の矜持に焦点が当たっている。


▽矜持が支える社会
「地図などというものは、山の中をごそごそ歩いている間に自然に出来てしまうものだぐらいにしか世間では理解していない」

測量士の苦労は想像を絶するものであった。僕たちが普段何気なく目にする地図、それが尋常でない努力の集積の産物であることを、改めて突きつけられた。

かつて「目の前に何かがあるということは、それを陰で準備した人がいるということだ」と教わったことを思い出す。想像力を「見えない誰かの仕事」に向けて働かせようとすることは、社会で生きていくうえで大切なことだ。

僕の知らないところで、大勢の人が、自分の仕事を全うしている。そうして社会は成立し、僕の生活も成り立っている。それらはすべて、「矜持」の二文字によって支えられている。

矜持。自分のすることに誇りを持ち、堂々とすること。無数のそれらに支えられた社会は、天に聳える山岳のように偉大である。主人公と劒岳が対峙する画に、そんなことを感じさせられた。


◆気に入ったフレーズ

「嵐にあおうが罰が当たろうが、われわれ測量隊は登らねばならない。そうしないと正確な地図ができないからだ」

「誰だって、歩きやすいところ、歩きやすいところと選んで歩くものです。永い間にはそれが道になるのでしょう」

「地図などというものは、山の中をごそごそ歩いている間に自然に出来てしまうものだぐらいにしか世間では理解していない」

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247.クライマーズ・ハイ (横山秀夫)

1985年、御巣鷹山に未曾有の航空機事故発生。衝立岩登攀を予定していた地元紙の遊軍記者、悠木和雄が全権デスクに任命される。一方、共に登る予定だった同僚は病院に搬送されていた。組織の相剋、親子の葛藤、同僚の謎めいた言葉、報道とは…。あらゆる場面で己を試され篩にかけられる、著者渾身の傑作長編。


▽記者の時間軸
日付が変わる。今日とはちがう「今日」が、顔をのぞかせる。新聞記者にとっては、まったく新しい戦いの幕開けを意味するものだ。いまごろ次の記事のために、夜討ち取材をしているだろう。

記者とは、そういう奇妙な生き物だ。彼らは待ったなしで「今日」と対峙し、24時間以内に結果を出さなければいけない。「日々」という流れのなかを生きてはいるものの、そこには〆切という名の絶対的な断絶がある。

「一本特ダネを書いても偉そうにできるのは3日間だけ」と聞いたことがある。過去の栄光にしがみつくには、現場を走る記者は忙しすぎる。

無意味な、内輪だけでの競争に見えるかもしれない。特ダネが欲しかったり、抜かれるのが怖いからといって、許されざるモラル違反も起こる。でも、彼らはその奇妙なレースから降りられない。

ひとつには、矜持がある。新聞は商品だ。商品を買ってくれた人に、特別な情報を知らせる。それはひとつの「差別化」であり、そこに「新しいものを見聞きして記す者」としてのプライドが宿る。

また、スクープ競争は独自調査への大きな誘因となる。「スクープ競争は、往々にして真の意味でのスクープに繋がる」と読んだことがある。競争に乗っかることで、記者たちは全力で仕事にあたり、その力量を鍛えられる。記者にとっても、「日本で自分しか知らないモノ」を掴んだという興奮はたまらないものらしい。

こうした理由から、報道の世界における競争はなくなりそうにない。立ち止まることもできず、そもそも立ち止まることを考える暇もなく、記者という生き物は「今日」のために駆けずり回るのである。

クライマーズ・ハイは、1985年の日航機墜落事故を題材にしている。世界最大の飛行機事故を前に、地元紙である北関東新聞の記者たちは否応なく熾烈な競争に巻き込まれていく。

たまたま墜落したのが群馬県だった「もらい事故」だという意識もある反面、「全国紙に後れを取るわけにはいかぬ」という焦りが、同新聞社に湧きおこる。「現場を見て記事にしたい」という記者の本能が烈しく燃え上がり、彼らの矜持は「組織の論理」と激しく衝突する。混迷を極めた状況で、時計だけがいつも通りに時間を刻んでいく…。

そんな修羅場に「全権デスク」として挑んだ主人公は、少しずつ事件や記者という職業、そして自分自身と向き合っていく。奔走を続ける「ジャーナリスト」たちの群像をを軸にして、巧みに人間模様を展開した一冊だ。


▽クライマーズ・ハイ
生まれてから死ぬまで懸命に走り続ける。転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。
クライマーズ・ハイ。一心に上を見上げ、脇目も振らずにただひたすら登り続ける。


物語のもっとも大事なところを書いてしまったが、この小説はそうした主人公の生きざまを描いたものだ。昨日の勝利や敗北に囚われていては、「今日」と向き合うことが出来ない。つねに登っていなければいけない。それが、日々ゼロから紙面を作り上げる人間の宿命である。

もっとも、これは記者に対してやや肩入れをしすぎた読み方だ。記者以外の人間も、やはり真摯に「今日」や「仕事」と闘わなければいけないことには変わりないだろう。
同じ場面を与えられることは二度とない。その一瞬一瞬に、人の生きざまは決まるのだ。

反省はしても、悔いてはいけない。そうしているあいだに、新しい「今日」が私たちに容赦なく降りかかってくる。過去の決断に囚われすぎると、次の決断ができなくなる。ちょっと失敗したと思っても、命ある限りは岩壁を見上げ、次の一手を考えなければいけない。

真摯に生きる人は、誰もが「クライマーズ・ハイ」になる。迷いが生じてもいい、降りたいなら降りて別の道を選んでもいい。ただ、降りないと決めたのなら、上を見つめ続けなければいけない。


▽個人的所感
本は、読む人の性格や状況によって様々な感銘を与える。もちろん、一般的にも「クライマーズ・ハイ」は登場人物の息遣いが感じられるような臨場感を備え、ストーリー構成も完成された傑作であることには違いない。

だが、この本はそれ以上に特別な意味を僕に投げかけてきた。来年からこんなところで働くんだという実感が芽生え、全身の血が逆流するような興奮を覚えた。ページを繰る指は止まらず、登場人物たちの力強い言葉に出会うたび、背筋が震えた。

感情移入は本を味わううえで不可欠な過程に違いないが、それが過ぎると客観的に読めなくなる。優秀な医師でも身内の手術の執刀はできないように、あまりにも自分に重い感傷を与えた作品について、僕は上手に語れる自信がない。

いま言えることは、「クライマーズ・ハイ」という作品が好きだということだけだ。大の大人が汗と泥にまみれて、罵声の応酬をし、そのかたわらで彼らは静かに煩悶する。そんなナマな環境が、正義や理想が叩かれ篩にかけられる雰囲気が、どこかで僕の琴線に触れた。

「青くささ」が懸命に闘う小説が、どうやら僕は好きらしい。司馬遼太郎の「峠」も、「燃えよ剣」も、そうだった。いずれも僕にとって最高の「座右の書」だ。「クライマーズ・ハイ」も、その列に並ぶことになる。

「いっておくが青くささのない人間はだめだ。枯れて物わかりがよくなった人間が幾千万おっても、いまの世はどどうにもならぬ」
「峠」の主人公、河合継之助はこう言った。青くささをもって、悲惨な現実に体当たりで挑む。青くささを失わずに、いつまでも登り続ける。記者が世の中を切り開いていくは、これしかない。そんな確信が、僕の胸に烈しく迫ってきた。


◆気に入ったフレーズ
心に火が点いていた。
現場に飛びたい。

〈世界最大の航空事故がすぐそばで起こってるんですよ。ウチであろうが長野であろうが記者なら現場を踏むでしょうが〉

現場なのだ。
命令や指示を幾ら出そうが、事件をやったことにはならない。記者職が染みついた人間は、自分が現場で体感したことしか語ることも誇ることもできない。

山も深く傷ついていた。引き受けたのだ。他のどの山でもなく、世界最大の事故を、あの御巣鷹山が引き受けたのだ。

「我々の想像を超えた現場だと思います。わからないものを取材させるからには、器を大きく構えるしかないということです」

「八十行でも百行でも書きたいだけ書け。お前が見てきたものをちゃんと読ませろ」

同じ記者の原稿を二度殺したデスクについて行く兵隊など一人もいやしない。

「新聞は生き物ですからね」

「読者が読もうが読むまいが、書いて、作って、配るのが新聞だろうが。五百二十人死んだら五百二十本泣かせを書く。そういう仕事じゃねえか」

「日航をトップから外すわけにはいきまけん。五百二十人は群馬で死んだんです」

わからないことを想像で埋めていいのなら、そもそも記者という職業は不要だろうと思った。

意思ある人間はロープなどなくても必ず這い上がってくる。

最上級の抜きネタに贅肉はいらない。骨格だけをひたすら際立たせるのだ。

同じ場面を与えられることは二度とない。その一瞬一瞬に、人の生きざまは決まるのだ。

「ひょっとしたらこれがこの世で最後の会話になる。無意識にそう思っているからですよ。山って、そういう場所ですから」

「逃げるわけにはいかないよ。ジャンボ機は間違いなく群馬に落ちたんだからね」

生まれてから死ぬまで懸命に走り続ける。転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。

クライマーズ・ハイ。一心に上を見上げ、脇目も振らずにただひたすら登り続ける。そんな一生を送れたらいいと思うようになった。

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208.指導者とは (リチャード・ニクソン)

直接に会った20世紀の世界の巨星たちの人間像と、その力の源泉を綴る。豊かなエピソード、鋭い観察、鮮やかな人間分析、卓抜な歴史観と国際政治の解剖―そして何よりも、対象への愛情に裏付けられた、権力とリーダーシップへの深い洞察。ここでは著者自身の栄光と挫折の指導者体験がみごとに生きている。

旅と読書はよき人生の二大要素かもしれない。今月26日からヨーロッパの一人旅に出ているのだが、その旅の伴にした本も「えりすぐり」のものばかりである。これらを全て読み終わるかどうかはわからないが、少なくとも旅の移動中にも僕に新しいものを示してくれ、旅行にさらなる色彩を投じてくれるであろうことは疑いない。非常に楽しみである。

今回読んだのは元アメリカ大統領ニクソンが書いた「指導者とは」。ニクソンはこの前中公新書の「ニクソンとキッシンジャー」でも扱ったが、現在その指導者としての手腕について評価の見直しがされつつあるという。
この本では「戦争の世紀」とも呼ばれた20世紀を生き抜いた者として、同時代を生きた歴史上の偉人たちの群像を掘り起こしている。目次に並んでいる名前はチャーチル、ドゴール、アデナウアー、フルシチョフ、マッカーサー、吉田茂、周恩来…と、そうそうたるメンバーである。彼らの生い立ちから実際に対峙した時の感じまでを鮮やかに描写し、そのうえで「偉大な指導者とは」というテーマを考え抜く一冊になっている。

今回は内容というより、この本の位置づけについて考えてみたい。


▽渡辺恒雄の指摘
まず、この前出された渡辺恒雄の「反ポピュリズム論」における問題意識についてさらってみたい。というのも、その視点を加味して考えると、より一層この本の意義深さが分かるからである。
渡辺恒雄が「反ポピュリズム論」で指摘したことは、以下の通りであったと記憶している。
政治学は、「リーダー」の存在についての理論を持たないし、持ちえない。一方で、危機に瀕した歴史や国家、国民が待望するのは強力で頼れる「リーダー」に他ならない、と。

もう少し深く説明しよう。

政治学は、「リーダー」の存在についての理論を持たないし、持ちえない。これは厳密にはフランス革命以降の話であろう。それ以前にはプラトンが統治者としての哲人を論じているし、なによりマキァヴェリの「君主論」がある。

なぜ、政治学は「リーダー」を理論化できないか。最大の理由は現在世界中に広まった「革命思想」(いわゆる社会契約論や民主主義)と、強力な指導力を持つリーダーがタテマエ上相容れないからである。
現代につながる様々なデモクラシーの理論は、すべての人間が「自由で、平等」であるという前提から論じられる。加えて、そうした革命思想はもともと専制政治を究極の敵として発展してきたのである。法の支配や三権分立など、デモクラシーの父たちはとにかく突出した権力の台頭を恐れ、何重にも縛ってきたのであった。さらに、デモクラシーの理論では究極的な主権は国民に与えられ、彼らは政治を常に監視し、興味を持っており、さらに(国の指針を決定できる程度には)賢明であるとされた。

ここまで見ると、学校で習ったデモクラシーがいかに現実離れしたものか分かるだろう。人間は平等じゃないし、時に強烈な指導者が法の縛りを無視してでも国難を乗り越えることは期待されるし、民衆は暗愚で賢くない。それでも、政治理論は18世紀末から世界を席巻したタテマエに基づいて発展し続けていたのである。

もちろん、バークやトクヴィルといった一部の政治理論家は、こうした現実離れした前提に早くから気付いていた。
たとえば「人間は平等」という前提に対して、もしすべての人が真に平等になったら「多数の暴政」が生じ、かえって政治の安定性を損ねるだろうと考えた。社会の中にある程度の「ヒエラルキー」や「エリート」が存在することは、デモクラシーのタテマエとは相容れなくても、社会の安定のためには必要なことだと述べたのである。

しかし、そんな彼らでも、「どんな人間が権力を握るべきか」という問題について理論を確立することは、ついになかった。「リーダーとは」という問いかけが、政治理論においてどれほどタブーな問いなのか、これで分かっていただけるだろう。


▽どんな人が権力を握るべきか?
渡辺恒雄が指摘した通り、「どんな人が権力を握るべきか?」という問いは、政治学にとって開けてはならないパンドラの箱なのである。

政治学は、ずっと権力者の恣意的な暴政を防ぐために闘ってきた。たとえ幻想にすぎなくても、究極の主権者に民衆を据え、権力をこれでもかというほど縛ってきた。
そんな政治学に対して、「どんな人が国民に対して好き勝手に命令すべきか」「どんな人が法を捻じ曲げてでも敢然とした決断を下すべきか」と問うのは酷だろう。それは政治学がこれまで積み上げてきたものをフイにしかねない問いかけなのである。

だから、いくら社会が「強いリーダー」を望もうが、政治学の領域では「リーダー論」が産声をあげることも、ましてやそれが一人前の理論に成長することなどあり得ないのである。
これは政治学の最大の欠陥の一つだ。

加えて、指導者という存在自体にも、「理論化しにくい」という性質が備わっている。偉大な指導者は、劇薬に似ている。これを呑む国家を待ち受けるのは破滅か、勝利かの二択でしかない。
司馬遼太郎が長岡藩の河合継之助(卓越した指導力で長岡藩を強国にしたが、結局それがもとで同藩を破滅に導いた)をこう評したことがある。

天才とは、時と置き所を天が誤ると、天災のような禍をもたらすものであるらしい。

優秀な指導者と、偉大な指導者の差を見ても、その差はきわめて微妙だ。基本的には全く同じだが、一つだけ、偉大な指導者は負けないという点だけが違う。それが運によるものだったとしても、とにかく負けない。
だから、指導者は一人の人間というよりも偶然や環境といった諸条件もない交ぜになった、複合的な存在なのだ。「どんな人間が権力を持つべきか?」というのは一言で答えることは不可能に近い。ニクソンもこう言っている。

指導者を偉大ならしめる必須の条件は、三つある。偉大な人物、偉大な国家、そして偉大な機会である。


▽現代の「君主論」
さて、ここまで「強力な指導者」という存在がいかに厄介なものかを論じてきた。それは政治学の前提とは相容れず、タテマエではその存在を否定されいるにも関わらず、常に必要とされてきた。
ニクソンは、そんな微妙なテーマにメスを入れた。数えきれない「偉大な指導者」と渡り合ってきた彼だからこそ書けたのだとしか言いようがない。

言ってみれば、政治学の理論は演繹法であり、ニクソンの「指導者」論は帰納法である。
政治学はデモクラシーの確かな前提を踏み台にして、そこから理論をどんどん派生させていく。ニクソンは個々の偉大な指導者を観察し、彼らに共通するエッセンスをもって「指導者とは」という問いへの答えにしたのである。
実際、「指導者とは」に答えるにはその手法しかあり得ない。そしてそれはニクソンをはじめ、その全身で「偉大な指導者」を感じた人間にしか出来ないことなのである。

私の書いた指導者たちは、戦いに当たってひるむことがなかった。敢然として戦場に立ったのだった。

こんな簡単な一言でさえ、その背景にはチャーチルから周恩来に至るまでの様々な指導者が控えている。読むたびに文章を裏打ちする歴史を感じ、カリスマを感じる。月並みな言い方だが、重みが違う。
こんな読書はめったにできない。最高の旅にふさわしい、最高の本だったと思う。

ブログの最後に気に入ったフレーズをいくつか貼っていくが、実際に本を読めばもっと堪能できるはずである。


◆気に入ったフレーズ
・われわれが注目すべきは、顔を土と汗と血で汚して実際に戦場に立つ男です。
(セオドア•ルーズベルト)

・「人は銃剣でもってなにごともなしうるが、ただその上に座ることはできない」( タレーラン)

・私の書いた指導者たちは、戦いに当たってひるむことがなかった。敢然として戦場に立ったのだった。

・人間が老けるのは、みずからが老けるのを許容する場合が多い。

・指導者にとって大切なのは、何時間デスクの前で過ごすか、そのデスクがどこにあるかではなく、重要な決断を正しく下すかどうかである。

・思索と行動が正しいバランスを保ってはじめて、指導力は最高度に発揮される。

・大きい人物は大きい決断を処理するために存在する。

・指導者がする妥協の多くはあす闘うための妥協だということを、評論家は知らない。

・絶対に傲慢であってはならず、「バカを許す」心の余裕があり、実際に許さなければならない。

・指導者にとって理論は分析のための踏み台にすぎない。

・指導者が過去の決断を顧みて悩みすぎると、やがて決断そのものができなくなってしまう。

・指導者は常に、ほとんど本能的なまでに、結果を考える。

・幸福を希む人は権力を握らないだろうし、もし握ればそれを適切に行使しないはずである。

・指導者が住むのは具象の世界である。

・「偉業は、偉人を得ずして成ることがない。そして、偉人たちは偉大たらんと決意する意志力により偉大になる」
(ドゴール)

・追随者は願望し、指導者は決意する。

・中国革命が実を結ぶかどうかは、現在の中国の指導者が周のように「共産主義者であるより先に中国人」であり続けられるかどうかにかかっている。

・「舵手は波を見て船を進めるものです」
(周恩来)

・われわれは変化ゼロよりも遅い変化のほうが望ましく、遅い変化をじっと見守る長期の視野がときに必要なことを、知らなければならない。

・戦争を起してきたのは軍備ではなく、武器の使用につながる政治的問題を解決できない人間の無能力だった。

・「敗者にとって最大の武器は忍耐だ」
(アデナウアー)

・「偉大な政治家とは、最後まですわっているやつです」
(アデナウアー)

・「きみと私の違いは、私が正しいときに正しい決断をしたことである」
(アデナウアー)

・「軍人は、だれよりも平和を願う。なぜなら、戦争で死に、傷つかなければならないのは、軍人だから」
(マッカーサー)

・「議会制民主主義の中に生きる偉人は、人類の大半を占める凡庸な人々から嫌悪され、貶められる運命にある」

・吉田は、日本が外敵に備えなければならないのを知っていた点で、現実的だった。また、日本独力では防衛コストを負担しきれないと読んでいた点で、現実的だった。しかも、アメリカがそのコストを負担してくれると読み切った点でまことに賢明だった。

・「不人気なことを実行し、妨害をものともしない人物でなければ、危機の宰相にはなれない」
(チャーチル)

・「司令官にとって最も大切なことは、五パーセントの重要な情報を、九五パーセントのどうでもいい情報から見分けることだ」
(マッカーサー)

・ドゴールにとってフランスとは、単なる国民の集合体以上のなにものかだった。

・「偉大さを失ったフランスは、もはやフランスたり得ない」
(ドゴール)

・強い個性を持つ者は、上司に気に入られるよりは自己に忠実ならんと欲する。

・「内なる強さと外見の自制が両立することにより、はじめて支配は可能になる」
(ドゴール)

・子供は偉くなりたいから高いポストを狙うが、おとなは何事かを為すためにそれを望むものである。

・知性と本能の間に正しいバランスが保たれてはじめて、指導者の決断は先見性をもつことができる。

・力のある者が、必ずしも最大の経験と最高の頭脳と眼識と直感を備えているとはかぎらないのである。

・「戦場では一度倒れればおしまいだが、政治では再び起つために倒れる」
(タレーラン)

・政治の世界で成功したいなら、失策よりも無為のほうがはるかに悪い。

・敗北を恐れる者は、一流の政治家たり得ない。

・政界には、肝っ玉と直感と、正しい瞬間に断行する決断力以外には、何物もない。

・「人々を感動させるには、語り手である指導者がまず感動しなければならない」

・偉大な指導者は、眼力とともに正しいことを為す力量を備えなければならない。

・一つだけ、はっきり書いておきたいことがある。偉大な指導者は、必ずしも善良な人ではないことである。

・指導者を偉大ならしめる必須の条件は、三つある。偉大な人物、偉大な国家、そして偉大な機会である。

・偉大な指導者の足音の中に、人類は雷鳴にも似た歴史のとどろきを聞く。

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