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本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

298. 日本のいちばん長い日 (半藤一利)

 「終わらせる」ということは、実はけっこう難しい。膨大な労力を投下していたり、多くの人間を巻き込んでいたりする場合ならなおのことである。

 累々たる「殉職」の山を築く戦争の終結は、その最たるものであろう。本著には、ポツダム宣言を受諾して玉音放送を流すまでの日本が辿った艱難辛苦の道が描かれている。

 喧々諤々たる議論の末、戦争を継続しないという天皇の聖断が下された8月14日、「日本のいちばん長い日」は始まった。鈴木首相や阿南陸軍相をはじめとする関係者は満身創痍になりながら、霞む「終戦」を目指して邁進する。
 
 士官たちは徹底抗戦を主張してクーデターを画策し、「一日」はさらに緊迫する。終戦は無責任である、玉砕覚悟の戦争ではなかったか、と彼らは訴えた。その激情もまた正しく、読んでいて胸が痛む。

決定的な局面を迎えて、曖昧に使われていた「国体」という概念が激しく錯綜、衝突したと言えそうだ。日本は広げすぎた大風呂敷への「答え」を一日で出さなければならなかった。

 「祖国をこのまま死なせてはならない、新しい生命をあたえて生きかえらせねばならぬ」。

 終わらせることは難しい。終わらせて精算を済ませ、それを未来に繋げることはもっと難しい。8月14日、多くの汗と涙、そして血にまみれながら、「戦後」日本は産声をあげたのである。


◆気に入ったフレーズ

八月十四日正午、歴史は涙によって新たに書きはじめられていった。55

彼らに"栄光ある敗北"をあたえてやらなければならない!125

祖国をこのまま死なせてはならない、新しい生命をあたえて生きかえらせねばならぬ。177

「夜は明けるまでに兵をひけよ。そしてわれわれだけで責任をとろう。世の人々は真夏の夜の夢をみたといって、笑ってすましてくれるだろう」240

「将来の日本を頼むぞ。死ぬより、その方がずっと勇気のいることなのだ」。269

戦いを欲するものは、みずからにたいして戦いを挑む。274

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297. 魔の山 上下 (トーマス・マン)

 社会人になった。こうして自由に文章を綴ることも難しくなるだろう。文体をより凝縮させ、短い文で読者をぐっと引き込む術が求められる。新聞のコラムを見習いながら、研鑽を積んでいきたい。

 本との邂逅とは、とても微妙な問題だといえる。本は読者を非日常の世界へと誘うが、結局のところ読者は現実から脱けられない。読む時期によって本から受ける感銘が変化するのも、そのためであろう。

 さて、社会に果敢に挑もうという僕と、この世界史的大作との出会いは、はたして幸福なものであっただろうか。結論から言うと、そうではなかったかも知れない。

 『魔の山』のストーリーは、山の上にある療養施設で展開されている。患者たちは独特の雰囲気に浸り、時の経過を忘れて日々を楽しんでいる。

 高尚な形而上学、恋愛、そして健康。世俗のことを「下の世界」と呼んで軽蔑する彼らの関心事は、その三つだけ。主人公のハンス・カストルプは健康人として従弟を訪ねるが、なし崩し的に七カ年も逗留する。

 この小説は、主人公のカストルプが個性的な患者たちとの触れ合いを通じて成長していく「教養小説」だと言われる。ところが、僕はそこに違和感を抱いてしまう。

 おそらく彼らの生活が「社会」から隔てられていたからだろう。患者たちの喜怒哀楽には「根無し草」のような空虚さがある。その悩みがどれほど真剣なものであっても、いまいち迫力に欠ける。

 どうやら、僕の心は「社会」に向けて勇んでいるらしい。こういう時に読める本ではなかったかもしれない。いまの僕にとって、この小説を語るにはスタンダール『赤と黒』のこんなフレーズで十分なのである。

 「旅人にとって、山を登りつめ頂上で腰を下ろすことは最上の楽しみである。しかし、いつまでもそうして休んでいろと言われたら、彼は幸福でいられるだろうか?」


◆気に入ったフレーズ
「ここにいる連中は時間なんかなんとも思っていないんだ。まさかと思うだろうけれどね」20

「まったく健康な人間なんて、私はまだお目にかかったことがないのです」41

陶酔というものは、酔うこと自体が目的なので、さめることを欲せず、それを嫌悪する。473

「あなたは月日を浪費なさっていらっしゃって、それがどんなに恐ろしいことか、おわかりにはならないなですか」503

「ぼくたちは、おそらく、人生の厄介息子なのさ、単に、ね」691


下巻

「ぼくたちは実際かなり高度に隠遁して暮していますから、ここの上のぼくたちは、そう言えるでしょう」71

病気はきわめて人間的だ、なぜなら、人間であることは病気であることだから。241

死と病気に寄せるいっさいの関心は、生に寄せる関心の一種の表現にほかならない。300

「身を捨て身を亡ぼすのは、身を守るのよりも道徳的でしょう」440

「情熱とは人生を人生そのもののために生きることなんですもの」520

愛というものはもっとも敬虔な愛でも肉体を離れてはありえないし、どんなに肉欲的な愛であってと、そこには一片の敬虔さがあるからである。534

「生きているのは欲求することで、欲求するのは生きていることでしょう」573

懐疑というものは逆に愛の味わいを増し、愛に情熱の棘を与える。650

「抽象的な、純粋な、観念的な問題はまた同時に絶対的な問題でもあるのです、これこそ本当に真剣な問題なのです」754

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296. アンネの日記 (アンネ・フランク)

▽あらすじ
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記、「アンネの日記」が二種類存在したことはあまりにも有名だ。本書はその二つを編集した〈完全版〉に、さらに新たに発見された〈増補新訂版〉。ナチ占領下の異常な環境のなかで、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。


▽炎の閃き
ろうそくの炎は、尽きる瞬間にひときわ大きく燃え盛る。思春期の少女による独白を前にして、結末を知る私たちもそれと似た感慨を抱くだろう。『アンネの日記』、死の影に怯えつづけた少女によって紡がれた一冊だ。

1942年6月12日にはじまった日記は、1944年8月1日まで続いた。彼女はその4日後に連行され、翌年3月に収容所で命を落とす。日記を出版し広めることに尽力したのは、惨禍を生き延びた彼女の父親だった。

彼女が万年筆で灯した炎は、過酷な運命のなかで生まれ、悲愴な努力によって受け継がれた。大ベストセラーになった『アンネの日記』、その閃きは戦後世界を照らしつづけ、2009年には「世界記憶遺産」に認定された。

何度となく大人たちと衝突し、自らの苦境を思って涙しながら、彼女の内面は成熟していく。自省、夢、悲嘆、怒り、そしてロマンス。数々のエピソードが、思春期の少女らしい、ストレートな言葉で綴られていた。

その背後で、「戦争」と「迫害」の足音も徐々に大きくなっていく。すべてを黒く塗り潰す「歴史」を前に、彼女の青春はぱっと輝き、消えた。


▽夢
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。

日記は、アンネのこんな宣言から始まる。書くことが好きな彼女の夢は、作家かジャーナリストになること。「みんなの役に立ちたい」という志と、「死んでからもなお生き続けたい」という望みとが、この巨大な執筆活動を支えたのだろう。

狭い〈隠れ家〉のなかで8人暮らし。外へ出ることも、覗き見ることも許されず、恐怖と戦い惨めさを耐える日々。そんななかで、彼女は喜怒哀楽の一切を万年筆に託した。その筆跡は彼女の心とともに踊り、涙とともに滲んだことだろう。

暗闇のなか、一心不乱にペンを走らせる少女の姿が目に浮かぶ。「親愛なるキティー(日記の名前)へ、今日はこんなことがあったの、憧れのペーターとはこんなことがあったわ、じゃあまたね、アンネ・フランクより」…。

独特で鋭い感受性や発想、表現が光る600ページ。実に惜しい。「ものを書くことが好き」という人が迫害に遭い、地上からいなくなった事実、それがこんなに寂しいものだとは。

『アンネの日記』のなかに唯一、彼女自身が書いていない一節がある。

アンネの日記は、ここで終わっている。

誰が書き加えたのだろう。あれほど沢山のことを書きながら、彼女は自らの連行と死について書くことはできなかった。そんな当然の事実を、生々しく突き付けてくる。

非寛容の延長線上にある戦争と迫害が、夢見る少女を絶筆にまで追い込んでしまった。情けないと思う。申し訳なく思う。もっと彼女の本を読んでみたかった、そう思うとたまらなく悲しい。

ペンを握れることの喜びを噛みしめ、眼前の文章に対して誠実でいること。「十字架」を背負おうと思っても、いまの僕に出来ることはこれくらいである。素敵な日記だった。だからこそ、辛い。


◆フレーズ
べつにかまいません。わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋れているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。22

ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。57

どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。341

ひとに沈黙を強いることはできても、ひとそれぞれが意見を持つことまでは妨げることができません。349

わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。362

わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。365

わたしはぜひともなにかを得たい。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。433

わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!434

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295. 大いなる遺産 上下 (ディケンズ)

貧しい鍛冶屋のジョーに養われて育った少年ピップは、クリスマス・イヴの夜、寂しい墓地で脱獄囚の男と出会う。脅されて足枷を切るヤスリと食物を家から盗んで与えるピップ。その恐ろしい記憶は彼の脳裏からいつまでも消えなかった。ある日彼は、謎の人物から莫大な遺産を相続することになりロンドンに赴く。優しかったジョーの記憶も、いつか過去のものとなっていくが…。


▽人間関係の妙
人生と人生が出会うことの面白さ、不思議さ。ときに悲劇をもたらし、ときに喜劇を生む、人と人との邂逅。小説家は、それらを巧みに組みたてることで物語を編んでいく。

そういう点で、ディケンズ(1812-70)は第一級の作家であると見ていい。彼が50歳に差し掛かろうという頃に書かれた『大いなる遺産』は、実に見事に設計されていた。「世界最高の小説百選」にも選出されている。

上巻で覚えきれないほど敷かれた伏線が、下巻ではことごとく、しかも少なからぬ驚きをともなって回収される。隠された過去や真実が徐々に明るみになっていく筋の面白さに、読者は本を手放せなくなる。

生命を吹き込んでいるかのように瑞々しい人物描写の数々も、この本の魅力のひとつだ。様々な型の人物が登場するが、見事に描き分けられている。もともと新聞記者だったディケンズの、人間一般への深い洞察が感じられる。

こういう本は、ストーリーを楽しんで読むのがいいだろう。教訓を汲み取ろうとして、力む必要はない。物語で登場する人生の諸相が、そのまま読者に多くのことを教えてくれる。


▽富貴と艱難
敢えて解釈すれば、これは主人公のピップが富貴と艱難を繰り返しながら、人生で大切なものを見つけていく物語だと言うことができるかもしれない。

「人間は艱難を共にできるが、富貴は共にできない」という、高杉晋作の言葉がある。逆境にある人は団結して敵を破ろうとするが、困難を乗り越えると私欲に走りはじめ、その結びつきは壊れてしまう。

「金の切れ目が縁の切れ目」という、これと反対の言葉もある。富み栄えていれば、人は自然と集まってくる。ところが逆境に陥ると、彼らはすっと姿を消してしまう。

どちらが正しい、という話ではない。二つの言葉に共通するのは、人生の浮沈こそが、その人にとって大切なものを教えてくれるという捉え方だ。

私たちにとって最も大切なものは、苦しいときも、喜ばしいときも、つねに私たちに寄り添ってくれている。蒸留と濾過をくりかえす実験のように、私たちを囲う環境がどう変わっても、「それ」は掌の中に残ってくれる。

この視点から物語を見ると、どうなるか。

惨めな幼少時代を送ったピップは、何者かから莫大な遺産の相続人に指名される。一躍、紳士としてロンドンに居を構えた彼だが、中盤の「逆転」を迎えてふたたび苦境へと立たされていく…。

転変する彼の周囲をぐるぐる回る、人びとの追従、信頼、嫉妬、誠実…。人間関係の諸相が目まぐるしく巡るなか、輝きを失わなかったもの。それこそが、主人公にとって一番かけがえのないものなのである。


▽ハッピーエンドの余韻
物語を考えるうえで、その幕切れについても言及しておきたい。

けっきょく彼に遺産は相続されず、かつて手放したもののうちに幸福が宿っていたことを知る。物語の終幕、気付けばピップは冒頭とおなじ素寒貧の状態に逆戻りしてしまっている。

ところが、物語の幕切れは不思議と明るい。静かな光がピップを照らし、ハッピーエンドのそれのような情景が浮かび上がる。

夕霧がはれかけていた。そして、はれわたる夕霧とともに、ひろびろと果てしなくひろがる静かな月明かりのうちには、彼女との二どの別離の陰影はすこしも見えなかった。

物質的な観点で言えば、「大いなる遺産」は、ピップになにひとつ恵まなかった。ヒロインとの別離とともに物語が終わるのも、この点で示唆的である。

一方、精神的な観点から見ると、ピップは物語を経てひとつ成長している。「大いなる遺産」こそ持たないが、彼は信頼のおける、大切なものを見出すことができた。

「すべてを手に入れながら、何が本当に大切なのか分からない状態」と、「何も持っていないが、自分にとって大切なものを自覚している状態」。はたして、どちらが「幸福」に値するだろう。

『大いなる遺産』がもたらす、ハッピーエンドの余韻。その裏には、そんな静かな価値判断が潜んでいるようにも思われる。


◆気に入ったフレーズ
「ぼくのことなんか、気にかけなくっていいんだよ、ジョー」
「ところが、わしはおまえのことを気にかけたんだよ、ピップ」102

子供は、小さな不正にしかさらされないかもしれない。だが、子供は小さいものであり、その世界も小さいものである。134

「嘘はどうして生まれたにせよ、やっぱり生まれちゃいけないものなんだ」。151

「おまえがずばぬけた物知りになるには、まずそのまえに平凡な物知りにならなくちゃならん」152

「もしおまえがまっすぐなことをやってえらい人間になれんのなら、曲がったことをやったからって、えらい人間になれるもんじゃけっしてない」153

およそ家庭を恥ずるということは、この上もなくみじめなことである。226

世界中のいっさいの欺瞞家も、自己欺瞞家にくらべたら、もののかずではない。477

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294. 尻啖え孫市 上下 (司馬遼太郎)

個性豊かな戦国武将のうちでも、ひときわ異彩を放つ雑賀孫市は、信長最強の敵である石山本願寺の侍大将を引き受けることになった。戦国の世を自由闊達に生き、木下藤吉郎との奇妙な友情をはぐくみながらも、鉄砲の腕にもの言わせ、無敵の信長にみごと"尻啖わせた"痛快な漢の一生。


▽尻啖え(しりくらえ)
「からり」とした、豪放磊落な快男児。「戦国の英雄豪傑」と聞けば、多くの人がそんな型の男を思い浮かべるだろう。

司馬遼太郎の見るところ、『尻啖え孫市』の主人公、雑賀孫市はまさにそんな男だったようだ。「尻啖え」とは、相手に向かって尻を見せて、叩いてみせるもの。挑発である。

「尻啖え」という言葉をタイトルにつけたとき、著者も「これはさすがに」と思って戸惑ったらしい。たしかに品の良い言葉ではない。ただ、その下品さが、孫市のような男に似つかわしく思えるから仕方ない。

その「尻啖わせた」相手は、戦国乱世を「天下布武」の色に染めようとしていた織田信長である。戦闘にかけて天賦の才を恵まれた孫市は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼を最後まで手こずらせた。

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」

信長、秀吉といった天下の大役者と互角に渡り合った田舎侍の活躍に、読者は目を白黒させながらついていくことになる。


▽大人になりぞこなった男
男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。

孫市の行動原理は打算になく、ひとえに子どもっぽい功名心や好奇心にある。ほとんど「天下をのぞむ男と勝負したい」という心意気だけで、信長に立ち向かいつづけた。信長や秀吉はたまったものではない。

鉄砲といくさ、そして女。それだけが彼の関心、人生の根っこであった。その単線な生き様は、「乱世」という背景に引き立てられ、じつに美しい。「成否を問わず、自己の技量を賭す」という司馬の哲学が、色濃く反映されている。

技量、と書いた。孫市のそれは、言うまでもなく軍事的才能である。司馬はこう綴っている。

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。

この点、『花神』における大村益次郎もそうだった。何かの才能に恵まれたものは、それに引きずられるようにして数奇な人生を歩むらしい。一個の芸術家のように、それを世で試し、問い、爪跡を遺していく。

激烈、数奇、そして酔狂…。それらは司馬文学が今日なお多くの人を惹きつける要因であるだろう。

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。

「戦国」という世を体現したような主人公。その時代の足音がやむとともに、「からり」と姿を消していった孫市を見送りながら、僕のなかで燃える「子ども」が頭をもたげるのを感じた。


◆気に入ったフレーズ
下巻
「女に理想を求めようとする心がなければ、好色漢にはならぬ」43

軍事的才能を持ちすぎている、というのもときには妙な運命におち込むものらしい。男としてもっとも甘美な運命にちがいない。88

「才能こそ、世のいかなる権威にもまさる最高のものではないか」90

「信長に申しておけ、わが尻啖え、と」165

男はたれでも子供の部分を残している。何千人かに一人は、まるっきり大人になりぞこなった男がいる。227

孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢だった。その小地域戦闘のうまさ、その底ぬけの楽天主義、傲岸さ、明るさ、そして愛すべき無智、すべて孫市はそなえていた。394

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